柳子新論抄録 / 山縣昌貞の書簡・公道で論じたいという最初の書簡
久有泰斗之望而未得一面識。非室之遠。豈相思之未深歟。屬與橫國手周旋。愈益得聞高誼。僕以修字於 左右。勿罪不恭幸甚。僕嘗藏先人所獲新論者。居常謂。願待同志論定。而後爲永世之珍。與橫子論文之餘。言偶及此。則其書爲足下所披閱。且見跋其後。而亦以深謀遠圖稱焉。是旣與僕所見者似矣。則得而討論者非足下而誰也。夫是非之論。以私則異矣。以公則不焉。僕唯欲以公道論也。不欲以私意矣。如兩都向背之論。足下謂有俗風有時勢。不可懸一定權衡以推萬方。僕則以爲不然也。何則俗風不可改者。蓋在下之言爾。尚陶鑄天下者。何所忌憚而拘々乎茲哉。古曰。移風易俗。又曰。舊染汙俗與惟新。惟時勢則固不可若之何者也。然聖人亦因此。以爲敎其中。而姑處之以權。漸變之。以令至於道也。不則禁何因乎止。令何因乎行哉。然則陶鑄天下之道。並時勢與風俗共置之術中者也。夫道一而已矣。不得已而後權焉。若不然而諉曰。時勢爾。風俗爾。則是爲人所化。而不能化人者。將何以能御天下哉。後世敎化之陵夷。風俗之頹敗。職此之由。足下以此爲漢儒偏見者。僕竊不取也。恭惟古者磐余天皇龕定區宇之初。繼天立極以降。列聖相承。劔璽之德以能維持其風。而大布播其化者。幾乎二千載。景雲擊壤。民莫得而稱焉。可謂一定權衡能推萬方之外者矣。至於叔世。此道漸衰。保平壽治之難。王綱解紐。鎌倉兇逆之餘燼。禮樂塗炭。遂釀成陪臣專權之禍根。
新字:久有泰斗之望而未得一面識。非室之遠。豈相思之未深歟。属与横国手周旋。愈益得聞高誼。僕以修字於 左右。勿罪不恭幸甚。僕嘗蔵先人所獲新論者。居常謂。願待同志論定。而後為永世之珍。与横子論文之余。言偶及此。則其書為足下所披閲。且見跋其後。而亦以深謀遠図称焉。是既与僕所見者似矣。則得而討論者非足下而誰也。夫是非之論。以私則異矣。以公則不焉。僕唯欲以公道論也。不欲以私意矣。如両都向背之論。足下謂有俗風有時勢。不可懸一定権衡以推万方。僕則以為不然也。何則俗風不可改者。蓋在下之言爾。尚陶鋳天下者。何所忌憚而拘々乎茲哉。古曰。移風易俗。又曰。旧染汚俗与惟新。惟時勢則固不可若之何者也。然聖人亦因此。以為教其中。而姑処之以権。漸変之。以令至於道也。不則禁何因乎止。令何因乎行哉。然則陶鋳天下之道。並時勢与風俗共置之術中者也。夫道一而已矣。不得已而後権焉。若不然而諉曰。時勢爾。風俗爾。則是為人所化。而不能化人者。将何以能御天下哉。後世教化之陵夷。風俗之頽敗。職此之由。足下以此為漢儒偏見者。僕窃不取也。恭惟古者磐余天皇龕定区宇之初。継天立極以降。列聖相承。剣璽之徳以能維持其風。而大布播其化者。幾乎二千載。景雲撃壤。民莫得而称焉。可謂一定権衡能推万方之外者矣。至於叔世。此道漸衰。保平寿治之難。王綱解紐。鎌倉兇逆之余燼。礼楽塗炭。遂醸成陪臣専権之禍根。
書き下し
久しく泰斗の望み有りて未だ一面の識を得ず。室の遠きに非ず、豈に相思ふことの未だ深からざるか。與橫國手と周旋するに屬し、愈いよ益ます高誼を聞くを得たり。僕は以て字を左右に修む。不恭を罪すること勿くば幸ひ甚だし。僕嘗て先人の獲し所の新論を藏す。居常に謂へらく、願はくは同志の論定を待ちて、而る後に永世の珍と爲さんと。橫子と文を論ずるの餘り、言偶たま此に及べば、則ち其の書は足下の披閱する所と爲り、且つ其の後に跋せられ、而して亦深謀遠圖を以て稱せらる。是れ旣に僕の見る所と似たり。則ち得て討論する者は足下に非ずして誰ぞや。