省諐録 / 第50条・第2段
今以大礟入橫濱。夷人或憚其守衛之嚴。請移於他地。官之累也。望月不得已從之。退曰。官命使聽約束者。幾是乎。及相護衛之地。官吏曰。東起于海涘。西行二百步。折而北行又如之。是其所也。予聞之驚駭。詳其地。南距應接便坐。不下二百步。有民屋樹林在其閒。初在江戶。竊意官吏雖不諳兵。自有國體。且得二藩兵。當密圍繞便坐。以嚴警禦。不圖其區處之陋至斯也。因建議曰。大礟則官吏停之。今所有者。小銃而已。小銃逞力。非百步內不可。且銃卒不踰百名。執短兵者。不過五十名。距夷虜集會之所。遠陣於二百步之外。又散守三四百步之閒田。不惟無益於警禦。適足以導虜之侮慢。去歲浦賀應接。護衛無法。夷虜噬之。邦人恥之。而不少省悟。今又爲此兒戲。官吏不肖。固不足道。
新字:今以大礟入横浜。夷人或憚其守衛之厳。請移於他地。官之累也。望月不得已従之。退曰。官命使聴約束者。幾是乎。及相護衛之地。官吏曰。東起于海涘。西行二百歩。折而北行又如之。是其所也。予聞之驚駭。詳其地。南距応接便坐。不下二百歩。有民屋樹林在其閒。初在江戸。窃意官吏雖不諳兵。自有国体。且得二藩兵。当密囲繞便坐。以厳警禦。不図其区処之陋至斯也。因建議曰。大礟則官吏停之。今所有者。小銃而已。小銃逞力。非百歩内不可。且銃卒不踰百名。執短兵者。不過五十名。距夷虜集会之所。遠陣於二百歩之外。又散守三四百歩之閒田。不惟無益於警禦。適足以導虜之侮慢。去歳浦賀応接。護衛無法。夷虜噬之。邦人恥之。而不少省悟。今又為此児戯。官吏不肖。固不足道。
書き下し
今、大礟を以て横浜に入るれば、夷人或いは其の守衛の厳なるを憚り、他地に移さんことを請はん。官の累ひなり。望月已むを得ず之に従ふ。退きて曰く、官命もて約束を聴かしむとは、幾んど是れか、と。護衛の地を相るに及び、官吏曰く、東は海涘に起こり、西に行くこと二百歩、折れて北に行くこと又之の如し、是れ其の所なりと。予之を聞きて驚駭し、其の地を詳らかにするに、南のかた応接の便坐を距たること、二百歩を下らず、民屋・樹林の其の閒に在る有り。初め江戸に在りしとき、竊かに意ふに、官吏兵を諳んぜずと雖も、自ら国体有り、且つ二藩の兵を得て、当に密に便坐を囲繞して以て警禦を厳にすべし、と。図らざりき、其の区処の陋なること斯に至らんとは。因りて建議して曰く、大礟は則ち官吏之を停む、今有する所の者は、小銃のみ。小銃力を逞しくするは、百歩内に非ざれば不可なり。且つ銃卒百名を踰えず、短兵を執る者は、五十名に過ぎず。夷虜集会の所を距たること、二百歩の外に遠陣し、又三四百歩の閒の田に散守すれば、惟だ警禦に益無きのみならず、適に以て虜の侮慢を導くに足る。去歳浦賀の応接、護衛法無く、夷虜之を噬み、邦人之を恥づ。而るに少しも省悟せず、今又此の児戯を為す。官吏の不肖、固より道ふに足らず。
現代語訳
(官吏の言葉の続き)いま大砲を横浜に入れれば、外国人は守りの厳しさを嫌って、別の場所への移動を求めるかもしれません。それは役所の迷惑になります。望月はやむなくこれに従いました。退いて言うには、役所の命で指図に従えとは、これほどのことだったのか、と。護衛の地を見るに及んで、官吏は、東は海の岸から始まり、西へ二百歩行き、折れて北へまた同じだけ行く、これがその場所です、と言いました。私はこれを聞いて驚き、その地を詳しく調べると、南のかた応接の席から二百歩を下らない距離があり、民家や木立がその間にありました。はじめ江戸にいたときは、官吏が兵に通じていなくても、おのずから国の体面というものがあり、そのうえ二藩の兵を得るのだから、きっと密に応接の席を囲んで警備を厳しくするだろうと、ひそかに思っていました。その取り計らいがこれほど粗末だとは思いませんでした。そこで建議して言いました。大砲は官吏がとどめました。