潜夫論 / 誌氏姓
高陽氏之世,有才子八人,蒼舒、隤敳、檮戭、大臨、尨降、庭堅、仲容、叔達,天下之人謂之八凱。後嗣有皋陶,事舜,舜曰:「皋陶,蠻夷滑夏,寇賊奸宄,女作士。」其子伯翳,能議百姓,以佐舜禹,擾馴鳥獸,舜賜姓嬴。後有仲衍,鳥體人言,為夏帝大戊禦。嗣及費仲,生惡來、季勝。武王伐紂,並殺惡來。季勝之後有造父,以善禦事周穆王。穆王遊西海忘歸,於是徐偃作亂,造父禦,一日千里以征之。王封造父於趙城,因以為氏。其後失守,至於趙夙,仕晉卿大夫,十一世而為列侯,五世而為武靈王,五世亡趙。恭叔氏、邯鄲氏、訾辱氏、嬰齊氏、樓季氏、盧氏、原氏,皆趙嬴姓也。惡來後有非子,以善畜,周孝王封之於秦。世地理以為西陲大夫,汧秦亭是也。其後列於諸侯,五世而稱王,六世而始皇生於邯鄲,故曰趙政。
新字:高陽氏之世,有才子八人,蒼舒、隤敳、檮戭、大臨、尨降、庭堅、仲容、叔達,天下之人謂之八凱。後嗣有皋陶,事舜,舜曰:「皋陶,蠻夷滑夏,寇賊奸宄,女作士。」其子伯翳,能議百姓,以佐舜禹,擾馴鳥獣,舜賜姓嬴。後有仲衍,鳥体人言,為夏帝大戊禦。嗣及費仲,生悪来、季勝。武王伐紂,並殺悪来。季勝之後有造父,以善禦事周穆王。穆王遊西海忘帰,於是徐偃作乱,造父禦,一日千里以征之。王封造父於趙城,因以為氏。其後失守,至於趙夙,仕晋卿大夫,十一世而為列侯,五世而為武霊王,五世亡趙。恭叔氏、邯鄲氏、訾辱氏、嬰斉氏、楼季氏、盧氏、原氏,皆趙嬴姓也。悪来後有非子,以善畜,周孝王封之於秦。世地理以為西陲大夫,汧秦亭是也。其後列於諸侯,五世而称王,六世而始皇生於邯鄲,故曰趙政。
書き下し
高陽氏の世、才子八人有り、蒼舒・隤敳・檮戭・大臨・尨降・庭堅・仲容・叔達、天下の人之を八凱と謂ふ。後嗣に皋陶有り、舜に事ふ。舜曰く、「皋陶、蛮夷夏を滑し、寇賊姦宄あり、女は士と作れ」と。其の子伯翳は、能く百姓を議し、以て舜・禹を佐け、鳥獣を擾馴し、舜姓を嬴と賜ふ。後に仲衍有り、鳥体人言にして、夏帝大戊の御と為る。嗣いで費仲に及び、悪来・季勝を生む。武王紂を伐ち、並びに悪来を殺す。季勝の後に造父有り、善く御するを以て周の穆王に事ふ。穆王西海に遊びて帰るを忘る、是に於て徐偃乱を作し、造父御し、一日千里にして以て之を征す。王造父を趙城に封じ、因りて以て氏と為す。其の後守を失ひ、趙夙に至り、晋の卿大夫に仕へ、十一世にして列侯と為り、五世にして武霊王と為り、五世にして趙亡ぶ。恭叔氏・邯鄲氏・訾辱氏・嬰斉氏・楼季氏・盧氏・原氏は、皆趙の嬴姓なり。悪来の後に非子有り、善く畜ふを以て、周の孝王之を秦に封ず。世よ地理して以て西陲の大夫と為す、汧・秦の亭是なり。其の後諸侯に列し、五世にして王を称し、六世にして始皇邯鄲に生まる、故に趙政と曰ふ。
現代語訳
