論語と算盤 / 教育と情誼・偉人と其の母
故に今日の社会に婦人教育が盛んであるとは謂つても、尚ほ未だ充分その効果を社会に認識せしむるには至らぬ、謂は〻゙女子教育の過渡期であるから、その道に携はる者は其の可否を能く論断し講究しなくてはならぬでは無いか、況んや昔の『腹は借りもの』といふ様なことは口にすべからざる今日、又言うてはならぬ今日とすれば、女子は全く昔日の如く侮蔑視、嘲弄視することは出来ないこと〻考へられる。
書き下し
ゆえに今日の社会に婦人教育が盛んであるとはいっても、なおいまだ充分その効果を社会に認識せしむるには至らぬ。いわば女子教育の過渡期であるから、その道に携わる者はその可否をよく論断し講究しなくてはならぬではないか。いわんや昔の「腹は借りもの」というようなことは口にすべからざる今日、また言うてはならぬ今日とすれば、女子は全く昔日のごとく侮蔑視、嘲弄視することは出来ないことと考えられる。
現代語訳
だから今日の社会で婦人教育が盛んだとはいっても、まだその効果を十分に社会に認めさせるまでには至っていない。いわば女子教育の過渡期であるから、その道に携わる者は、その可否をよく論じて判断し、研究しなければならないではないか。まして、昔の「腹は借りもの」というようなことは口にすべきでない今日、また言ってはならない今日であるとすれば、女子を昔のように侮蔑し嘲弄の目で見ることは、まったくできないことだと考えられる。
解説
「腹は借りもの」とは、家の跡継ぎは父の血筋で決まり、母は子を産むための借り物にすぎないという、家制度の下で使われた言い回しである。渋沢はこれを「口にすべからざる」「言うてはならぬ」と重ねて退ける。この段で彼が言うのは、女子教育が盛んになったと言われても、まだ効果が社会に認められる段階には至っていない、いわば過渡期だということである。だから教育に携わる者は、やり方の可否を論じ、研究を続けなければならない。形を整えただけで効果が出たと思い込まず、過渡期にあることを自覚して検証を重ねよという姿勢は、新しい制度や研修を入れたばかりの組織にも当てはまる。当時の言葉づかいには時代の限界もあるが、女子を侮蔑視する旧来の見方をはっきり否定した点に、この段の重みがある。
関連する章句
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『論語と算盤』教育と情誼・偉人と其の母言うまでもなく女子も社会の一員、国家の一分子である。果たしてしからば女子に対する旧来の侮蔑的観念を除却し、女子も男子同様、国民としての才能智徳を与え、ともに共に相助けて事を為さしめたならば、従来五千万の国民中二千五百万人しか用を為さなかった者が、さらに二千五百万人を活用せしめる事となるではないか。これ大いに婦人教育を興さねばならぬという根源論である。
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『論語と算盤』教育と情誼・偉人と其の母婦人はかの封建時代におけるがごとく、無教育にしてむしろ侮蔑的に取り扱っておけばよろしいであろうか。それとも相当な教育を施し、修身斉家の道を教えねばならぬであろうか。これは言わずとも知れきった問題で、教育はたとい女子だからとて、決して疎かにすることは出来ないのである。それについて余はまず婦人の天職たる子供の育成ということに関して、少しく考慮してみる必要があろうと思う。
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『論語と算盤』教育と情誼・偉人と其の母婦人に対する態度を耶蘇教的に論じて云々することはしばらく別とするも、人間の真正なる道義心に訴えて、女子を道具視してよいものであろうか。人類社会において男子が重んずべきものとすれば、女子もやはり社会を組織する上にその一半を負うて立つ者だから、男子同様重んずべき者ではなかろうか。既に支那の先哲も「男女室に居るは大倫なり」と言うてある。
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『論語と算盤』教育と情誼・偉人と其の母明治以前の日本の女子教育は、もっぱらその教育を支那思想に取ったものであった。しかるに支那の女子に対する思想は消極的方針で、女子は貞操なれ、従順なれ、緻密なれ、優美なれ、忍耐なれと教えたが、かく精神的に教育することに重きを置いたにもかかわらず、智慧とか学問とか学理とかいう方面に向かっての智識については奨めも教えもしなかった。幕府時代の日本の女子も主としてこの思想の下に教育されたもので、貝原益軒の『女大学』はその時代における唯一最上の教科書であった。すなわち智の方は一切閑却され、消極的に自己を慎むことばかり重きを置いたものである。そうしてそういう教育をされて来た婦人が今日の社会の大部分を占めている。明治時代になってから女子教育も進歩したとはいえ、いまだそれら教育を受けた婦人の勢力は微々たるもので、社会における婦人の実体は『女大学』以上に出ることの出来ぬものと言うも、あえて過言ではなかろうと思う。
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『論語と算盤』教育と情誼・偉人と其の母およそ婦人とその子供とはいかなる関係を持っているものであるかというに、これを統計的に研究してみれば、善良なる婦人の腹から善良なる子供が多く生まれ、優れた婦人の教育によって優秀な人材が出来るものである。その最も適切な例はかの孟子の母のごとき、ワシントンの母のごとき、すなわちそれであるが、我が国においても楠正行の母、中江藤樹の母のごとき、また皆賢母として人に知らるるものであった。近くは伊藤公、桂公の母堂のごときも賢母であったと聞いている。とにかく優秀の人材は、その家庭において賢明なる母親に撫育された例は非常に多い。偉人の生まれ賢哲の世に出ずるは婦徳による所が多いということは、ひとり余一家の言ではないのである。してみれば婦人を教育してその智能を啓発し婦徳を養成せしむるは、ひとり教育された婦人一人のためのみならず、間接には善良なる国民を養成する素因となる訳であるから、女子教育は決して忽諸に付することが出来ないものであるということになるのである。しかり、女子教育の重んずべき所以はいまだそれのみにては尽きない。余はさらに女子教育の必要なる理由を次に述べてみようと思う。
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失昔の青年と今の青年とは、昔の社会と今の社会と異なるがごとくに異なっている。余が二十四五歳の頃、すなわち明治維新前の青年と現代の青年とは、その境遇、その教育を全然異にしているがために、いずれが優りいずれが劣っているということは、一口には言い現わせない。しかも一部の人士は、昔の青年は意気もあり、抱負もありて、今の青年より遙かに偉かった、今の青年は軽浮で元気がないと言うが、一概にそうばかりも言えまいと思う。なんとなれば、昔の少数の偉い青年と現今の一般青年とを比較し来りて、かれこれ言うことは少しく誤っている。今の青年の中にも偉い者もあれば、昔の青年にも偉くない者もあった。維新前の士農工商の階級は極めて厳格であった。武士の中にも上士と下士というがごとき階級があり、百姓町人の間にも、代々土地の素封家で庄屋を勤めているような家柄と、普通の百姓町人とは、自ずからその気風教育に異なる所があった。かくのごとき有様であったから、昔の青年といっても、武士と上流の百姓町人と、一般の百姓町人とは、その教育も異なっていたのである。
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