千字文 / 『千字文』功臣と名宰相の働き
府羅將相 路俠槐卿 戶封八縣 家給千兵 高冠陪輦 驅轂振纓 世祿侈富 車駕肥輕 策功茂實 勒碑刻銘 磻溪伊尹 佐時阿衡 奄宅曲阜 微旦孰營 桓公匡合 濟弱扶傾 綺迴漢惠 說感武丁 俊乂密勿 多士寔寧
新字:府羅将相 路侠槐卿 戸封八県 家給千兵 高冠陪輦 駆轂振纓 世禄侈富 車駕肥軽 策功茂実 勒碑刻銘 磻渓伊尹 佐時阿衡 奄宅曲阜 微旦孰営 桓公匡合 済弱扶傾 綺迴漢恵 説感武丁 俊乂密勿 多士寔寧
書き下し
府には将相を羅ね 路には槐卿を俠む 戸は八県を封ぜられ 家は千兵を給わる 高冠もて輦に陪し 轂を駆りて纓を振う 世禄は侈り富み 車駕は肥え軽し 功を策し実を茂くし 碑を勒し銘を刻む 磻溪の伊尹は 時を佐くる阿衡 奄ち曲阜に宅せしは 旦に微ければ孰か営まん 桓公は匡合し 弱を済い傾を扶く 綺は漢の恵を迴し 説は武丁を感ぜしむ 俊乂は密勿し 多士は寔に寧し
現代語訳
官邸には将軍や宰相が並び、道の両側には三公九卿が連なります。 八県の領地を与えられ、家には千人の兵が支給されます。 高い冠をつけて天子の輦に付き従い、車を走らせて冠の紐を振るわせます。 代々の俸禄は豊かで、車馬は肥え軽やかです。 功績を記して実を盛んにし、碑を立て銘を刻みます。 磻溪で釣りをした太公望と伊尹は、時の世を佐ける宰相の阿衡でした。 曲阜に邸を構えさせたのは、周公旦がいなければ誰が営んだでしょうか。 斉の桓公は諸侯をまとめ、弱い国を救い、傾く国を支えました。 綺里季らは漢の恵帝の地位を救い、傅説は殷の武丁を感動させました。 優れた人材が力を尽くしてはげむので、多くの士は本当に安らかです。
解説

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