高陽氏の世には、才子が八人いました。蒼舒・隤敳・檮戭・大臨・尨降・庭堅・仲容・叔達で、天下の人はこれを八凱と呼びました。その後裔に皋陶がおり、舜に仕えました。舜は「皋陶よ、蛮夷が中華をかき乱し、盗賊や悪人が出ている。お前は士(裁判官)となれ」と言いました。その子の伯翳は、よく人々のことを議し、舜や禹を助け、鳥や獣を馴らしたので、舜は嬴の姓を賜りました。のちに仲衍が出て、鳥の体で人の言葉を話し、夏の帝大戊の御者となりました。続いて費仲に至り、悪来と季勝を生みました。武王が紂を討ったとき、悪来は殺されました。季勝の後裔に造父がおり、馬を巧みに御することで周の穆王に仕えました。穆王が西海に遊んで帰るのを忘れたとき、徐偃が乱を起こし、造父は御して一日に千里を走り、これを討ちました。王は造父を趙城に封じ、これによって氏としました。その後は職を失い、趙夙に至って晋の卿大夫に仕え、十一世で列侯となり、五世で武霊王となり、さらに五世で趙は亡びました。恭叔氏・邯鄲氏・訾辱氏・嬰斉氏・楼季氏・盧氏・原氏は、みな趙の嬴姓です。悪来の後裔に非子がおり、家畜を善く育てるので、周の孝王が秦に封じました。代々、西の辺境の大夫とされ、汧・秦の亭がその地です。その後諸侯に列し、五世で王を称し、六世で始皇が邯鄲に生まれたので、趙政と呼ばれました。
解説
この章句が説くこと
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史記 秦本紀徐の偃王乱を作す。造父繆王の為に御し、長駆して周に帰り、一日千里にして以て乱を救ふ。繆王趙城を以て造父を封ず。造父の族此より趙氏と為る。蜚廉の季勝を生みしより已下五世にして造父に至り、別れて趙に居る。趙衰は其の後なり。悪来革は、蜚廉の子なり、蚤く死す。子有りて女防と曰ふ。女防旁皋を生み、旁皋太幾を生み、太幾大駱を生み、大駱非子を生む。造父の寵を以て、皆趙城を蒙り、趙氏を姓とす。非子犬丘に居り、馬及び畜を好み、善く之を養息す。犬丘の人之を周の孝王に言ふ。孝王召して馬を汧渭の間に主らしむるに、馬大いに蕃息す。孝王以て大駱の適嗣と為さんと欲す。申侯の女大駱の妻と為り、子成を生みて適と為る。申侯乃ち孝王に言ひて曰く、「昔我が先の酈山の女、戎の胥軒の妻と為り、中潏を生む。親の故を以て周に帰し、西垂を保つ。西垂其の故を以て和睦す。今我復た大駱に妻を与へ、適子成を生む。申・駱重ねて婚し、西戎皆服す。王為る所以なり。王其れ之を図れ」と。是に於て孝王曰く、「昔伯翳舜の為に畜を主り、畜多く息す。故に土有り、姓を嬴と賜ふ。今其の後世亦朕の為に馬を息す。朕其れ土を分かちて附庸と為さん」と。之を秦に邑し、復た嬴氏の祀を続がしめ、号して秦嬴と曰ふ。亦申侯の女の子の駱の適為る者を廃せず、以て西戎を和す。秦嬴秦侯を生む。秦侯立つこと十年にして卒す。公伯を生む。公伯立つこと三年にして卒す。秦仲を生む。秦仲立つこと三年、周の厲王無道にして、諸侯或いは之に叛く。西戎王室に反き、犬丘大駱の族を滅ぼす。周の宣王即位し、乃ち秦仲を以て大夫と為し、西戎を誅せしむ。西戎秦仲を殺す。秦仲立つこと二十三年にして、戎に死す。子五人有り、其の長者を荘公と曰ふ。