夫れ是非の論は、私を以てすれば則ち異なり、公を以てすれば則ち異ならず。僕は唯だ公道を以て論ぜんと欲す。私意を以てするを欲せず。兩都向背の論の如きは、足下謂へらく俗風有り時勢有りて、一定の權衡を懸けて以て萬方に推すべからずと。僕は則ち以て然らずと爲す。何となれば、俗風の改むべからずとは、蓋し在下の言のみ。天下を陶鑄することを尙ぶ者は、何の忌憚する所ありて茲に拘々たらんや。古に曰く、風を移し俗を易ふと。又曰く、舊染の汙俗、與に惟れ新たにすと。惟れ時勢は則ち固より若何ともすべからざる者なり。然れども聖人も亦此に因りて、以て其の中に敎を爲し、姑く之に處するに權を以てし、漸く之を變じて、以て道に至らしむ。然らずんば則ち禁何に因りてか止み、令何に因りてか行はれんや。然れば則ち天下を陶鑄するの道は、時勢と風俗とを並せて共に術中に置く者なり。夫れ道は一なるのみ。已むを得ずして而る後に權あり。若し然らずして諉りて曰く、時勢のみ、風俗のみと。則ち是れ人の化する所と爲りて、人を化する能はざるなり。將に何を以て能く天下を御せんや。後世の敎化の陵夷、風俗の頹敗は、職として此に之れ由る。足下以て漢儒の偏見と爲すは、僕竊かに取らず。恭しく惟んみるに、古者磐余天皇、區宇を龕定するの初め、天を繼ぎ極を立てしより以降、列聖相承け、劔璽の德以て能く其の風を維持し、而して大いに其の化を布き播くこと、幾ど二千載。景雲擊壤、民得て稱すること莫し。一定の權衡能く萬方に推すの外なる者と謂ふべし。叔世に至りて、此の道漸く衰へ、保平壽治の難あり、王綱解紐し、鎌倉の兇逆の餘燼、禮樂塗炭し、遂に陪臣專權の禍根を釀成す。
現代語訳
久しくお慕いしておりましたが、まだ一度もお目にかかれずにおりました。部屋が遠いわけではなく、思う気持ちがまだ深くなかったのでしょうか。横国手(横地という医者)との交際を通じて、いよいよ高いお心遣いを伺うことができました。私はこの手紙をお側に差し上げます。無礼をお咎めなくば幸いです。私はかつて亡き父が得た『新論』を所蔵しています。日ごろ、同志の論定を待ってから、永く世の宝としたいと言っておりました。横子と文を論じたついでに、たまたまこの話に及んだところ、その書があなたのお目に触れ、後に跋を記され、深謀遠慮のある書と評されたとのことです。それは私の見るところとすでに似ています。討論できる相手はあなた以外にありません。是非の論は、私心でやれば異なり、公でやれば異なりません。私はただ公の道で論じたく、私意でしたくはありません。両都向背の論については、あなたは俗風と時勢があって、一つの基準を掲げて万方に押し広げることはできないとおっしゃいます。私はそうではないと思います。なぜなら、風俗は改められないというのは、下にいる者の言葉にすぎません。天下を鋳造するように教え導こうとする者が、何を憚ってここに拘泥するのでしょう。古に「風を移し俗を易える」といい、また「古い汚れた風俗を改め新たにする」といいます。時勢だけは確かにどうにもならないものです。しかし聖人もまたそれに因って、その中に教えを設け、しばらくは権(臨機の方便)で処し、徐々にこれを変えて道に至らせたのです。そうでなければ、禁令はどうして止まり、命令はどうして行われましょう。ですから、天下を陶冶する道は、時勢と風俗をともに術の中に置くものです。道は一つだけです。やむを得ないときにはじめて権があります。