潜夫論 / 實邊
夫土地者,民之本也,誠不可久荒,以開墾。且扁鵲之治病也,審閉結而通鬱,虛者補之,實者瀉之,故病愈而名顯。伊尹之佐湯也,設輕重而通有無,損積餘以補不足,故殷治而君尊。賈誼痛於偏枯躄痱之疾。今邊郡千里,地各有兩縣,戶財置敢百,而太守周回萬里,空無人民,美田棄而莫墾發,中州內郡,規地拓境,不能生邊,而口戶百萬,田畝一全,人眾地荒,無所容足,此亦偏枯躄痱之類也。《周書》曰:「土多人少,莫出其材,是謂虛土,可襲伐也;土少人眾,民非其民,可遺竭也。」是故土地人民必相稱也。今邊郡多害而役劇,動入禍門,不為興利除害,有以勸之則長無與複之,而門有寇戎之心,西羌北虜,必生窺欲,誠大憂也。百工製器,鹹填其邊,散之兼倍,豈有私哉,乃所以固其內爾。
新字:夫土地者,民之本也,誠不可久荒,以開墾。且扁鵲之治病也,審閉結而通鬱,虚者補之,実者瀉之,故病愈而名顕。伊尹之佐湯也,設軽重而通有無,損積余以補不足,故殷治而君尊。賈誼痛於偏枯躄痱之疾。今辺郡千里,地各有両県,戸財置敢百,而太守周回万里,空無人民,美田棄而莫墾発,中州内郡,規地拓境,不能生辺,而口戸百万,田畝一全,人衆地荒,無所容足,此亦偏枯躄痱之類也。《周書》曰:「土多人少,莫出其材,是謂虚土,可襲伐也;土少人衆,民非其民,可遺竭也。」是故土地人民必相称也。今辺郡多害而役劇,動入禍門,不為興利除害,有以勧之則長無与複之,而門有寇戎之心,西羌北虜,必生窺欲,誠大憂也。百工製器,鹹填其辺,散之兼倍,豈有私哉,乃所以固其内爾。
書き下し
夫れ土地は民の本なり、誠に久しく荒らして以て開墾すべからざるべからず。且つ扁鵲の病を治むるや、閉結を審らかにして鬱を通じ、虚なる者は之を補い、実なる者は之を瀉す、故に病愈えて名顕る。伊尹の湯を佐くるや、軽重を設けて有無を通じ、積餘を損じて不足を補う、故に殷治まりて君尊し。賈誼は偏枯・躄痱の疾を痛む。今辺郡千里、地に各おの両県有り、戸財に置くこと敢えて百、而るに太守周回すること万里、空しくして人民無く、美田棄てて墾発する莫し。中州の内郡は、地を規り境を拓くも、辺を生かす能わず、而して口戸百万、田畝一全、人衆く地荒れ、足を容るる所無し、此れ亦た偏枯・躄痱の類なり。《周書》に曰く、「土多く人少なければ、其の材を出す莫し、是れ虚土と謂う、襲伐すべきなり。土少なく人衆ければ、民其の民に非ず、遺竭すべきなり」と。是の故に土地・人民は必ず相い称うべし。今辺郡は害多くして役劇しく、動もすれば禍門に入る。興利除害を為さず、以て之を勧むる有れば則ち長く与に複する無く、而して門に寇戎の心有り、西羌・北虜、必ず窺欲を生ず、誠に大憂なり。百工の器を製するは、鹹な其の辺に填たし、之を散ずること兼倍、豈に私有らんや、乃ち其の内を固くする所以なるのみ。
現代語訳
土地は民の根本であり、長く荒れたままにして開墾しないでいてはなりません。扁鵲が病を治すときは、塞がり結ばれたところをよく見極めて滞りを通し、虚の者は補い、実の者は瀉しました。だから病が癒えて名が顕れたのです。伊尹が湯を補佐したときは、物価の軽重を設けて有無を通じさせ、余りを削って不足を補いました。だから殷は治まり、君主は尊ばれたのです。賈誼は、体の片側が萎えて麻痺するような疾を痛みました。いま辺境の郡は千里にわたり、土地ごとにそれぞれ二県があるものの、戸数はわずか百ほどで、太守の管轄は周囲一万里に及び、空っぽで人民がおらず、美田が捨てられて開墾する者もいません。一方、中州の内郡は、土地を測り境を広げても辺境を生かせず、人口は百万戸にのぼり、田畝は一つに満ち、人が多く土地が荒れ、足を置く場所もありません。これもまた片方が萎えて麻痺する類の病です。『周書』に「土地が多く人が少なければ、その資源を生み出せない。これを虚土といい、襲い討たれる。土地が少なく人が多ければ、民は自分の民でなくなり、尽き果てる」とあります。だから土地と人民は必ず釣り合っているべきです。いま辺境の郡は害が多く役務も重く、動けばすぐ禍の門に入ります。利益を興し害を除くことをせず、勧めることもあれば長く復免する者もなく、門には賊の心があり、西羌や北の賊は必ず窺い狙うでしょう。まことに大きな憂いです。職人が器を作るにも、みなこれを辺境に充て、散らして倍にするのは、私的な利益のためではなく、内地を固めるためなのです。
