省諐録 / 第50条・第1段
今春墨虜之來。官設便坐於橫濱。以爲應接之所。命松城小倉二藩。發兵以護衛之。且令聽約束於接待官吏。初吾公之受命也。以爲眞備。虜之不韙也。乃發野戰礮二門。牛角天礮三門。銃卒百名。刀槍士五十名。以國老望月貫恕督之。予參其軍議。謂接待官吏知兵。令吾與小倉一橫一直以陣。銃手可以逞威。若其不知兵。使相對而陣。則銃不可用。惟短兵利之。與虜相接咫尺。變起倉卒。彼雖精銃技。我以利兵乘之。一薙可斫斷數頭。乃別備長卷二十把以從。吾兵至金川。官吏使人謂曰。大礮必寘前驛。莫引入橫濱地。望月對曰。吾藩奉命護衛應接之場。大礮所以備變。寘之隔地。變發非時。難以應卒。敢辭。官吏曰。今玆應接。萬萬可保其無變。不幸將有變。卽時發官丁。搬運礮器。決不令貴藩有缺乏。
新字:今春墨虜之来。官設便坐於横浜。以為応接之所。命松城小倉二藩。発兵以護衛之。且令聴約束於接待官吏。初吾公之受命也。以為真備。虜之不韙也。乃発野戦礮二門。牛角天礮三門。銃卒百名。刀槍士五十名。以国老望月貫恕督之。予参其軍議。謂接待官吏知兵。令吾与小倉一横一直以陣。銃手可以逞威。若其不知兵。使相対而陣。則銃不可用。惟短兵利之。与虜相接咫尺。変起倉卒。彼雖精銃技。我以利兵乗之。一薙可斫断数頭。乃別備長巻二十把以従。吾兵至金川。官吏使人謂曰。大礮必寘前駅。莫引入横浜地。望月対曰。吾藩奉命護衛応接之場。大礮所以備変。寘之隔地。変発非時。難以応卒。敢辞。官吏曰。今玆応接。万万可保其無変。不幸将有変。即時発官丁。搬運礮器。決不令貴藩有欠乏。
書き下し
今春、墨虜の来たるや、官横浜に便坐を設け、以て応接の所と為し、松城・小倉の二藩に命じて、兵を発して以て之を護衛せしめ、且つ接待の官吏の約束を聴かしむ。初め吾が公の命を受くるや、以て真に備ふ、虜の不韙なればなりと為し、乃ち野戦礮二門、牛角天礮三門、銃卒百名、刀槍士五十名を発し、国老望月貫恕をして之を督せしむ。予、其の軍議に参ず。謂へらく、接待の官吏兵を知らば、吾と小倉とをして一は横、一は直にして以て陣せしめん、銃手威を逞しくすべし。若し其れ兵を知らずして、相対して陣せしむれば、則ち銃は用ふべからず、惟だ短兵のみ之に利あり。虜と相接すること咫尺、変、倉卒に起こらば、彼精銃の技有りと雖も、我利兵を以て之に乗ぜば、一薙して数頭を斫断すべし。乃ち別に長巻二十把を備へて以て従ふ。吾が兵金川に至るや、官吏人をして謂ひて曰はしむ、大礮は必ず前駅に寘け、横浜の地に引き入るること莫かれ。望月対へて曰く、吾が藩、応接の場を護衛せよとの命を奉ず。大礮は変に備ふる所以なり。之を隔地に寘かば、変の発すること時に非ず、以て卒に応じ難し。敢へて辞すと。官吏曰く、今玆の応接は、万万其の変無きを保つべし。不幸にして将に変有らんとせば、即時に官丁を発して、礮器を搬運し、決して貴藩をして缺乏有らしめずと。
現代語訳
今春、墨虜が来たとき、役所は横浜に応接のための仮の席を設け、松城・小倉の二藩に命じて兵を出してこれを護衛させ、あわせて接待にあたる官吏の指図を聞くようにさせました。はじめ我が殿は命を受けて、これは本当の備えが要る、相手が道理に外れるかもしれないからだと考え、野戦砲二門、牛角天砲三門、銃卒百名、刀槍の士五十名を出し、国老の望月貫恕に指揮させました。私はその軍議に加わりました。私は、接待の官吏が兵に通じているなら、我が藩と小倉とで一つは横に、一つは縦に陣を敷けば、銃手は威力を発揮できる。もし兵に通じていなくて、向かい合って陣を敷かせるなら、銃は使えず、ただ短い武器だけが利を持つと述べました。虜と咫尺の距離で接し、異変が突然起こったなら、相手が精妙な銃の技を持っていても、こちらが鋭い武器で乗じれば、一薙ぎで数人の頭を斬り落とせます。