論語と算盤 / 成敗と運命・それ唯忠恕のみ
諸氏は呉々もこの道を体得して、これを執務上に現実せねばならぬ、また医務に従事せらる〻諸氏に於ても、収容の患者を以て単に自己研究の資料となすにこれ努むるならば、开は甚だ遺憾の極みである、研究さる〻も程度問題であるから、絶対に悪いとは言はぬが、医員諸氏に於ては患者を治療するといふことが当面の義務と信じて勉励せらる〻ことを望むのである、又看護婦の人々にあつても同様であつて、患者へ対しては誠に親切に取扱はれたきものである、彼等には精神上欠陥する所が多い、社会の落伍者敗残者として之に同情するといふことが、前に述べた忠恕である、忠恕は即ち人の歩むべき道にして立身の基礎、つまりは其の人の幸運を把持することになるのである。
書き下し
諸氏はくれぐれもこの道を体得して、これを執務上に現実せねばならぬ。また医務に従事せらるる諸氏においても、収容の患者をもって単に自己研究の資料となすにこれ努むるならば、それは甚だ遺憾の極みである。研究さるるも程度問題であるから、絶対に悪いとは言わぬが、医員諸氏においては患者を治療するということが当面の義務と信じて勉励せらるることを望むのである。また看護婦の人々にあっても同様であって、患者へ対しては誠に親切に取り扱われたきものである。彼らには精神上欠陥する所が多い。社会の落伍者敗残者としてこれに同情するということが、前に述べた忠恕である。忠恕はすなわち人の歩むべき道にして立身の基礎、つまりはその人の幸運を把持することになるのである。
現代語訳
諸君はくれぐれもこの道を身につけて、それを職務の上に実際に現さなければならない。また医務に従事している諸君においても、収容している患者を単に自分の研究の材料とすることにばかり努めるならば、それはまことに遺憾の極みである。研究することも程度の問題であるから、絶対に悪いとは言わないが、医員の諸君には、患者を治療することこそが当面の義務だと信じて励んでもらいたい。また看護婦の人々も同様であって、患者に対しては本当に親切に扱ってほしいものである。彼らには精神の面で欠けたところが多い。社会の落伍者、敗残者として彼らに同情するということが、先に述べた忠恕である。忠恕こそは人の歩むべき道であり、身を立てる基礎であって、つまりはその人自身の幸運をつかんで保つことにもなるのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』成敗と運命・それ唯忠恕のみしかしながら彼らを自業自得の者なりとして、同情をもって臨まぬは甚だよろしくない。それ吾人の須臾も離るべからざる人道なるものは、ひとえに忠恕に存するものであるから、いずれもその職務に忠実にして、しかも且つ仁愛の念に富まねばならぬ。余はあえて彼らをあくまで優遇せよとは言わぬが、これに臨むに常に憐愍の情を欠いてはならぬと言うのである。
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『論語と算盤』成敗と運命・それ唯忠恕のみさらに言うまでもなきことながら、本院(東京市養育院)には、現に(大正四年一月)二千五六百人の窮民が収容してある。その中には除外例として、善因かえって悪果を結びて窮民たり、行旅病人たるものなきにあらざるも、その多くはいわゆる自業自得の輩である。
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『論語と算盤』成敗と運命・それ唯忠恕のみ仮に前者と後者とを対照して、そのいずれを執るかを諸氏に試問したならば、前者を執ることの最も賢く、後者を執ることの最も愚かなるを明答せらるることであろう。またよく世人が口癖のように運の善悪ということを説くが、そもそも人生の運というものは十中の一二、あるいは予定があるかも知れぬ。しかしながらたといこれが予定なりとしてみたところが、自ら努力して運なるものを開拓せねば、決してこれを把持するということは不可能である。愉快に事務を執りつつ一方に大なる災厄を招致すると、そのはじめただに天淵のみであるまい。諸氏もまた必ずその一方を捨てて他の一方を把持せられんことを熱望せらるるであろう。そうして諸氏が銘々その事業上に大なる趣味と大なる感興とを持たるると同時に、その内容の充実を期さねばならぬ。まして救済事業のごときは、その性質上注意の上にもなお一層の注意を払い、努めてその内容の豊富ならんことにおいて遺憾なきを期すべきである。
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『論語と算盤』処世と信条・蟹穴主義が肝要私の処世の方針としては、今日まで忠恕一貫の思想でやり通した。古来宗教家道徳家というような人に碩学鴻儒がたくさん輩出して、道を教え法を立てたけれども、畢竟それは修身――すなわち身を修めるという一事に尽きているだろうと思う。その修身も回りくどく言えばむずかしいが、分かり易く言えば、箸の上げ下ろしの間の注意にも、十分その意義が含まれているだろうと思われる。私はその意味において、家族に対しても、客に対しても、その他手紙を見るにも何を見るにも誠意をもってしている。孔子はこの意味を『入公門、鞠躬如也、如不容、立不中門、行不履閾、過位、色勃如也、足躩如也、其言似不足者、摂斉升堂、鞠躬如也、屛気、似不息者、出降一等、逞顔色、怡々如也、没階趨進、翼如也、復其位、踧踖如也』の中に遺憾なく説いておられる。また、享礼、聘招、衣服、起臥についても諄々と説かれ、食物の段に至って、『食不厭精、膾不厭細、食饐而餲、魚餒而肉敗不食、色悪不食、臭悪不食、失飪不食、不時不食、割不正不食、不得其醤不食』云々と言っておられる。これらはごく卑近な例だが、道徳や倫理はこれら卑近のうちに籠っているのであろうと思う。
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『論語と算盤』実業と士道・相愛忠恕の道を以て交はるべし日支間は同文同種の関係あり。国の隣接せる位置よりするも、はたまた古来よりの歴史よりいうも、また思想、風俗、趣味の共通せる点あるに徴するも、相提携せざるべからざる国柄なり。然らばいかにして提携の実を挙ぐべきか。その方策他なし。人情を理解し、己の欲せざる所はこれを人に施さず、いわゆる相愛忠恕の道をもって相交わるにあり。すなわちその方策は論語の一章にありと謂うべきである。
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『論語と算盤』成敗と運命・それ唯忠恕のみおよそ業は勤むるに精しく、嬉むに荒むというが、万事がすなわちそれである。もし大なる趣味と大なる感興とをもって事業を迎えられたならば、たといいかに忙しく、またいかほど煩わしくとも、倦怠もしくは厭忌というがごとき、自己が苦痛を感ずる気分の生ずべき理由はない。もしまたこれに反して、全然没趣味をもっていやいやながら事務に従うという場合には、必ずまず倦怠を生じ、次いで厭忌を生じ、次いで不平を生じ、最後には自分がその職を抛たねばならぬようになるは、けだし数の自然である。前者は精神溌溂として愉快の中に趣味なるものを発見し、この趣味よりして無限の感興を惹起し、感興はやがて事業の展開を来たすことに至るものである。そうして事業の展開はすなわち社会に公益を与うることになる。後者は精神が萎縮して、怏々鬱々、倦怠より困憊を醸し、困憊はやがてその身の滅亡を意味することになる。
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