解説
この章句が説くこと
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『潜夫論』實邊先聖法を製するも、亦た辺を実たすを務むるは、蓋し以て中国を安んずるなり。譬えば猶お家人の寇賊に遇うや、必ず老小羸軟をして其の中央に居らしめ、丁強武猛をして其の外を衛らしむるが如し。内の人は其の養を奉じ、外の人は其の難を禦ぐ。蛩蛩と距虚と、更ごも相い恃み仰ぎ、乃ち俱に安存す。詔書の法令に、二十万口、辺郡は十万、歳に孝廉一人を挙げ、員除は世に廉吏一人を挙ぐ。羌反して以来、戸口減少し、又数しば太守を易え、十歳に至るまで挙ぐるを得ず。職に当たって勤労すれども録されず、賢俊蓄積して悉く、衣冠覬望する所無く、農夫利を貪る所無し。是を以て稼を逐いて中に災い、肯えて外に就く莫し。古の其の民を利するは、之を誘うに利を以てし、脅すに刑を以てせず。《易》に曰く、「先王以て方を省み民を観て教えを設く」と。是の故に建武の初め辺郡を得て、戸数百と雖も、令して歳に孝廉を挙げ、以て来人を召く。今誠に宜しく時に権り、辺郡をして孝一人を挙げしめ、廉吏世ごとに一を挙げしむべし。又益して明経百石一人を置き、内郡の人の妻子を将いて来り召著する者、五歳以上は、居民と同じく、均しく皆選挙を得しむ。又運民を募り、辺に耕して穀を入れしめ、遠郡は千斛、近郡は二千斛、爵五大夫を拝す。爵を欲せざる者は、食を内郡の倍賈にせしむ。是くの如くんば、君子・小人、各おの利する所有り、則ち往かざらしめんと欲すと雖も、正す能わざるなり。此の苦楽を均しくし、徭役を平らかにし、辺境を充たすは、中国を安んずるの要術なり。
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『潜夫論』實邊夫れ国を製する者は、必ず遠近の情偽を照察し、禍福の従りて来る所に預かり、乃ち能く群臣の筋力を尽くして、其の邦家を保興す。前に羌始めて叛くや、草創新たに起こり、器械未だ備わらず、虜は或いは銅鏡を持ちて以て兵に象り、或いは板案を負いて以て楯に類す、惶懼擾攘して、未だ一城を相い持つ能わず、製し易きのみ。郡県皆大いに熾んにして、百姓暴かに殃禍を被るに及び、財貨を亡失し人哀奮怒し、各おの仇に報いんと欲するに、将帥は皆怯劣軟弱にして、敢えて討撃せず。但だ坐して文書を調え、以て朝廷を欺き、実に民を殺すこと百なれば則ち一と言い、虜を殺すこと一なれば則ち百と言う。或いは虜実に多くして之を少なしと謂い、或いは実に少なくして之を多しと謂う。傾側巧文、要は身を便にし己を利するを取るにして、独り国の大計を憂い、民の死亡を哀れむに非ず。又銭穀を放散し、府庫を殫尽し、乃ち復た民より仮貸し、財貨を強奪す。千万の家、身を削りて余り無く、万民遺れ竭き、因りて随いて死亡する者は、皆吏の餓殺する所なり。其の酷痛たること、虜に逢うより甚だし。寇鈔賊虜は、忽然として過ぎ、未だ必ずしも死傷せず、搜索剽奪する所をして、遊踵塗地ならしむるに至る。或いは宗を覆し族を滅ぼし、絶えて種類無く、或いは孤婦女、人の奴婢と為り、遠く販売せられ、今に至るまで自ら治むる能わざる者は勝げて数うべからざるなり。此の天を感ぜしめ災いを致し、尤も陰陽に逆うなり。且つ夫れ士は遷るを重んじ、墳墓を恋慕するは、賢不肖の同じくする所なり。
