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政談 / 當時制度之なき事

質素過て立てたるは必らず久しく傳らす、亦人情は文華を好むとて制度を華美過きて立て置ときは國用早く盡きて宜しからす、故に文質のほとらひをは末永く傳はるへき程を考へて宜しく立るときは其御代永く傳はることなり、上の了簡を以て立つると云ふは、當時世上にある格と云やうなる者は世の成行に引れて出來たれは、全く何の了簡もなく又末の考も無きことなり、其上下たるものゝ情は面々に己れか身の外聞のよきやうにとすれは、皆々上を僭することになりて上下の分別は立ぬなり、是れ下たるものゝ情は皆な天下世界を苦にし世話にする心はなく、唯々我か身の上はかりを思ふ故なり、故に上たる人天下世界を苦にし、世話にし、代の久しく傳りて萬民の斯く安穩ならんことを計りて制度を立つることなり、是れ聖人の道にて天下國家を治むる骨髓全く禮樂に止まるは此の仔細なり、然かるに儒學の筋も末の世は聖人の本意を取失ひて禮は自然の天理なとゝ沙汰し、天地自然となる物のやうに云ふよりして當時何となく代の成行く儘に出來たる格と云ふやうなるものをも善き事のやうに覺ゆることなり、

新字:質素過て立てたるは必らず久しく伝らす、亦人情は文華を好むとて制度を華美過きて立て置ときは国用早く尽きて宜しからす、故に文質のほとらひをは末永く伝はるへき程を考へて宜しく立るときは其御代永く伝はることなり、上の了簡を以て立つると云ふは、当時世上にある格と云やうなる者は世の成行に引れて出来たれは、全く何の了簡もなく又末の考も無きことなり、其上下たるものゝ情は面々に己れか身の外聞のよきやうにとすれは、皆々上を僭することになりて上下の分別は立ぬなり、是れ下たるものゝ情は皆な天下世界を苦にし世話にする心はなく、唯々我か身の上はかりを思ふ故なり、故に上たる人天下世界を苦にし、世話にし、代の久しく伝りて万民の斯く安穏ならんことを計りて制度を立つることなり、是れ聖人の道にて天下国家を治むる骨髄全く礼楽に止まるは此の仔細なり、然かるに儒学の筋も末の世は聖人の本意を取失ひて礼は自然の天理なとゝ沙汰し、天地自然となる物のやうに云ふよりして当時何となく代の成行く儘に出来たる格と云ふやうなるものをも善き事のやうに覚ゆることなり、

書き下し

質素過て立てたるは必らず久しく伝らす、亦人情は文華を好むとて制度を華美過きて立て置ときは国用早く尽きて宜しからす、故に文質のほとらひをは末永く伝はるへき程を考へて宜しく立るときは其御代永く伝はることなり、上の了簡を以て立つると云ふは、当時世上にある格と云やうなる者は世の成行に引れて出来たれは、全く何の了簡もなく又末の考も無きことなり、其上下たるものゝ情は面々に己れか身の外聞のよきやうにとすれは、皆々上を僭することになりて上下の分別は立ぬなり、是れ下たるものゝ情は皆な天下世界を苦にし世話にする心はなく、唯々我か身の上はかりを思ふ故なり、故に上たる人天下世界を苦にし、世話にし、代の久しく伝りて万民の斯く安穏ならんことを計りて制度を立つることなり、是れ聖人の道にて天下国家を治むる骨髄全く礼楽に止まるは此の仔細なり、然かるに儒学の筋も末の世は聖人の本意を取失ひて礼は自然の天理なとゝ沙汰し、天地自然となる物のやうに云ふよりして当時何となく代の成行く儘に出来たる格と云ふやうなるものをも善き事のやうに覚ゆることなり、

現代語訳

質素すぎて立てた制度は必ず長くは伝わらない。また、人情は華やかさを好むからといって、制度を華美すぎるように立てておくと、国の財用が早く尽きてよろしくない。だから文(華やかさ)と質(質素さ)の程合いを、末永く伝わるはずの程度を考えて適切に立てれば、その御代は長く伝わるのである。上の考えによって立てるというのは、今世間にある格式というようなものは、世の成り行きに引かれてできたもので、まったく何の考えもなく、また先の見通しもないものだからである。その上、下の者の情は、めいめい自分の身の外聞がよいようにとするので、みな上をまねて分を越えることになって、上下の区別は立たない。これは下の者の情が、みな天下世界を案じ世話をする心はなく、ただ自分の身の上ばかりを思うからである。だから上に立つ人が天下世界を案じ、世話をし、代が長く伝わって万民がこのように安穏であることを図って制度を立てるのである。これが聖人の道で、天下国家を治める骨髄がまったく礼楽に尽きるのは、こういうわけである。ところが儒学の筋も、末の世には聖人の本意を取り失って、礼は自然の天理だなどと論じ、天地自然にできる物のように言うことから、今何となく代の成り行きのままにできた格式というようなものまで、善いことのように思うのである。

解説

制度は文と質の程合いを見極め、長く続く水準で立てねばならない。そして下の者は自分の体面しか考えないので、天下全体を案じる上の者が意図をもって立てるべきだという。ここで徂徠は、礼を「自然の天理」とみる朱子学を批判する。礼は聖人が作った人為の制度であり、自然に任せれば成り行きの格式を善と取り違えるというのである。組織でも、自然発生した慣行を「うちの文化」と追認するだけでは設計にならない。全体を見渡す立場の者が、意図して仕組みを作る責任がある。

この章句が説くこと

制度礼楽聖人朱子学天理設計

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