もしそうしないで、時勢だ、風俗だと言い逃れるなら、人に感化されるばかりで、人を感化できないことになります。それでどうして天下を治められましょう。後世の教化の衰えや風俗の頽廃は、まさにこのためです。あなたがこれを漢儒の偏見とされるのを、私は取りません。つつしんで思いますに、昔、磐余(神武)天皇が天下を平定された初め、天を継ぎ極を立てて以来、歴代の聖主が受け継ぎ、剣と璽(三種の神器)の徳によってその風を保ち、大いに教化を広められたこと、ほぼ二千年です。(民は)景雲や撃壌の歌のようにそれをたたえる言葉もないほどでした。一つの基準を万方に及ぼせるという範囲の外のこととも言えましょう。末世になって、この道は次第に衰え、保元・平治の難があり、王の綱紀がゆるみ、鎌倉の兇逆の残り火があり、礼楽は塗炭の苦しみに陥り、ついに家臣が権力を専らにする災いの根を作りました。
解説
この章句が説くこと
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『柳子新論抄録』・山縣昌貞の書簡・名と実のずれを問う書簡の結び此の時に當たり、身を殺して仁を成す者は、獨り楠公の忠有るのみ。下りて足利氏の政を爲すに及びて、君臣位を失ひ、冠履倒置し、傑豪梟師四方に割據して、天下の亂極まれり。天朝の尊きも猶ほ且つ趾を容るる所無し。則ち欲に徇ひ利を懷くの賊、其れ孰か復た覬覦せざらんや。嗚呼、風俗の敗るること、一に何ぞ此に至れるや。足下泰山の安きを請ふも、吾未だ其の何を以てするかを知らず。動極まりて而る後に靜かに、皇嗣綫存し、才かに其の祀を復す。尊きは則ち尊し、如し其の奉ずること、則ち曾て一大夫の祿にも若かず。吾毎に之を聞き、輒ち嗚咽呑聲に至るなり。且つや足下の所謂人臣官階の權、省中の事は、則ち吾知らざるなり。在外は武臣の私議に多く出でて、妄りに其の人に非ざるに授く。名實の相乖くこと斯より甚だしきは莫し。若し其の公議に出づる者は、武辨の徒、蔑視すること徒役の如く、不敬の至りと雖も、之を能く罪する無し。權將た何ぞ平らかなること有らんや。若し天は租稅財貨の利を視ずとせば、上の爲に謀れば則ち善し。抑も復た兆民有らざるか。而して其の事に與る者も、亦唯だ妄りに其の人に非ざるを授くれば、則ち凍餒の患あり、加ふるに苛刻の刑を以てす。民業之が爲に廢し、地力之が爲に盡く。苟くも身に及びて誠ならば、孰か疾首蹙額を爲さざらんや。夫れ是くの如くして、之を風俗と時勢とに委ぬるか。是れ豈に所謂刄を執りて人を殺し、而して我に非ず兵なりと曰ふ者に異ならんや。之を如何ぞ世に聖主有り賢臣を獲るの德有りと謂ふことを得んや。皇威の合せて諸侯を制する能はざるに及びて、君子は其の義を重んじ、小人は其の利に賴る。然りと雖も、卒に多く軍國の制を承けて、未だ冠冕の政を復せず。以て故に名未だ正しからざる者有り、言未だ從はざる者有り。是れ特に有道の士の、爲に已に慊らざる所なり。足下誠に能く聖賢の肺腑に投著せば、固より自ら之を知らん。何ぞ必ずしも僕の辨を待たんや。唯だ夫れ野人の朝政を議するは、僭踰の罪有りと爲せば、則ち想ふに足下も亦婉曲に說を爲す者か。僕は特に公道を以て此の事を論ぜんと欲す。故に敢へて諸を左右に質す。僕が爲に隱す所無くば幸ひ甚だし。時下漸く涼し、千萬自重せよ。八月七日、山縣昌貞頓首して大知己主鈴菅君足下に上る。
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