柳子新論抄録 / 跋・跋に記した松宮俊仍の読後評
野人議乎朝政。爲有僭踰之罪。故君子愼焉。官吏晦於治道。不免於戶位之謗。故哲人愧焉。是以學者之憂世者。有論政事。則或託言於異人。或爲得諸古塚石棺中。蓋神之以取信於人。奇之以求加價者也。讀焉者。有自曉其非之益。而讀焉無被罪於非其任之憂。一不以空錫特智之天眷。一無以失君子守身之慮。可謂一擧兩得之者矣。適讀斯書。深謀遠圖殆似矣。但惜至於兩都向背之論。有大不然者焉。蓋未投著聖賢之肺腑。不察有俗風有時勢。而不可懸一定權衡以推萬方。漢學儒風之偏見爲崇者耳。恭惟方今 天朝之尊也。高坐九重雲上。掌人臣官階之權。而不管租稅財貨之利。世々有聖主獲賢臣之德。而逆賊梟帥。斷朶頤神器。舐糠大寶之念也。寶祚之愈益與天壤無窮。猶泰山之安。天下有道之士但誠歡誠喜。誰不爲頌賀焉乎哉。乃其於所論不自揣。粗加愚評於其上。秘之篋底。以俟識者之斷定云。寶曆十三下毛野 松宮主鈴菅原俊仍識
新字:野人議乎朝政。為有僭踰之罪。故君子慎焉。官吏晦於治道。不免於戸位之謗。故哲人愧焉。是以学者之憂世者。有論政事。則或託言於異人。或為得諸古塚石棺中。蓋神之以取信於人。奇之以求加価者也。読焉者。有自暁其非之益。而読焉無被罪於非其任之憂。一不以空錫特智之天眷。一無以失君子守身之慮。可謂一挙両得之者矣。適読斯書。深謀遠図殆似矣。但惜至於両都向背之論。有大不然者焉。蓋未投著聖賢之肺腑。不察有俗風有時勢。而不可懸一定権衡以推万方。漢学儒風之偏見為崇者耳。恭惟方今 天朝之尊也。高坐九重雲上。掌人臣官階之権。而不管租税財貨之利。世々有聖主獲賢臣之徳。而逆賊梟帥。断朶頤神器。舐糠大宝之念也。宝祚之愈益与天壤無窮。猶泰山之安。天下有道之士但誠歓誠喜。誰不為頌賀焉乎哉。乃其於所論不自揣。粗加愚評於其上。秘之篋底。以俟識者之断定云。宝暦十三下毛野 松宮主鈴菅原俊仍識
書き下し
野人の朝政を議するは、僭踰の罪有りと爲す。故に君子は愼む。官吏の治道に晦きは、戶位の謗りを免れず。故に哲人は愧づ。是を以て學者の世を憂ふる者、政事を論ずること有れば、則ち或いは言を異人に託し、或いは諸を古塚石棺中に得たりと爲す。蓋し之を神にして以て信を人に取り、之を奇にして以て價を加ふるを求むる者なり。讀む者は、自ら其の非を曉るの益有り、讀みて非其の任の憂に罪を被る無し。一は以て空しく特智の天眷を錫はるにあらず、一は以て君子の身を守るの慮を失ふ無し。一擧兩得と謂ふべき者なり。適たま斯の書を讀む。深謀遠圖殆ど似たり。但だ惜しむらくは兩都向背の論に至りては、大いに然らざる者有り。蓋し未だ聖賢の肺腑に投著せず、俗風有り時勢有りて、一定の權衡を懸けて以て萬方に推すべからざるを察せず。漢學儒風の偏見の崇を爲す者のみ。恭しく惟んみるに、方今天朝の尊きや、九重雲上に高坐し、人臣官階の權を掌りて、租稅財貨の利を管せず。世々聖主有りて賢臣を獲るの德あり、而して逆賊梟帥、神器に朶頤し、大寶を舐糠するの念を斷つ。寶祚の愈いよ益ます天壤と窮まり無きこと、猶ほ泰山の安きがごとし。天下有道の士、但だ誠に歡び誠に喜ばん。誰か頌賀を爲さざらんや。乃ち其の論ずる所に於いて自ら揣らず、粗ぼ愚評を其の上に加へ、之を篋底に秘し、以て識者の斷定を俟つと云ふ。寶曆十三、下毛野、松宮主鈴菅原俊仍識す。
現代語訳
民間の者が朝廷の政治を論じるのは、分を超えた罪があるとされます。ですから君子は慎みます。官吏が政治の道に暗いのは、職に就きながら役目を果たさないという非難を免れません。ですから賢人は恥じます。そこで、世を憂える学者が政治を論じるときには、あるいは言葉を他人に託し、あるいは古い塚の石棺の中から得たものだとします。これは、神秘めかして人の信用を得、珍しいものとして価値を高めようとしたものでしょう。読む者には、自ら誤りを悟る益があり、読んで職分でない事を論じた罪を負う心配もありません。一つには、空しく特別な知恵に対する天の恵みを受けるのではなく、一つには、君子が身を守る配慮を失わずにすみます。一挙両得というべきものです。たまたまこの書を読みました。深い謀りごとと遠い見通しはほぼそのようです。ただ惜しいのは、両都(京都と江戸)の向背を論じた箇所に、大いに同意できないところがあることです。聖賢の本心に至らず、風俗や時勢があって、一つの基準を掲げてあらゆる地に押し通すことはできないという点を察していません。漢学・儒者の偏見が作用しているのです。つつしんで思いますに、今の朝廷の尊さは、宮中の九重の雲の上に高く座し、臣下の官位を授ける権をつかさどって、租税や財貨の利は管轄しません。代々聖主がおられ、賢臣を得る徳があり、逆賊や梟雄が神器をうかがい、大宝(皇位)を奪おうとする思いは断たれています。皇位がいよいよ天地とともに窮まりないことは、泰山の安らかさのようです。天下の道ある士は、ただ心から喜び、頌賀しないはずはありません。そこで、論じるところについて自分の力も量らず、おおよそ愚かな評を書の上に加え、箱の底にしまい、識者の判断を待つものである、とのことです。宝暦十三年(1763年)、下野の松宮主鈴(松宮俊仍)菅原俊仍が記す。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。

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