説苑 / 尊賢
鄒子說梁王曰:「伊尹故有莘氏之媵臣也,湯立以為三公,天下之治太平。管仲故成陰之狗盜也,天下之庸夫也,齊桓公得之以為仲父。百里奚道之於路,傳賣五羊之皮,秦穆公委之以政。甯戚故將車人也,叩轅行歌於康之衢,桓公任以國。司馬喜髕腳於宋,而卒相中山。范睢折脅拉齒於魏而後為應侯。太公望故老婦之出夫也,朝歌之屠佐也,棘津迎客之舍人也,年七十而相周,九十而封齊。故詩曰:『綿綿之葛,在於曠野,良工得之,以為絺紵,良工不得,枯死於野。』此七士者,不遇明君聖主,幾行乞丐,枯死於中野,譬猶綿綿之葛矣。」
新字:鄒子説梁王曰:「伊尹故有莘氏之媵臣也,湯立以為三公,天下之治太平。管仲故成陰之狗盗也,天下之庸夫也,斉桓公得之以為仲父。百里奚道之於路,伝売五羊之皮,秦穆公委之以政。甯戚故将車人也,叩轅行歌於康之衢,桓公任以国。司馬喜髕腳於宋,而卒相中山。范睢折脅拉齒於魏而後為応侯。太公望故老婦之出夫也,朝歌之屠佐也,棘津迎客之舎人也,年七十而相周,九十而封斉。故詩曰:『綿綿之葛,在於曠野,良工得之,以為絺紵,良工不得,枯死於野。』此七士者,不遇明君聖主,幾行乞丐,枯死於中野,譬猶綿綿之葛矣。」
書き下し
鄒子梁王に説きて曰く、「伊尹は故と有莘氏の媵臣なり。湯立てて以て三公と為し、天下の治まること太平なり。管仲は故と成陰の狗盗なり、天下の庸夫なり、斉の桓公之を得て以て仲父と為す。百里奚は路に道い、伝えて五羊の皮を売り、秦の穆公之に政を委ぬ。甯戚は故と車を将くる人なり、轅を叩きて康の衢に行歌し、桓公任ずるに国を以てす。司馬喜は宋に髕脚せられて、卒に中山に相たり。范睢は魏に脅を折られ歯を拉がれて後応侯と為る。太公望は故と老婦の出す夫なり、朝歌の屠佐なり、棘津の客を迎うる舎人なり、年七十にして周に相たり、九十にして斉に封ぜらる。故に詩に曰く、『綿綿たる葛、曠野に在り、良工之を得れば、以て絺紵と為し、良工之を得ざれば、野に枯死す』と。此の七士は、明君聖主に遇わずんば、幾ど乞丐を行い、中野に枯死せんとす、譬えば猶お綿綿たる葛のごときなり」と。
現代語訳
鄒子が梁王に説いた。「伊尹はもと有莘氏の嫁入り奴隷でしたが湯王に取り立てられ三公となり天下は太平になりました。管仲はもと成陰のこそ泥でしたが桓公に登用され仲父となりました。百里奚は五枚の羊皮で自ら売られましたが穆公に政治を委ねられました。甯戚は荷車引きでしたが歌を聞かれて国を任されました。司馬喜は膝の刑を受けましたが中山の宰相になりました。范睢は脇腹と歯を折られましたが後に応侯となりました。太公望はもと離縁された夫、屠殺場の下働き、宿の使用人でしたが七十歳で周の宰相、九十歳で斉に封じられました。詩に『広野に生える延々と続く葛は、良い職人が得れば上等な布になるが、得なければ野で枯れ死ぬ』とあります。この七人の賢士も、明君・聖主に出会わなければ物乞いをして野で枯れ死んでいたことでしょう。まさにあの葛と同じなのです。」
解説
この章句が説くこと
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