省諐録 / 第52条
襄予偕一二友生。爲鎌倉之遊。遂泛海。過荒岬。抵城島。泊三崎。歷松輪。宿宮田。次浦賀。上猿嶼。觀於金澤。出本牧而還都。其往來所由。觀設防堵備海寇。無慮十餘所。而錯置皆不得法。無一可當防截之選者。至此不覺仰天浩歎。擗胸流涕者。久之。夫江都。天下之咽喉也。富津洲觜。雖稱曰天險。海口猶闊。非有戰艦水軍。固難以遏敵人侵攘窺伺。今是之不務。設爲癡堵呆堞。高揭之於海表。此示我無謀於海外也。頃年東西諸蕃。寄舶遊偵。豈不開輕我之心哉。吏員庸流。固不足謫。其金鞍華鞲。綾衣肉食。自謂高出等類者。不知天下之大計。糜國財用。以爲此無益之務。抑何歟。有如虜舶馳突。將何以折衝禦侮。因欲上疏論海防利病。冀以裨時政之萬一。具草請之先公。先公不許。遂止。是嘉永庚戌之首夏也。後四年。果墨夷之事起。登時先公尼予上書者。蓋懼觸忤抵罪也。其蓋覆之仁。亦大矣。今日使先公在世。知予拘囚。則其爲憂勞。又當何如。
新字:襄予偕一二友生。為鎌倉之遊。遂泛海。過荒岬。抵城島。泊三崎。歴松輪。宿宮田。次浦賀。上猿嶼。観於金沢。出本牧而還都。其往来所由。観設防堵備海寇。無慮十余所。而錯置皆不得法。無一可当防截之選者。至此不覚仰天浩嘆。擗胸流涕者。久之。夫江都。天下之咽喉也。富津洲觜。雖称曰天険。海口猶闊。非有戦艦水軍。固難以遏敵人侵攘窺伺。今是之不務。設為痴堵呆堞。高掲之於海表。此示我無謀於海外也。頃年東西諸蕃。寄舶遊偵。豈不開軽我之心哉。吏員庸流。固不足謫。其金鞍華鞲。綾衣肉食。自謂高出等類者。不知天下之大計。糜国財用。以為此無益之務。抑何歟。有如虜舶馳突。将何以折衝禦侮。因欲上疏論海防利病。冀以裨時政之万一。具草請之先公。先公不許。遂止。是嘉永庚戌之首夏也。後四年。果墨夷之事起。登時先公尼予上書者。蓋懼触忤抵罪也。其蓋覆之仁。亦大矣。今日使先公在世。知予拘囚。則其為憂労。又当何如。
書き下し
襄に予一二の友生と偕に、鎌倉の遊を為し、遂に海に泛かび、荒岬を過ぎ、城島に抵り、三崎に泊し、松輪を歴て、宮田に宿し、浦賀に次り、猿嶼に上り、金澤を観、本牧に出でて都に還る。其の往来由る所、設くる所の防堵を観ること、海寇に備ふるもの、無慮十余所、而して錯置は皆法を得ず、一も防截の選に当たるべき者無し。此に至りて、覚えず天を仰ぎて浩歎し、胸を擗ちて涕を流す者、久し。夫れ江都は、天下の咽喉なり。富津の洲觜、称して天険と曰ふと雖も、海口は猶ほ闊し。戦艦水軍有るに非ざれば、固より以て敵人の侵攘窺伺を遏め難し。今は是れを務めず、癡堵呆堞を設け、高く之を海表に掲ぐ。此れ我が海外に謀る無きを示すなり。頃年東西の諸蕃、舶を寄せて遊偵す、豈に我を軽んずるの心を開かざらんや。吏員は庸流、固より謫むるに足らず。其の金鞍華鞲、綾衣肉食、自ら謂ひて高く等類に出づる者は、天下の大計を知らず、国の財用を糜して、此の無益の務めを為す、抑も何ぞや。如し虜舶馳突すること有らば、将た何を以て折衝禦侮せん。因りて上疏して海防の利病を論じ、以て時政の万一を裨けんと欲し、草を具して之を先公に請ふ。先公許さず、遂に止む。是れ嘉永庚戌の首夏なり。後四年、果たして墨夷の事起こる。登時先公の予が上書を尼むるは、蓋し触忤して罪に抵るを懼れしならん。其の蓋覆の仁、亦た大なり。今日、先公をして在世せしめば、予が拘囚を知らば、則ち其の憂労、又当に何如なるべき。
現代語訳
さきに私は一、二の友人たちとともに、鎌倉に遊び、そのまま海に舟を浮かべ、荒岬を過ぎ、城島に着き、三崎に泊まり、松輪を経て、宮田に宿り、浦賀に至り、猿嶼に上り、金澤を見て、本牧に出て都に帰りました。その往き来に通った所で、設けられた防塁で海賊への備えとされているものを見ると、およそ十余か所あり、どれも配置が法にかなっておらず、一つとして防ぎ止める役に立てる選に当たるものがありません。ここに至って、思わず天を仰いで大きく嘆き、胸を打って涙を流すことが久しくありました。そもそも江戸は天下の咽喉です。