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史記 趙世家趙氏の先は、秦と祖を共にす。中衍に至り、帝大戊の御と為る。其の後世の蜚廉に子二人有り、而して其の一子に命じて悪来と曰ふ。紂に事へ、周の殺す所と為る。其の後を秦と為す。悪来の弟を季勝と曰ふ。其の後を趙と為す。季勝、孟増を生む。孟増、周の成王に幸せらる、是を宅皋狼と為す。皋狼、衡父を生む。衡父、造父を生む。造父、周の繆王に幸せらる。造父、驥の乗匹を取り、桃林の盗驪・驊騮・緑耳と与に、之を繆王に献ず。繆王、造父をして御せしめ、西のかた巡狩し、西王母に見え、之を楽しみて帰るを忘る。而して徐の偃王反す。繆王日に千里の馬を馳せ、徐の偃王を攻め、大いに之を破る。乃ち造父に賜ふに趙城を以てす。此に由りて趙氏と為る。造父より已下六世にして奄父に至る。公仲と曰ふ。周の宣王の時戎を伐ち、御と為る。千畝の戦ひに及び、奄父宣王を脱す。奄父、叔帯を生む。叔帯の時、周の幽王無道なり。周を去りて晋に如き、晋の文侯に事へ、始めて趙氏を晋国に建つ。叔帯より以下、趙の宗益々興り、五世にして趙夙に至る。趙夙は、晋の献公の十六年、霍・魏・耿を伐つ。而して趙夙将と為りて霍を伐つ。霍公求、斉に奔る。晋大いに旱す。之を卜す。曰く「霍太山祟りを為す」と。趙夙をして霍君を斉より召して之を復せしめ、以て霍太山の祀を奉ぜしむ。晋復た穣る。晋の献公、趙夙に耿を賜ふ。夙、共孟を生む。魯の閔公の元年に当たる。共孟、趙衰を生む、字は子余。趙衰、晋の献公及び諸公子に事へんことを卜す。吉莫し。公子重耳に事へんことを卜す、吉なり。即ち重耳に事ふ。重耳、驪姫の乱を以て翟に亡げ奔る。趙衰従ふ。翟、廧咎如を伐ち、二女を得たり。翟、其の少女を以て重耳に妻はせ、長女を趙衰に妻はせて盾を生む。初め、重耳晋に在りし時、趙衰の妻も亦趙同・趙括・趙嬰斉を生む。
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史記 秦本紀秦の先は、帝顓頊の苗裔なり。孫を女修と曰ふ。女修織るに、玄鳥卵を隕とし、女修之を呑み、子大業を生む。大業少典の子を取る、女華と曰ふ。女華大費を生む。禹と水土を平らぐ。已に成り、帝玄圭を錫ふ。禹受けて曰く、「予の能く成すに非ず、亦大費輔と為れり」と。帝舜曰く、「咨、爾費、禹の功を賛く。其れ爾に皁游を賜はん。爾の後嗣将に大いに出でんとす」と。乃ち之に姚姓の玉女を妻はす。大費拝受し、舜を佐けて鳥獣を調馴し、鳥獣多く馴服す。是を柏翳と為す。舜姓を嬴氏と賜ふ。大費子二人を生む。一を大廉と曰ふ、実に鳥俗氏なり。二を若木と曰ふ、実に費氏なり。其の玄孫を費昌と曰ふ。子孫或いは中国に在り、或いは夷狄に在り。費昌夏桀の時に当たり、夏を去りて商に帰し、湯の御と為り、以て桀を鳴条に敗る。大廉の玄孫を孟戯・中衍と曰ふ。鳥身にして人言す。帝太戊聞きて之を卜して御たらしめんとするに、吉なり。遂に致して御たらしめて之に妻はす。太戊より以下、中衍の後、遂に世功有り、以て殷国を佐く。故に嬴姓多く顕れ、遂に諸侯と為る。其の玄孫を中潏と曰ふ。西戎に在りて、西垂を保つ。蜚廉を生む。蜚廉悪来を生む。悪来は力有り、蜚廉は善く走る。父子倶に材力を以て殷の紂に事ふ。周の武王の紂を伐つや、并せて悪来を殺す。