柳子新論抄録 / 山縣昌貞の書簡・名と実のずれを問う書簡の結び
當此之時。殺身成仁者。獨有楠公之忠耳。下及足利氏爲政。君臣失位。冠履倒置。傑豪梟師割據四方。而天下之亂極矣。天朝之尊猶且無所容趾。則徇欲懷利之賊。其孰復覬覦者耶。嗚呼風俗之敗。一何至於如此也。足下請之泰山之安。吾未知其何以也。動極而後靜。皇嗣綫存。才復其祀。尊則尊矣。如其奉。則曾不若一大夫之祿。吾每聞之。輒至嗚咽呑聲也。且也足下所謂人臣官階之權。省中之事。則吾不知也。在外多出武臣私議。而妄授非其人。名實相乖者莫斯爲甚。若其出公議者。武辨之徒。蔑視如徒役。雖不敬之至矣。無之能罪者。權將何平有哉。若天不視租稅財貨之利。爲上謀則善矣。抑不復有兆民者乎。而與其事者。亦唯妄授非其人。則凍餒之患。加以苛刻之刑。民業爲之廢。地力爲之盡。苟及身而誠者。孰不爲疾首蹙額乎哉。夫如是。而委之風俗與時勢乎。是豈異於所謂執刄殺人。而曰非我兵也者哉。如之何得謂世有聖主獲賢臣之德耶。及皇威不能合制諸侯。君子重其義。小人賴其利。雖然卒多承軍國之制。而未復冠冕之政。以。故名有未正者焉。言有未從者焉。是特有道之士。所爲不慊已。足下誠能投著聖賢之肺腑。則固自知之矣。何必待僕之辨哉。唯夫野人議乎朝政。爲有僭踰之罪。則想足下亦婉曲爲說者歟。僕特欲以公道論此事。故敢質諸 左右。爲僕無所隱幸甚。時下漸涼。千萬自重。八月七日山縣昌貞頓首上大知己主鈴菅君足下
新字:当此之時。殺身成仁者。独有楠公之忠耳。下及足利氏為政。君臣失位。冠履倒置。傑豪梟師割拠四方。而天下之乱極矣。天朝之尊猶且無所容趾。則徇欲懐利之賊。其孰復覬覦者耶。嗚呼風俗之敗。一何至於如此也。足下請之泰山之安。吾未知其何以也。動極而後静。皇嗣綫存。才復其祀。尊則尊矣。如其奉。則曽不若一大夫之禄。吾毎聞之。輒至嗚咽呑声也。且也足下所謂人臣官階之権。省中之事。則吾不知也。在外多出武臣私議。而妄授非其人。名実相乖者莫斯為甚。若其出公議者。武弁之徒。蔑視如徒役。雖不敬之至矣。無之能罪者。権将何平有哉。若天不視租税財貨之利。為上謀則善矣。抑不復有兆民者乎。而与其事者。亦唯妄授非其人。則凍餒之患。加以苛刻之刑。民業為之廃。地力為之尽。苟及身而誠者。孰不為疾首蹙額乎哉。夫如是。而委之風俗与時勢乎。是豈異於所謂執刄殺人。而曰非我兵也者哉。如之何得謂世有聖主獲賢臣之徳耶。及皇威不能合制諸侯。君子重其義。小人頼其利。雖然卒多承軍国之制。而未復冠冕之政。以。故名有未正者焉。言有未従者焉。是特有道之士。所為不慊已。足下誠能投著聖賢之肺腑。則固自知之矣。何必待僕之弁哉。唯夫野人議乎朝政。為有僭踰之罪。則想足下亦婉曲為説者歟。僕特欲以公道論此事。故敢質諸 左右。為僕無所隠幸甚。時下漸涼。千万自重。八月七日山県昌貞頓首上大知己主鈴菅君足下
書き下し
此の時に當たり、身を殺して仁を成す者は、獨り楠公の忠有るのみ。下りて足利氏の政を爲すに及びて、君臣位を失ひ、冠履倒置し、傑豪梟師四方に割據して、天下の亂極まれり。天朝の尊きも猶ほ且つ趾を容るる所無し。則ち欲に徇ひ利を懷くの賊、其れ孰か復た覬覦せざらんや。嗚呼、風俗の敗るること、一に何ぞ此に至れるや。足下泰山の安きを請ふも、吾未だ其の何を以てするかを知らず。動極まりて而る後に靜かに、皇嗣綫存し、才かに其の祀を復す。尊きは則ち尊し、如し其の奉ずること、則ち曾て一大夫の祿にも若かず。吾毎に之を聞き、輒ち嗚咽呑聲に至るなり。且つや足下の所謂人臣官階の權、省中の事は、則ち吾知らざるなり。在外は武臣の私議に多く出でて、妄りに其の人に非ざるに授く。名實の相乖くこと斯より甚だしきは莫し。若し其の公議に出づる者は、武辨の徒、蔑視すること徒役の如く、不敬の至りと雖も、之を能く罪する無し。權將た何ぞ平らかなること有らんや。若し天は租稅財貨の利を視ずとせば、上の爲に謀れば則ち善し。抑も復た兆民有らざるか。而して其の事に與る者も、亦唯だ妄りに其の人に非ざるを授くれば、則ち凍餒の患あり、加ふるに苛刻の刑を以てす。