いま手元にあるのは小銃だけです。小銃が力を発揮するのは百歩の内でなければなりません。しかも銃卒は百名を超えず、短い武器を執る者は五十名にすぎません。外国人の集まる場所から二百歩の外に遠く陣を敷き、さらに三、四百歩の間の田に散らして守るなら、警備に益がないばかりか、かえって虜の侮りを招くに足ります。去年の浦賀の応接では護衛に方法がなく、夷虜に食われ、国の人々は恥じました。それなのに少しも反省せず、今またこの児戯をやっています。官吏の不肖はもとより言うまでもありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『省諐録』第50条・第1段今春、墨虜の来たるや、官横浜に便坐を設け、以て応接の所と為し、松城・小倉の二藩に命じて、兵を発して以て之を護衛せしめ、且つ接待の官吏の約束を聴かしむ。初め吾が公の命を受くるや、以て真に備ふ、虜の不韙なればなりと為し、乃ち野戦礮二門、牛角天礮三門、銃卒百名、刀槍士五十名を発し、国老望月貫恕をして之を督せしむ。予、其の軍議に参ず。謂へらく、接待の官吏兵を知らば、吾と小倉とをして一は横、一は直にして以て陣せしめん、銃手威を逞しくすべし。若し其れ兵を知らずして、相対して陣せしむれば、則ち銃は用ふべからず、惟だ短兵のみ之に利あり。虜と相接すること咫尺、変、倉卒に起こらば、彼精銃の技有りと雖も、我利兵を以て之に乗ぜば、一薙して数頭を斫断すべし。乃ち別に長巻二十把を備へて以て従ふ。吾が兵金川に至るや、官吏人をして謂ひて曰はしむ、大礮は必ず前駅に寘け、横浜の地に引き入るること莫かれ。望月対へて曰く、吾が藩、応接の場を護衛せよとの命を奉ず。大礮は変に備ふる所以なり。之を隔地に寘かば、変の発すること時に非ず、以て卒に応じ難し。敢へて辞すと。官吏曰く、今玆の応接は、万万其の変無きを保つべし。不幸にして将に変有らんとせば、即時に官丁を発して、礮器を搬運し、決して貴藩をして缺乏有らしめずと。
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『省諐録』第50条・第3段本藩の武功の盛名、此の輩の為に壊隳せらる。豈に忍ぶべけんや。乃ち望月と謀り、人をして之に謂はしむ、公等の区処する所の如くんば、是れ我が兵を以て夷虜に備ふるに非ず、夷虜の為に、邦民を禁呵するのみ。邦民を禁呵するは、固より士大夫を煩はすべからず、亦た兵器を用ふる無し。径路毎に、健児一二名を出し、青竹杖を執りて誰何すれば足らん。但だ江戸に受けし所の命は、則ち応接の日を廃すべからず。吾が藩当に別に士卒を出し、陣を山閒に整へ、以て非時の変に備ふべきのみ。此れ公等の事を敗らず、又吾が職を墜とさず、豈に亦た両つながら得ざらんや、と。官吏復た曰く、言皆理に当たる。然れども官両藩の人士を発するの事、吾輩既に之を夷人に告ぐ。若し其の人を出さずして、陣を隠僻の地に設くれば、夷人必ず吾に異志有るかと疑はん。応接諧はず、是れ亦た官の累ひなり。必ず吾が言に曲従せよ。其の布陣収散離合の如きは、唯だ意の命ずる所なり。吾輩敢へて掣肘せずと。予と望月、憤愠して楽しまずと雖も、亦た奈何ともする無し。当日一哨を作して、之を田畝の閒に置き、以て其の責を塞ぐ。嗚呼、国用を耗損し、士卒を勤労し、思慮計画を尽くして、同じく児戯を為す。浩歎に付すべきのみ。
