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政談 / 諸役人に器量を選ふ事

是に依りて人の器量を知ることは其人を使ふて見て、其の器量を知ること古よりの道なり、但し使ふと云ふに樣々の差別あり、人を使ふて其の器量を知ると云ふは、上より物好きを出たさす、とせよかくせよと差圖をせす、其の人の心一盃にさせて見ることなり、末世には利發なる大將程差圖をして人を使ふことを好み、我か心を能く知りたるものなりなと、云ひて寵愛す、是は出頭人倖幸の臣と云ものにして眞の人才にあらす、左樣に使ふて見て役儀を能く取捌くと思ふは全く人の器量を使ふと云ふものにあらす、唯々我か身をいくつにも分けて諸役人をして働かす譯なれは、我か一人の智惠を用ゆるまてにて、專ら自ら用ゆると云ふものなり、

新字:是に依りて人の器量を知ることは其人を使ふて見て、其の器量を知ること古よりの道なり、但し使ふと云ふに様々の差別あり、人を使ふて其の器量を知ると云ふは、上より物好きを出たさす、とせよかくせよと差図をせす、其の人の心一盃にさせて見ることなり、末世には利発なる大将程差図をして人を使ふことを好み、我か心を能く知りたるものなりなと、云ひて寵愛す、是は出頭人倖幸の臣と云ものにして真の人才にあらす、左様に使ふて見て役儀を能く取捌くと思ふは全く人の器量を使ふと云ふものにあらす、唯々我か身をいくつにも分けて諸役人をして働かす訳なれは、我か一人の智恵を用ゆるまてにて、専ら自ら用ゆると云ふものなり、

書き下し

是に依りて人の器量を知ることは其人を使ふて見て、其の器量を知ること古よりの道なり、但し使ふと云ふに様々の差別あり、人を使ふて其の器量を知ると云ふは、上より物好きを出たさす、とせよかくせよと差図をせす、其の人の心一盃にさせて見ることなり、末世には利発なる大将程差図をして人を使ふことを好み、我か心を能く知りたるものなりなと、云ひて寵愛す、是は出頭人倖幸の臣と云ものにして真の人才にあらす、左様に使ふて見て役儀を能く取捌くと思ふは全く人の器量を使ふと云ふものにあらす、唯々我か身をいくつにも分けて諸役人をして働かす訳なれは、我か一人の智恵を用ゆるまてにて、専ら自ら用ゆると云ふものなり、

現代語訳

これによって、人の器量を知ることは、その人を使ってみてその器量を知るのが昔からの道である。ただし「使う」といってもさまざまな違いがある。人を使ってその器量を知るというのは、上から好みを出さず、ああせよこうせよと指図をせず、その人の心いっぱいにさせてみることである。末世には、利発な大将ほど指図をして人を使うことを好み、「わしの心をよく知った者だ」などと言って寵愛する。これは出頭人、倖幸の臣(取り入って出世した寵臣)というものであって、真の人材ではない。そのように使ってみて、役目をよく取りさばくと思うのは、まったく人の器量を使うというものではない。ただ自分の身をいくつにも分けて諸役人を働かせるわけであるから、自分一人の知恵を用いるだけで、もっぱら自分を用いているというものである。

解説

人を知るには使ってみるしかない、と結論したうえで、徂徠は「使う」の中身を問う。好みを示さず、細かく指図せず、相手の力をいっぱいに出させてこそ器量が見える。反対に、指図どおり動く者を「わしの心がわかる者」と寵愛するのは、自分を何人にも分身させているだけで、人を用いたことにならない。優秀な管理職ほど陥りやすい罠である。部下が自分の意図どおりに動くことと、部下の能力が発揮されることは別物だと知っておきたい。

この章句が説くこと

人材任せる指図器量分身管理職

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