そこで別に長巻二十把を備えて従えました。我が兵が金川に着くと、官吏が人を遣わして、大砲は必ず前の宿駅に置き、横浜の地には引き入れないようにと告げました。望月は答えて、我が藩は応接の場を護衛せよとの命を受けています。大砲は異変に備えるためのものです。離れた地に置けば、異変が起きても時機に合わず、突然の事態に応じがたい。どうかご辞退したい、と言いました。官吏は、今回の応接は、決して異変がないことを保証できます。不幸にも異変があるなら、すぐに官の人夫を出して砲器を運び、決して貴藩に不足を生じさせません、と言いました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『省諐録』第50条・第2段今、大礟を以て横浜に入るれば、夷人或いは其の守衛の厳なるを憚り、他地に移さんことを請はん。官の累ひなり。望月已むを得ず之に従ふ。退きて曰く、官命もて約束を聴かしむとは、幾んど是れか、と。護衛の地を相るに及び、官吏曰く、東は海涘に起こり、西に行くこと二百歩、折れて北に行くこと又之の如し、是れ其の所なりと。予之を聞きて驚駭し、其の地を詳らかにするに、南のかた応接の便坐を距たること、二百歩を下らず、民屋・樹林の其の閒に在る有り。初め江戸に在りしとき、竊かに意ふに、官吏兵を諳んぜずと雖も、自ら国体有り、且つ二藩の兵を得て、当に密に便坐を囲繞して以て警禦を厳にすべし、と。図らざりき、其の区処の陋なること斯に至らんとは。因りて建議して曰く、大礟は則ち官吏之を停む、今有する所の者は、小銃のみ。小銃力を逞しくするは、百歩内に非ざれば不可なり。且つ銃卒百名を踰えず、短兵を執る者は、五十名に過ぎず。夷虜集会の所を距たること、二百歩の外に遠陣し、又三四百歩の閒の田に散守すれば、惟だ警禦に益無きのみならず、適に以て虜の侮慢を導くに足る。去歳浦賀の応接、護衛法無く、夷虜之を噬み、邦人之を恥づ。而るに少しも省悟せず、今又此の児戯を為す。官吏の不肖、固より道ふに足らず。
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『省諐録』第50条・第3段本藩の武功の盛名、此の輩の為に壊隳せらる。豈に忍ぶべけんや。乃ち望月と謀り、人をして之に謂はしむ、公等の区処する所の如くんば、是れ我が兵を以て夷虜に備ふるに非ず、夷虜の為に、邦民を禁呵するのみ。邦民を禁呵するは、固より士大夫を煩はすべからず、亦た兵器を用ふる無し。径路毎に、健児一二名を出し、青竹杖を執りて誰何すれば足らん。但だ江戸に受けし所の命は、則ち応接の日を廃すべからず。吾が藩当に別に士卒を出し、陣を山閒に整へ、以て非時の変に備ふべきのみ。此れ公等の事を敗らず、又吾が職を墜とさず、豈に亦た両つながら得ざらんや、と。官吏復た曰く、言皆理に当たる。然れども官両藩の人士を発するの事、吾輩既に之を夷人に告ぐ。若し其の人を出さずして、陣を隠僻の地に設くれば、夷人必ず吾に異志有るかと疑はん。応接諧はず、是れ亦た官の累ひなり。必ず吾が言に曲従せよ。其の布陣収散離合の如きは、唯だ意の命ずる所なり。吾輩敢へて掣肘せずと。予と望月、憤愠して楽しまずと雖も、亦た奈何ともする無し。当日一哨を作して、之を田畝の閒に置き、以て其の責を塞ぐ。嗚呼、国用を耗損し、士卒を勤労し、思慮計画を尽くして、同じく児戯を為す。浩歎に付すべきのみ。