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『省諐録』第51条・第1段二月廿日の夜、下田の議略ぼ定まると聞く。翌朝早く起き、望月に詣りて曰く、下田は本邦の要地、其の形勢は全世界の喜望峯に比すべし。夷虜徼りて、屯駐して以て巣穴と為さば、其の害言ふべからず。且つ大城は江戸に在りて、人口衆多、米穀布帛、皆海運に資る。不幸にして警有らば、海路格塞し、江戸首に其の禍を受けん。伊豆の州為る、天城の険、其の中に隔絶し、而して下田は其の南端に在り。一旦変起こらば、陸路兵を出すも、礟隊は嶮に沮まれて以て行くべからず。海路は則ち我に堅艦無し。他日縦ひ造作を得るも、虜は海陸の形勝を有ちて、我は反って之を喪ひ、主客位を易へ、攻守勢を殊にす。計に非ざるなり。夫れ善く事を制する者は、常に其の利をして我に在らしめ、其の害をして彼に在らしむ。今已むを得ずして、敵人に地を仮す。宜しく他日の為に計り、海陸進兵を得るの処を択ぶべし。竊かに横浜の地勢を覧るに、甚だ之に称ふ。且つ虜舶をして常に此に在らしめば、江戸を去ること甚だ邇く、則ち人人嘗胆坐薪の念、
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『省諐録』第54条・第2段而して左なる者は右を拯ふ能はず、右なる者は左を救ふ能はず。不幸にして賊船中閒に出づれば、左右の臺、相ひ為に障礙して、礟を用ふる能はず。悪くにか其の利たるに在らんや。且つ礟艘置くこと乏しければ、進剿に術無し。如し賊、船を相房の閒に連ねて、以て我が海運を絶たば、何を以て之を卻けん。是の時に当たりては、縦令ひ内港に百の礟臺有りとも、亦た無用に属す。戦はずして屈すること無からんと欲すと雖も、得べからず。若し乃ち多く礟艘を備へ、訓練するに時を以てし、戦を開き策応すれば、可ならざる所無し。以て洋賊を讋服し、其の死命を制するに足る。又何ぞ苦しみて海中に此の許多の礟臺を以て為さんや。多事の際、其の経費も亦た甚だ惜しむべし。某地の県令某氏、小しく才幹有れども、素より学問無し。西洋陸戦の塁図を見て、其の解を知らず、杜撰牽合して、以て海口を守る策を成す。当道も亦た深く之を究めず、以て是と為して施行す。予深く其の非を識り、屡しば之を川路司農に言ふ。司農稍や信ずれども、然れども遂に救ふ能はず。是れも亦た慨くべきなり。
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『省諐録』第52条襄に予一二の友生と偕に、鎌倉の遊を為し、遂に海に泛かび、荒岬を過ぎ、城島に抵り、三崎に泊し、松輪を歴て、宮田に宿し、浦賀に次り、猿嶼に上り、金澤を観、本牧に出でて都に還る。其の往来由る所、設くる所の防堵を観ること、海寇に備ふるもの、無慮十余所、而して錯置は皆法を得ず、一も防截の選に当たるべき者無し。此に至りて、覚えず天を仰ぎて浩歎し、胸を擗ちて涕を流す者、久し。夫れ江都は、天下の咽喉なり。富津の洲觜、称して天険と曰ふと雖も、海口は猶ほ闊し。戦艦水軍有るに非ざれば、固より以て敵人の侵攘窺伺を遏め難し。今は是れを務めず、癡堵呆堞を設け、高く之を海表に掲ぐ。此れ我が海外に謀る無きを示すなり。頃年東西の諸蕃、舶を寄せて遊偵す、豈に我を軽んずるの心を開かざらんや。吏員は庸流、固より謫むるに足らず。其の金鞍華鞲、綾衣肉食、自ら謂ひて高く等類に出づる者は、天下の大計を知らず、国の財用を糜して、此の無益の務めを為す、抑も何ぞや。如し虜舶馳突すること有らば、将た何を以て折衝禦侮せん。因りて上疏して海防の利病を論じ、以て時政の万一を裨けんと欲し、草を具して之を先公に請ふ。先公許さず、遂に止む。是れ嘉永庚戌の首夏なり。後四年、果たして墨夷の事起こる。登時先公の予が上書を尼むるは、蓋し触忤して罪に抵るを懼れしならん。其の蓋覆の仁、亦た大なり。今日、先公をして在世せしめば、予が拘囚を知らば、則ち其の憂労、又当に何如なるべき。
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