潜夫論 / 誌氏姓
御史大夫張湯,增定律令,以防奸惡,有利於民,又好薦賢達士,故受福祐。子安世,為車騎將軍,封富平侯,敦仁儉約,矜遂權而好陰德,是以子孫昌熾,世有賢胤,更封武始。遭王莽亂,享國不絕,家凡四公,世著忠孝行義。前有丞相張禹,御史大夫張忠,後有太尉張酺,汝南人,太傅張禹,趙國人。司邑閭裏,無不有張者。河東解邑有張城,有西張城,豈晉張之祖所出邪?(偃)優姓舒唐鳩、舒龍、舒(共)、止龍、酈、淫、參、會、六院、壒、高、國。
新字:御史大夫張湯,增定律令,以防奸悪,有利於民,又好薦賢達士,故受福祐。子安世,為車騎将軍,封富平侯,敦仁倹約,矜遂権而好陰徳,是以子孫昌熾,世有賢胤,更封武始。遭王莽乱,享国不絶,家凡四公,世著忠孝行義。前有丞相張禹,御史大夫張忠,後有太尉張酺,汝南人,太傅張禹,趙国人。司邑閭裏,無不有張者。河東解邑有張城,有西張城,豈晋張之祖所出邪?(偃)優姓舒唐鳩、舒竜、舒(共)、止竜、酈、淫、参、会、六院、壒、高、国。
書き下し
御史大夫張湯は、律令を増定し、以て奸悪を防ぎ、民に利有り、又好んで賢達の士を薦む、故に福祐を受く。子の安世は、車騎将軍と為り、富平侯に封ぜられ、仁を敦くし倹約し、矜遂権にして陰徳を好む、是を以て子孫昌熾し、世よ賢胤有り、更めて武始に封ぜらる。王莽の乱に遭ひ、国を享くること絶えず、家は凡そ四公、世よ忠孝行義に著はる。前に丞相張禹、御史大夫張忠有り、後に太尉張酺、汝南の人、太傅張禹、趙国の人有り。司邑の閭里に、張有らざる無し。河東解邑に張城有り、西張城有り、豈に晋の張の祖の出づる所か。(偃)優姓の舒唐鳩・舒龍・舒(共)・止龍・酈・淫・参・会・六院・壒・高・国。
現代語訳
御史大夫の張湯は、律令を増し定めて悪事を防ぎ、民に利益をもたらし、また好んで賢者や有能な士を推薦しました。そのため福が授かりました。その子の安世は、車騎将軍となって富平侯に封ぜられ、仁をあつくして倹約し、(権勢を)慎んで陰徳を好みました。このため子孫は栄え、代々賢い後継ぎが出て、更めて武始に封ぜられました。王莽の乱に遭っても、国を保つことは絶えず、家からは四人の公を出し、代々、忠孝と行義によって世に知られました。前には丞相の張禹、御史大夫の張忠がおり、後には太尉の張酺(汝南の人)、太傅の張禹(趙国の人)がいました。司邑の村里には、張という姓の者がいないところはありません。河東の解邑には張城があり、西張城もあります。これは晋の張氏の祖が出たところでしょうか。(偃)優姓には、舒唐鳩・舒龍・舒(共)・止龍・酈・淫・参・会・六院・壒・高・国があります。
解説
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『潜夫論』誌氏姓鄭の大夫に馮簡子有り。後に韓に馮亭有り、上党の守と為り、禍を趙に嫁し、以て長平の変を致す。秦に将軍馮劫有り、李斯と俱に誅せらる。馮唐有り、文帝と将帥を論ず。後に馮奉世有り、上党の人なり、位は将軍に至り、女は元帝の昭儀と為り、因りて京師に家す。其の孫衍、字は敬通、学を篤くし義を重んじ、諸儒之を号して「徳行雍雍たる馮敬通」と曰ふ。書を著すこと数十篇、孝章皇帝其の文を愛重す。晋の大夫郇息は献公に事へ、後世中軍を将ゐ、故に中行を氏とす。采を智に食み、智果は智伯を諫めて聴かれず、乃ち族を大史に別ちて輔氏と為る。晋の大夫孫伯黶は実に典籍を司り、故に籍氏と姓す。辛有の二子之を董り、故に董氏を氏とす。詩に宣王を頌し、始めて「張仲孝友」有り。春秋の時に至り、宋に張白蔑有り。唯だ晋の張侯・張老のみ、実に大家為り、張孟談は趙襄子を相け、以て智伯を滅ぼし、遂に功賞を逃れ、芃山に耕す。後に魏に張儀・張醜有り。漢に至り、張姓滋多し。常山王張耳は、梁の人。丞相張蒼は、陽武の人なり。東陽侯張相如あり。