民業之が爲に廢し、地力之が爲に盡く。苟くも身に及びて誠ならば、孰か疾首蹙額を爲さざらんや。夫れ是くの如くして、之を風俗と時勢とに委ぬるか。是れ豈に所謂刄を執りて人を殺し、而して我に非ず兵なりと曰ふ者に異ならんや。之を如何ぞ世に聖主有り賢臣を獲るの德有りと謂ふことを得んや。皇威の合せて諸侯を制する能はざるに及びて、君子は其の義を重んじ、小人は其の利に賴る。然りと雖も、卒に多く軍國の制を承けて、未だ冠冕の政を復せず。以て故に名未だ正しからざる者有り、言未だ從はざる者有り。是れ特に有道の士の、爲に已に慊らざる所なり。足下誠に能く聖賢の肺腑に投著せば、固より自ら之を知らん。何ぞ必ずしも僕の辨を待たんや。唯だ夫れ野人の朝政を議するは、僭踰の罪有りと爲せば、則ち想ふに足下も亦婉曲に說を爲す者か。僕は特に公道を以て此の事を論ぜんと欲す。故に敢へて諸を左右に質す。僕が爲に隱す所無くば幸ひ甚だし。時下漸く涼し、千萬自重せよ。八月七日、山縣昌貞頓首して大知己主鈴菅君足下に上る。
現代語訳
この時に当たり、身を殺して仁を成した者は、ただ楠公(楠木正成)の忠があるだけでした。下って足利氏が政治を行うに及び、君臣は位を失い、冠と履が逆になり、豪傑や梟雄が各地に割拠し、天下の乱は極まりました。朝廷の尊さでさえ、足を置く場所がないほどでした。欲にしたがい利を思う賊は、誰もが皇位をうかがうでしょう。ああ、風俗の敗れがどうしてここまで至ったのでしょうか。あなたは泰山のような安泰を述べられますが、私はそれが何によるのか分かりません。動きが極まってのち静かになり、皇嗣が細い糸のようにつながり、ようやくその祭祀を回復しました。尊いことは尊いのですが、奉られる実際は、一人の大夫の俸禄にも及びません。私はこれを聞くたびに、むせび泣き声を呑みます。また、あなたのいう臣下の官位を授ける権や宮中の事は、私は知りません。朝廷の外では多く武臣の私的な議から出て、みだりにふさわしくない人に授けます。名と実が食い違うことは、これより甚だしいものはありません。公の議から出たものでも、武辨の徒は使役のように蔑視し、不敬の極みでも、これを罰することができません。権がどうして平らかにありうるでしょう。もし天(朝廷)が租税や財貨の利を見ないというなら、上のために考えればそれで善いかもしれません。しかしそれでは万民はいないとでもいうのでしょうか。その事に関わる者が、みだりにふさわしくない人を用いれば、飢えと寒さの患いが起こり、そこへ苛酷な刑が加わります。民の生業はそのために廃れ、地力はそのために尽きます。もしわが身に及んで誠があるなら、誰が頭を痛め顔をしかめずにいられましょう。こうなっても、それを風俗と時勢のせいにするのでしょうか。それは刃を執って人を殺し、「私ではない、武器がやったのだ」と言うのと、どう違うのでしょう。どうして世に聖主がいて賢臣を得る徳があると言えましょうか。朝廷の威が諸侯を合わせて制することができなくなり、君子はその義を重んじ、小人はその利に頼るようになりました。そうはいっても、結局は軍国の制を多く受け入れ、まだ冠冕の政(朝廷の礼にかなった政)を回復していません。そのため、名がまだ正されていない部分があり、言がまだ従っていない部分があります。これは道ある士が満足できないところです。あなたが聖賢の本心に至るならば、自ら知るはずで、私の弁を待つまでもありません。ただ、民間の者が朝政を論じるのは分を超えた罪があるというなら、あなたも婉曲に論じておられるのでしょう。私はただ公の道でこの事を論じたいのです。ですから敢えてお側に問うのです。私に隠すところなくお答えいただければ幸いです。時節は次第に涼しくなってきました。どうかご自愛ください。八月七日、山縣昌貞がうやうやしく、大知己の主鈴(松宮俊仍)菅原君足下に差し上げます。
解説
この章句が説くこと
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