是の時蜚廉紂の為に石を北方に為り、還りて、報ずる所無し。壇を霍太山に為りて報じ、石棺を得たり。銘に曰く「帝処父をして殷の乱に与せざらしめ、爾に石棺を賜ひて以て氏を華やかにす」と。死して、遂に霍太山に葬る。蜚廉復た子有り、季勝と曰ふ。季勝孟増を生む。孟増周の成王に幸せらる、是を宅皋狼と為す。皋狼衡父を生み、衡父造父を生む。造父善く御するを以て周の繆王に幸せられ、驥・温驪・驊騮・騄耳の駟を得て、西に巡狩し、楽しみて帰るを忘る。
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『潜夫論』誌氏姓帝堯の後は陶唐氏と為る。後に劉累有り、能く龍を畜ひ、孔甲姓を御龍と賜ひ、以て豕韋の後に更ふ。周に至りて唐杜氏と為る。周衰へ、隰叔子有り、周の難を晋国に違ひ、子輿を生み、李と為り、以て朝に正し、朝に間(奸)官無し、故に氏は士氏と為る。司空と為り、以て国に正し、国に敗績無し、故に氏は司空。采を随に食む、故に随氏と氏とす。士袴の孫会、文・襄を佐け、諸侯に於て悪無し。卿と為り、以て成・景を輔け、軍に敗政無し。成率と為り、傅に居り、刑法を端し、訓典を集め、国に姦民無く、晋国の盗は逃げて秦に奔る。是に於て晋侯為に冕服を王に請ひ、王随会に命じて卿と為し、是を以て範を受け、卒して武子と諡す。武子は文にして、晋・荊の盟を成し、兄弟の国を降し、間隙無からしむ、是を以て郇・櫟を受く。此に由りて帝堯の後に、陶唐氏・劉氏・御龍氏・唐杜氏・隰氏・士氏・季氏・司空氏・趙氏・範氏・郇氏・櫟氏・嬴(彘)氏・冀氏・穀氏・薔氏・擾氏・㩏(狸)氏・傅氏有り。
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『潜夫論』誌氏姓昔堯契に姓を賜いて姫とし、禹に姓を賜いて姒とし、氏して有夏と曰い、伯夷を姜と為し、氏して有呂と曰う。下りて三代に及び、官に世功有れば、則ち官族有り、邑も亦た之の如し。後世微末にして、是に因りて以て姓と為せば、則ち改むる能わず。故に或いは本姓を伝え、或いは号・邑・諡に氏し、或いは爵に氏し、或いは志に氏す。若し夫れ五帝三王の世は、所謂号なり。文・武・昭・景・成・宣・戴・桓は、所謂諡なり。斉・魯・呉・楚・秦・晋・燕・趙は、所謂国なり。王氏・侯氏・王孫・公孫は、所謂爵なり。司馬・司徒・中行・下軍は、所謂官なり。伯有・孟孫・子服・叔子は、所謂字なり。巫氏・匠氏・陶氏は、所謂事なり。東門・西門・南宮・東郭・北郭は、所謂居なり。三烏・五鹿・青牛・白馬は、所謂志なり。凡そ厥の姓氏は、皆出属にして勝げて紀すべからざるなり。
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『潜夫論』誌氏姓梁・葛・江・黄・徐・莒・蓼・六・英に及ぶまで、皆皋陶の後なり。鍾離・運掩・菟裘・尋梁・修魚・白寘・飛廉・密如・東灌・良時・白巴・公巴・公巴・郯・複・蒲は、皆嬴姓なり。
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