三字経 / 『三字経』漢から三国・両晋へ
高祖興,漢業建,至孝平,王莽篡。 光武興,為東漢,四百年,終於獻; 魏蜀吳,爭漢鼎,號三國,迄兩晉。
新字:高祖興,漢業建,至孝平,王莽篡。 光武興,為東漢,四百年,終於献; 魏蜀呉,争漢鼎,号三国,迄両晋。
書き下し
高祖興りて、漢の業建つ。孝平に至りて、王莽篡う。 光武興りて、東漢と為り、四百年、献に終わる。 魏・蜀・呉、漢の鼎を争い、三国と号し、両晋に迄る。
現代語訳
高祖が興って漢の事業が築かれました。孝平帝に至って、王莽が位を奪いました。 光武帝が興して東漢となり、四百年続いて、献帝で終わりました。 魏・蜀・呉が漢の天下を争い、三国と呼ばれ、西晋と東晋の両晋に至ります。
解説
前漢の高祖劉邦から、王莽の簒奪、光武帝による再興、三国の分立、晋に至る流れです。前漢と後漢を合わせて約四百年という数字は史実と大きくずれません。簒奪と再興の対比は、制度が崩れても、人心が離れなければ復興が可能だという教訓として読めます。天下を争う鼎のたとえは、権力を三本足の器にたとえたものです。危機からの再建は、まず信頼の回復から始まることを思い起こさせます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
漢王莽光武三国両晋
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