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政談 / 當時困窮を改むる道古三代の制度を考へ定むべき事

日本國中皆我か國なれは何もかも日本國中より出るものは我かものなるを、人の物と思ひて代を出して買ひ調ふること大なる取違へなり、是天下を保ち玉ふても矢張り大名の仕方なり、其起り御入國の時分は未た大名にてまします、關ケ原御陣より大坂御陣まては天下の諸大名あの方より歸伏し奉るとも、未た天下を知し召したると云ふ名目は付られねは御制度を御定めあるへき樣なし、大坂御陣の翌年東照宮御他界遊はされ間もなきことなれは、是まての所に御制法も立て玉はす、其以後に執政の面々皆不學にて和漢の古法に暗く、矢張大名にて御座なされし時の仕掛の今まても執行はるゝによりて斯の如くの誤りあるなり、然れは御領私領ともに一年の年貢米を食料はかり殘して、其外は悉く賣拂ひ金にして其金にて諸國のものを買調へて日夜朝暮の用事を辨すること是れ當時武家の有樣なり、

新字:日本国中皆我か国なれは何もかも日本国中より出るものは我かものなるを、人の物と思ひて代を出して買ひ調ふること大なる取違へなり、是天下を保ち玉ふても矢張り大名の仕方なり、其起り御入国の時分は未た大名にてまします、関ケ原御陣より大坂御陣まては天下の諸大名あの方より帰伏し奉るとも、未た天下を知し召したると云ふ名目は付られねは御制度を御定めあるへき様なし、大坂御陣の翌年東照宮御他界遊はされ間もなきことなれは、是まての所に御制法も立て玉はす、其以後に執政の面々皆不学にて和漢の古法に暗く、矢張大名にて御座なされし時の仕掛の今まても執行はるゝによりて斯の如くの誤りあるなり、然れは御領私領ともに一年の年貢米を食料はかり残して、其外は悉く売払ひ金にして其金にて諸国のものを買調へて日夜朝暮の用事を弁すること是れ当時武家の有様なり、

書き下し

日本国中皆我か国なれは何もかも日本国中より出るものは我かものなるを、人の物と思ひて代を出して買ひ調ふること大なる取違へなり、是天下を保ち玉ふても矢張り大名の仕方なり、其起り御入国の時分は未た大名にてまします、関ケ原御陣より大坂御陣まては天下の諸大名あの方より帰伏し奉るとも、未た天下を知し召したると云ふ名目は付られねは御制度を御定めあるへき様なし、大坂御陣の翌年東照宮御他界遊はされ間もなきことなれは、是まての所に御制法も立て玉はす、其以後に執政の面々皆不学にて和漢の古法に暗く、矢張大名にて御座なされし時の仕掛の今まても執行はるゝによりて斯の如くの誤りあるなり、然れは御領私領ともに一年の年貢米を食料はかり残して、其外は悉く売払ひ金にして其金にて諸国のものを買調へて日夜朝暮の用事を弁すること是れ当時武家の有様なり、

現代語訳

日本国中がみな我が国であれば、日本国中から出るものは何もかも我が物であるのに、他人の物と思って代金を出して買い整えるのは大きな取り違えである。これは天下を保たれても、やはり大名のやり方である。その起こりは、御入国(家康の関東入国)の時分はまだ大名でいらっしゃったことにある。関ヶ原の御陣から大坂の御陣までは、天下の諸大名があちらから帰服し申し上げたとはいえ、まだ天下をお治めになったという名目は付けられていなかったので、御制度をお定めになるはずもなかった。大坂の御陣の翌年に東照宮(家康)が御他界あそばされ、間もないことだったので、それまでのところで御制法もお立てにならなかった。それ以後、執政の面々はみな学問がなく、和漢の古法に暗く、やはり大名でいらっしゃった時の仕掛けが今まで行われているので、このような誤りがあるのである。だから御料(幕府領)も私領(大名領)も、一年の年貢米を食料分だけ残して、それ以外はことごとく売り払って金にし、その金で諸国の物を買い整えて、日夜朝夕の用事を足すことが、今の武家のありさまである。

解説

徂徠は、幕府が天下の主になりながら大名時代の家計の仕組みを引きずっている理由を歴史から説明する。家康は関ヶ原から大坂の陣までは名目上まだ天下の主ではなく、大坂の陣の翌年に没したため制度を定める間がなかった。その後の執政は学問がなく、仮の仕掛けがそのまま続いたというのである。創業期の暫定的なやり方が、規模が大きくなっても見直されずに残るのは、企業でもよくあることだ。成長の節目ごとに、制度を立て直す機会を逃していないかを問いたい。

この章句が説くこと

制度家康大名年貢学問執政

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