富津の洲の先は天然の要害だと言われますが、海の入り口はなお広く、戦艦と水軍がなければ、もとより敵の侵略やのぞき見を防ぎ止めがたいのです。今はこれに努めず、愚かな塁や砦を設けて、高く海の表に掲げています。これは、我が国が海外のことを何も考えていないと示すものです。近年、東西の諸蕃が船を寄せて探っています。我を軽んじる心を開かせないことがあるでしょうか。役人たちは凡庸で、もとより責めるにも足りません。しかし、金の鞍や立派な籠手、綾の衣に肉食、自らは他より高く出た者だと言う人々が、天下の大計を知らず、国の財を費やして、このような無益な務めをする。いったいどうしたことでしょう。もし虜の船が突き進んできたら、何をもって敵を押し返し侮りを防ぐのでしょうか。そこで上疏して海防の利と害を論じ、時の政治に万一でも補いたいと考え、草稿を作って先公に願い出ました。先公は許さず、そこで止めました。これは嘉永庚戌の初夏のことです。四年後、はたして墨夷の事が起こりました。あのとき先公が私の上書を止められたのは、おそらく、触れ忤って罪に当たることを恐れてのことでしょう。その覆い守る仁も、大きなものです。今日、先公が存命で、私が拘留されていることを知られたなら、その憂いと心労は、またどれほどでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『省諐録』第53条川路司農、大阪市尹より転任し、防海の事に与り聞く。予旧く厚交有り。因りて擬上書の旧稿を出して之に示し、近都の防堵修築法無く、実用に適せざるを極言す。司農も亦た未だ甚だしくは之を信ぜず。墨夷の事興るに及びて、一として予が嘗て論ずる所の如くならざるは無し。是に於て始めて深く予が言を納る。一日予に謂ひて曰く、子言ふ所有らんと欲せば、吾能く之を閣老に達せん。予曰く、僕の言はんと欲する所の者は、君の為に傾倒して幾んど尽くせり。君能く之を言ひ、君能く之を行はば、天下の福なり。僕は但だ天下の福を求むるのみ。上書して名を釣るは、其の本心に非ざるなりと。人材を選び、船を海外に購ふの策を論ずるに及びて、司農沮色有り。予曰く、是れ当今の先務の急にして、君猶ほ故常に率掣して、発言する能はず。他は尚ほ何をか望まん。僕当に上書して以て之を道ふべしと。乃ち急務十事を条疏し、司農に因りて之を阿部閣老に上る。報ぜず。吉田生の獄起こるに至りて、亦た少しも明察を蒙らず。故常の変じ易からず、時勢の明らかにすべからざること、此くの如し。天下の大計を知らず、将に何れの日にか能く立たん。
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『省諐録』第26条予久しく意を海防に畱む。其の發明する所、自ら前人の未だ及ばざる者有りと謂ふ。然れども卒に此に由りて禍を取る。亦非常の原、常人と異なるのみ。君相如し省悟する時有らば、則ち吾が志の行はるること必せり。
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『省諐録』第51条・第2段自ら已む能はず。警衛守禦の方も、亦た自ら厳ならざるを得ず。又親しく彼の長ずる所を観て、以て我が智巧を速進すべし。是れ其の多利たる所以なり。如し下田に退かば、人心必ず弛み、守衛必ず懈らん。而して虜舶は迅速にして、繋縻し難し。横浜に在ると下田に在ると、其の江戸腹心の患たること、則ち閒、髪を以てする能はず。故に吾謂へらく、横浜を以て之に仮すを愈れりと為すに如かずと。是れ天下の大計なり。君士卒を総べて茲に在り、以て黙すべからず。上書して公に乞ひ、献策有るべしと。望月曰く、然り。然れども吾が上書は子の上言に如かずと。乃ち予に命じて江戸に還らしめ、之を公に告ぐ。沮む者有りて、果たさず。公、予の自ら之を為すを許す。是に於て竊かに建白する有り。又門人長岡の小林虎をして其の主侯に上書し、大計を開陳せしむ。又之をして阿部閣老の親幸する所に見えしめ、為に其の利害を論じ、時に因りて規諫し、挽回する所有らんと欲す。並びに皆行はれず。小林生此を以て主侯の譴を獲、遂に辞して国に帰る。