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『潜夫論』實邊民の徙るに於ける、法に伏するより甚だし。法に伏するは家の一人死するに過ぎざるのみ。諸もろ財貨を亡失し、土を奪われ遠く移れば、風俗に習わず、水土に便ならず、類ね多く門を滅し、能く還る者は少なし。代馬は北を望み、狐死して丘に首す。辺民は謹頓にして、尤も内に留まるを悪む。禍人たるを知ると雖も、猶お其の緒業を守らんことを願う。其の本処に死すとも、誠に之を去るを欲せざるの極みなり。太守令長は、軍事を畏悪し、皆素より此の土の人に非ざるを以て、痛み身に著かず、禍我が家に及ばず、故に郡県を争いて以て内遷す。吏兵を遣わし、民の禾稼を発し、屋室を発徹し、其の営壁を夷らげ、其の生業を破るに至り、強いて劫駆して、与に内に入り、羸弱を捐棄し、其の処に死せしむ。此の時に当たり、万民怨痛し、泣血叫号し、誠に鬼神を愁えしめ天心を感ぜしむ。然れども小民は謹劣にして、自ら闕庭に達する能わず、官吏の家に依り、迫られて将に嚴を滅ぼさんとして、敢えて摯有らず。民既に土を奪われ業を失い、又蝗旱饑に遭い、遺逐して道に東走し、流離分散し、幽・冀・兗・豫、荊・楊・蜀・漢にて、饑餓死亡し、復た太半を失う。辺地遂に兵荒を以て、今に至るまで人無し。禍の起こる所を原ぬるに、皆吏の過ちのみ。
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『潜夫論』救邊衝を折き民を安んずるは、要は賢に任ずるに在り、境を促むるに在らず。斉・魏の守りを卻け、国以て安んぜず、子嬰自ら削り、秦以て在らず。武皇帝夷を攘い境を拆き、麵ること数千里。東は楽浪を開き、西は敦煌を置き、南は交阯を逾え、北は朔方を築く。卒に南越を定め、大宛を誅斬し、武軍の向う所、夷滅せざる無し。今虜近く封畿の内に発して、擒にする能わざるは、亦た自ら痛むのみ、辺有るの過ちに非ざるなり。唇亡べば歯寒く、体傷つけば心痛むは、必然の事、又何ぞ疑わんや。君子は機を見る、況んや已に著るるをや。乃者辺の害、震うこと雷霆の如く、赫たること日月の如くにして、談ずる者皆之を諱み、日に焱並んで竊盗す、浅浅として善く靖んじ、君子をして怠らしめんとし、朝廷をして寇を以て小と為し、蚤に憂えざらしめんと欲す。害乃ち此に至るも、尚お救うを欲せず。諺に曰く、「痛み身に著かざれば之を忍ぶと言い、銭家を出でざれば之を与うと言う」と。仮使い公卿の子弟、羌禍を被り、朝夕切急なること辺民の如き者有らば、則ち競いて当に羌を誅すべしと言わん。今苟くも己に惨怛冤痛無きを以て、故に端坐して相い仍ぎ、又防禦の備えを明らかに修めず、陶陶として閑澹、臥して天聴に委ぬ。羌独り往来し、深く入りて多く殺すも、己は乃ち陸陸として、相い将いて闕に詣り、辞を諧え礼謝し、退きて状を云う。
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『潜夫論』邊議夫れ小民を以て、天の永命を受く、竊かに願わくは聖主の深く国基の傷病を惟い、遠く禍福の生ずる所を慮らんことを。且つ夫れ物に盛衰有り、時に推移有り、事に激会有り、人に愛化有り。智者は象を揆る、亦た宜ならずや。孟明は闕を河西に補い、范蠡は責を故胥に収む、是を以て大功は当世に建ち、令名は無窮に伝うるなり。今辺陲搔擾し、日に族禍を放ち、百姓昼夜朝廷の己を救うを望むに、公卿は費煩にして不可なりと以為い、徒だ之を竊籠するのみ。是れ晏子の囷倉の蓄えを軽んじ、一杯の鑽を惜しむと何ぞ異ならん。今但だ薄きを見る銭穀を愛するを知りて、未だ見ざる民を待つの先なるを知らず。徭役の出で動き難きを知りて、中国の辺の寧きを待つを知らず。《詩》は「或いは叫号を知らず、或いは惨惨として劬労す」を痛む。今公卿苟くも己の傷を被らざるを以て、故に競いて国家の地を割き以て敵に与え、主上の民を殺し以て羌に餒う。謀を為すこと此の若きは、未だ知と謂うべからず。臣と為ること此の若きは、未だ忠と謂うべからず。才智未だ議せしむるに足らず。且つ凡そ四海の内は、聖人の子孫に遺す所以なり。官位職事は、群臣の其の身を寄する所以なり。子孫に伝うる者は、万世を安んずるを思う。其の身を寄する者は、各おの一闋を取る。故に常に其の言は久しく行われず、其の業は久しく厭くべからず。夫れ此れ誠に明君の微かに察する所にして、聖主の独り断ずる所なり。
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