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論語と算盤 / 教育と情誼・偉人と其の母

明治以前の日本の女子教育は、専ら其の教育を支那思想に取つたものであつた、然るに支那の女子に対する思想は消極的方針で、女子は貞操なれ、従順なれ、緻密なれ、優美なれ、忍耐なれと教へたが、此く精神的に教育することに重きを置いたにも拘はらず、智慧とか学問とか学理とかいふ方面に向つての智識に就ては奨めも教へもしなかつた、幕府時代の日本の女子も主として此の思想の下に教育されたもので、貝原益軒の『女大学』は其の時代に於ける唯一最上の教科書であつた、乃ち智の方は一切閑却され、消極的に自己を慎むことばかり重きを置いたものである、而して左様いふ教育をされて来た婦人が今日の社会の大部分を占めて居る、明治時代になつてから女子教育も進歩したとはいへ、未だそれら教育を受けた婦人の勢力は微々たるもので、社会に於ける婦人の実体は『女大学』以上に出ることの出来ぬものと言ふも、敢て過言では無からうと思ふ、

書き下し

明治以前の日本の女子教育は、もっぱらその教育を支那思想に取ったものであった。しかるに支那の女子に対する思想は消極的方針で、女子は貞操なれ、従順なれ、緻密なれ、優美なれ、忍耐なれと教えたが、かく精神的に教育することに重きを置いたにもかかわらず、智慧とか学問とか学理とかいう方面に向かっての智識については奨めも教えもしなかった。幕府時代の日本の女子も主としてこの思想の下に教育されたもので、貝原益軒の『女大学』はその時代における唯一最上の教科書であった。すなわち智の方は一切閑却され、消極的に自己を慎むことばかり重きを置いたものである。そうしてそういう教育をされて来た婦人が今日の社会の大部分を占めている。明治時代になってから女子教育も進歩したとはいえ、いまだそれら教育を受けた婦人の勢力は微々たるもので、社会における婦人の実体は『女大学』以上に出ることの出来ぬものと言うも、あえて過言ではなかろうと思う。

現代語訳

明治以前の日本の女子教育は、もっぱら中国の思想から取ったものであった。ところが中国の女子に対する思想は消極的な方針で、女子は貞操であれ、従順であれ、細やかであれ、優美であれ、忍耐強くあれと教えた。このように精神面の教育に重きを置いたにもかかわらず、知恵や学問や学理といった方面の知識については、奨めも教えもしなかった。江戸時代の日本の女子も主としてこの思想のもとで教育されたのであって、貝原益軒の『女大学』はその時代における唯一最上の教科書であった。つまり知の方面はすべて顧みられず、消極的に自分を慎むことばかりに重きが置かれていたのである。そして、そういう教育を受けてきた婦人が今日の社会の大部分を占めている。明治になって女子教育も進歩したとはいえ、新しい教育を受けた婦人の勢力はまだ微々たるもので、社会における婦人の実態は『女大学』の域を出ないと言っても、決して言い過ぎではないと思う。

解説

渋沢は明治以前の女子教育を、中国由来の「消極的方針」と総括する。貞操・従順・緻密・優美・忍耐という徳目は教えたが、知の方面は奨めも教えもしなかった、と。その代表として『女大学』が挙がる。『女大学』は貝原益軒の『和俗童子訓』の女子教育の部分をもとに後人がまとめたものとされ、益軒の著と言い切れるかには異説があるが、当時は益軒の書として広く読まれていた。渋沢は日本女子大学校の創立を支え、女子教育に長く関わった人である。その人が「社会に於ける婦人の実体は『女大学』以上に出ることの出来ぬもの」とまで言うのは、明治の女子教育がまだ一部にしか届いていないという実感からだろう。制度を変えても、人の中身が入れ替わるには一世代以上かかる。改革を急ぐ組織が覚えておくべき時間の感覚でもある。

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