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『省諐録』第50条・第3段本藩の武功の盛名、此の輩の為に壊隳せらる。豈に忍ぶべけんや。乃ち望月と謀り、人をして之に謂はしむ、公等の区処する所の如くんば、是れ我が兵を以て夷虜に備ふるに非ず、夷虜の為に、邦民を禁呵するのみ。邦民を禁呵するは、固より士大夫を煩はすべからず、亦た兵器を用ふる無し。径路毎に、健児一二名を出し、青竹杖を執りて誰何すれば足らん。但だ江戸に受けし所の命は、則ち応接の日を廃すべからず。吾が藩当に別に士卒を出し、陣を山閒に整へ、以て非時の変に備ふべきのみ。此れ公等の事を敗らず、又吾が職を墜とさず、豈に亦た両つながら得ざらんや、と。官吏復た曰く、言皆理に当たる。然れども官両藩の人士を発するの事、吾輩既に之を夷人に告ぐ。若し其の人を出さずして、陣を隠僻の地に設くれば、夷人必ず吾に異志有るかと疑はん。応接諧はず、是れ亦た官の累ひなり。必ず吾が言に曲従せよ。其の布陣収散離合の如きは、唯だ意の命ずる所なり。吾輩敢へて掣肘せずと。予と望月、憤愠して楽しまずと雖も、亦た奈何ともする無し。当日一哨を作して、之を田畝の閒に置き、以て其の責を塞ぐ。嗚呼、国用を耗損し、士卒を勤労し、思慮計画を尽くして、同じく児戯を為す。浩歎に付すべきのみ。
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『省諐録』第46条先公相臺に登り、嗣いで防海の事を管す。時に英夷清国を寇し、声勢相逼る。予時事に感慨し、上書して策を陳ぶ。実に天保壬寅十一月なり。後に清の魏源の聖武記を観るに、亦た時事に感慨して著す所にして、其の書の序も、又是の歳の七月に作る。則ち予が上書に先んずること、廑かに四月なり。而して其の論ずる所、往往にして約せずして同じき者有り。嗚乎、予と魏と、各おの異域に生まれ、相ひ姓名を識らず。時に感じて言を著すこと、同じく是の歳に在り、而して其の見る所も、亦た闇合する者有り。一に何ぞ奇なるや。真に海外の同志と謂ふべし。但だ魏は云ふ、上世より以来、中国に海防有りて、海戦無し。遂に堅壁清野を以て、岸奸を杜絶するを、防海の家法と為す。予は則ち盛んに礮艦の術を講じて、邀撃の計を為し、駆逐防截して、以て賊の死命を外海に制せんと欲す。是れ異なるのみ。
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『省諐録』第50条・第2段今、大礟を以て横浜に入るれば、夷人或いは其の守衛の厳なるを憚り、他地に移さんことを請はん。官の累ひなり。望月已むを得ず之に従ふ。退きて曰く、官命もて約束を聴かしむとは、幾んど是れか、と。護衛の地を相るに及び、官吏曰く、東は海涘に起こり、西に行くこと二百歩、折れて北に行くこと又之の如し、是れ其の所なりと。予之を聞きて驚駭し、其の地を詳らかにするに、南のかた応接の便坐を距たること、二百歩を下らず、民屋・樹林の其の閒に在る有り。初め江戸に在りしとき、竊かに意ふに、官吏兵を諳んぜずと雖も、自ら国体有り、且つ二藩の兵を得て、当に密に便坐を囲繞して以て警禦を厳にすべし、と。図らざりき、其の区処の陋なること斯に至らんとは。因りて建議して曰く、大礟は則ち官吏之を停む、今有する所の者は、小銃のみ。小銃力を逞しくするは、百歩内に非ざれば不可なり。且つ銃卒百名を踰えず、短兵を執る者は、五十名に過ぎず。夷虜集会の所を距たること、二百歩の外に遠陣し、又三四百歩の閒の田に散守すれば、惟だ警禦に益無きのみならず、適に以て虜の侮慢を導くに足る。去歳浦賀の応接、護衛法無く、夷虜之を噬み、邦人之を恥づ。而るに少しも省悟せず、今又此の児戯を為す。官吏の不肖、固より道ふに足らず。
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