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『潜夫論』誌氏姓慶姓は、樊・尹・駱。隗姓は、鄧・優。帰姓は、胡・有・何。□姓は、滑・斉。掎姓は、棲・疏。禦姓は、署・番・湯。嵬姓は、饒・攘・殺。隗姓は、赤狄。姮姓は、白狄。此れ皆大吉の姓なり。斉に鮑叔有り、世よ卿大夫為り。晋に鮑癸有り。漢に鮑宣有り、累世忠直にして、漢の名臣なり。漢の酈生は使者為り、弟の商は将軍為り、今の高陽の諸酈は著姓為り。昔仲山甫も亦た樊を姓とし、諡は穆仲、南陽に封ぜらる。南陽は、今の河内に在り。後に樊傾子有り。曼姓は、鄧に封ぜられ、後(因)氏とす。南陽の鄧県、上蔡の北に古の鄧城有り、新蔡の北に古の鄧城有り。春秋の時、楚の文王鄧を滅ぼし、漢に至りて鄧通・鄧広有り、後漢の新野(鄧)禹は、佐命の元功を以て、高密侯に封ぜらる。孫太后は天性慈仁にして厳明、諸家を約敕し、権を得る莫く、京師清浄にして、貴戚無きが若し、勤思して民を憂え、昼夜怠らず。是を以て羌兵の叛き、大水の饑饋に遭うも、能く之を復し、整平して豊穣たり。太后崩じて後、群奸相参わり、競いて譖潤を加え、鄧氏を破壊し、天下之を痛む。
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『潜夫論』誌氏姓或いは復た分かれて古氏・成氏・常(堂)氏・開氏・公氏・冶氏・梁氏・周氏と為る、此の数氏は、皆本は同じくして末は異なる。凡そ姓の離合変分は、固より此の類多く、一を以て況う可く、載するに勝え難きなり。易に曰く、「君子は以て族を類し物を辯つ」と、多く前言往行を識り、以て其の徳を蓄う、「学以て之を聚め、問以て之を辯つ」と。故に略ぼ世記を観、経書を采り、国土に依り、明文有るに及びて、以て賢聖の後を讃え、族類の祖を班ち、氏姓の出ずるを言い、此の仮意二篇を序し、以て後賢今の焉に貽すなり。
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『潜夫論』誌氏姓帝堯の後は陶唐氏と為る。後に劉累有り、能く龍を畜ひ、孔甲姓を御龍と賜ひ、以て豕韋の後に更ふ。周に至りて唐杜氏と為る。周衰へ、隰叔子有り、周の難を晋国に違ひ、子輿を生み、李と為り、以て朝に正し、朝に間(奸)官無し、故に氏は士氏と為る。司空と為り、以て国に正し、国に敗績無し、故に氏は司空。采を随に食む、故に随氏と氏とす。士袴の孫会、文・襄を佐け、諸侯に於て悪無し。卿と為り、以て成・景を輔け、軍に敗政無し。成率と為り、傅に居り、刑法を端し、訓典を集め、国に姦民無く、晋国の盗は逃げて秦に奔る。是に於て晋侯為に冕服を王に請ひ、王随会に命じて卿と為し、是を以て範を受け、卒して武子と諡す。武子は文にして、晋・荊の盟を成し、兄弟の国を降し、間隙無からしむ、是を以て郇・櫟を受く。此に由りて帝堯の後に、陶唐氏・劉氏・御龍氏・唐杜氏・隰氏・士氏・季氏・司空氏・趙氏・範氏・郇氏・櫟氏・嬴(彘)氏・冀氏・穀氏・薔氏・擾氏・㩏(狸)氏・傅氏有り。
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『潜夫論』誌氏姓昔者、聖王は象を乾坤に観、度を神明に考え、命暦の去就を探り、群后の徳業を省み、而して姓を賜い氏を命じ、因りて徳功を彰らかにす。伝に称す、氏の官を徹するもの百、王公の子弟千、世よ能く其の官を聴む者には、而して物して之に姓を賜う、是れを百姓と謂う。姓に品を徹するもの十有り、王に於いては之を千品と謂う、と。
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『潜夫論』誌氏姓周氏・邵氏・畢氏・栄氏・単氏・尹氏・錙氏・富氏・厓氏・萇氏は、此れ皆周室の世よの公卿の家なり。周召は、周公・召公の庶子にして、二公の采を食み、以て主吏と為す、故に世よ周公・召公有りて絶えざるなり。尹は、本官名なり、宋に太師有り、楚に令尹・左尹有るが若し。尹吉甫は宣王を相けて大功績あり。詩に云う「尹氏大師、維れ周の底なり」と。単穆公・襄公・頎公・靖公は、世よ明徳有り、次聖の才あり、故に叔向之を美め、以て後必ず繁昌せんとす。苦城は、城の名なり、塩池の東北に在り。後人之を書するに或いは枯と為し、斉人其の音を聞けば則ち之を書して車と曰い、敦煌其の字を見て、之を呼びて車城と曰う。其の漢陽に在る者は、枯・苦の字を喜ばず、則ち更めて之を書して古城氏と曰う。堂谿は、谿穀の名なり、汝南西平に在り。禹の字子啟とは、啟は、開の字なり。前人堂谿を書して誤りて啟と作し、後人之を変ずれば、則ち又開と作す。古の漆雕開・公冶長は、前人雕を書するに易に従い、渻して周に作り、冶を書して漢誤りて(蠱)に作り、後人又伝えて古と作す。
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