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『省諐録』第51条・第1段二月廿日の夜、下田の議略ぼ定まると聞く。翌朝早く起き、望月に詣りて曰く、下田は本邦の要地、其の形勢は全世界の喜望峯に比すべし。夷虜徼りて、屯駐して以て巣穴と為さば、其の害言ふべからず。且つ大城は江戸に在りて、人口衆多、米穀布帛、皆海運に資る。不幸にして警有らば、海路格塞し、江戸首に其の禍を受けん。伊豆の州為る、天城の険、其の中に隔絶し、而して下田は其の南端に在り。一旦変起こらば、陸路兵を出すも、礟隊は嶮に沮まれて以て行くべからず。海路は則ち我に堅艦無し。他日縦ひ造作を得るも、虜は海陸の形勝を有ちて、我は反って之を喪ひ、主客位を易へ、攻守勢を殊にす。計に非ざるなり。夫れ善く事を制する者は、常に其の利をして我に在らしめ、其の害をして彼に在らしむ。今已むを得ずして、敵人に地を仮す。宜しく他日の為に計り、海陸進兵を得るの処を択ぶべし。竊かに横浜の地勢を覧るに、甚だ之に称ふ。且つ虜舶をして常に此に在らしめば、江戸を去ること甚だ邇く、則ち人人嘗胆坐薪の念、
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『省諐録』第51条・第2段自ら已む能はず。警衛守禦の方も、亦た自ら厳ならざるを得ず。又親しく彼の長ずる所を観て、以て我が智巧を速進すべし。是れ其の多利たる所以なり。如し下田に退かば、人心必ず弛み、守衛必ず懈らん。而して虜舶は迅速にして、繋縻し難し。横浜に在ると下田に在ると、其の江戸腹心の患たること、則ち閒、髪を以てする能はず。故に吾謂へらく、横浜を以て之に仮すを愈れりと為すに如かずと。是れ天下の大計なり。君士卒を総べて茲に在り、以て黙すべからず。上書して公に乞ひ、献策有るべしと。望月曰く、然り。然れども吾が上書は子の上言に如かずと。乃ち予に命じて江戸に還らしめ、之を公に告ぐ。沮む者有りて、果たさず。公、予の自ら之を為すを許す。是に於て竊かに建白する有り。又門人長岡の小林虎をして其の主侯に上書し、大計を開陳せしむ。又之をして阿部閣老の親幸する所に見えしめ、為に其の利害を論じ、時に因りて規諫し、挽回する所有らんと欲す。並びに皆行はれず。小林生此を以て主侯の譴を獲、遂に辞して国に帰る。
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『省諐録』第52条襄に予一二の友生と偕に、鎌倉の遊を為し、遂に海に泛かび、荒岬を過ぎ、城島に抵り、三崎に泊し、松輪を歴て、宮田に宿し、浦賀に次り、猿嶼に上り、金澤を観、本牧に出でて都に還る。其の往来由る所、設くる所の防堵を観ること、海寇に備ふるもの、無慮十余所、而して錯置は皆法を得ず、一も防截の選に当たるべき者無し。此に至りて、覚えず天を仰ぎて浩歎し、胸を擗ちて涕を流す者、久し。夫れ江都は、天下の咽喉なり。富津の洲觜、称して天険と曰ふと雖も、海口は猶ほ闊し。戦艦水軍有るに非ざれば、固より以て敵人の侵攘窺伺を遏め難し。今は是れを務めず、癡堵呆堞を設け、高く之を海表に掲ぐ。此れ我が海外に謀る無きを示すなり。頃年東西の諸蕃、舶を寄せて遊偵す、豈に我を軽んずるの心を開かざらんや。吏員は庸流、固より謫むるに足らず。其の金鞍華鞲、綾衣肉食、自ら謂ひて高く等類に出づる者は、天下の大計を知らず、国の財用を糜して、此の無益の務めを為す、抑も何ぞや。如し虜舶馳突すること有らば、将た何を以て折衝禦侮せん。因りて上疏して海防の利病を論じ、以て時政の万一を裨けんと欲し、草を具して之を先公に請ふ。先公許さず、遂に止む。是れ嘉永庚戌の首夏なり。後四年、果たして墨夷の事起こる。登時先公の予が上書を尼むるは、蓋し触忤して罪に抵るを懼れしならん。其の蓋覆の仁、亦た大なり。今日、先公をして在世せしめば、予が拘囚を知らば、則ち其の憂労、又当に何如なるべき。
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