論語と算盤 / 教育と情誼・現代教育の得失
論語にも『其為人也孝弟、而好犯上者鮮矣、不好犯上、而好作乱者、未之有也』といひ、『事君能致其身』といひて、忠孝主義を述べ、且つ仁義礼智信の教訓を敷衍しては、また同情心、廉恥心を喚起させるやうにし、又礼節を重んずるやうにし、或は勤倹生活の貴ぶべきことを教へたものであるから、昔の青年は自然と身を修むると共に、常に天下国家の事を憂い、朴実にして廉恥を重んじ、信義を貴ぶといふ気風が盛であつた、之に反して、現今の教育は智育を重んずるの結果、既に小学校の時代から多くの学科を学び、更に中学大学に進んで益〻多くの智識を積むけれども、精神の修養を等閑に附して心の学問に力を尽さないから、青年の品性は大に憂ふべきものがある。
書き下し
論語にも「その人となりや孝弟にして、上を犯すことを好む者は鮮し。上を犯すことを好まずして、乱をなすことを好む者は、いまだこれあらざるなり」と言い、「君に事えてよくその身を致す」と言いて、忠孝主義を述べ、かつ仁義礼智信の教訓を敷衍しては、また同情心、廉恥心を喚起させるようにし、また礼節を重んずるようにし、あるいは勤倹生活の貴ぶべきことを教えたものであるから、昔の青年は自然と身を修むるとともに、常に天下国家の事を憂い、朴実にして廉恥を重んじ、信義を貴ぶという気風が盛んであった。これに反して、現今の教育は智育を重んずるの結果、すでに小学校の時代から多くの学科を学び、さらに中学大学に進んでますます多くの智識を積むけれども、精神の修養を等閑に付して心の学問に力を尽くさないから、青年の品性は大いに憂うべきものがある。
現代語訳
論語にも「その人柄が孝行で目上に従順でありながら、目上に逆らうことを好む者は少ない。目上に逆らうことを好まないのに、乱を起こすことを好む者は、いまだかつていない」と言い、「主君に仕えては、よくその身を捧げる」と言って忠孝の道を述べ、さらに仁・義・礼・智・信の教えを押し広げては、また同情心や恥を知る心を呼び起こすようにし、礼節を重んじるようにし、あるいは勤勉で倹約な生活が尊ぶべきものであることを教えたのである。だから昔の青年は自然と身を修めるとともに、常に天下国家のことを憂い、素朴で誠実であって恥を知ることを重んじ、信義を尊ぶという気風が盛んであった。これに反して、今の教育は知育を重んじる結果、すでに小学校の時代から多くの学科を学び、さらに中学・大学に進んでますます多くの知識を積むけれども、精神の修養をなおざりにして心の学問に力を尽くさないから、青年の品性には大いに憂うべきものがある。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失しかるに現代青年の師弟関係は、全く乱れてしまって、美わしい師弟の情誼に乏しいのは寒心の至りである。今の青年は自分の師匠を尊敬しておらぬ。学校の生徒のごときは、その教師を観ること、あたかも落語師か講談師かのごとく、講義が下手だとか、解釈が拙劣であるとか、生徒としてあるまじきことを口にしている。これは一面より観れば、学科の制度が昔と異なり、多くの教師に接するためであろうが、すべて今の師弟の関係は乱れている。同時に教師もまたその子弟を愛しておらぬという嫌いもあるのである。要するに、青年は良師に接して自己の品性を陶冶しなければならない。昔の学問と今の学問とを比較して見ると、昔は心の学問を専一にしたが、現今は智識を得ることにのみ力を注いでいる。昔は読む書籍そのものがことごとく精神修養を説いているから、自然とこれを実践するようになったのである。修身斉家と言い、治国平天下と言い、人道の大義を教えたものである。
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失一体現代の青年は学問を修める目的を誤っている。論語にも「古の学者は己のためにし、今の学者は人のためにす」と言って嘆じてあるが、移してもって今の時代に当てはめることが出来る。今の青年はただ学問のために学問をしているのである。初めより確然たる目的なく漠然と学問する結果、実際社会に出てから、我は何のために学びしやというがごとき疑惑に襲われる青年が往々にしてある。学問すれば誰でも皆偉い者になれる、という一種の迷信のために、自己の境遇生活状態をも顧みないで、分不相応の学問をする結果、後悔するがごときことがあるのである。
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失昔の武士および上流の百姓町人は、その青年時代に多く漢学教育を受けたもので、初めは小学とか孝経とか近思録とか、さらに進んでは論語、大学、孟子等を修め、一方身体の鍛錬とともに武士的精神を鼓吹したものである。そして一般の町人百姓はいかなる教育を受けたかと言えば、極めて卑近な実語教とか庭訓往来とかまた加減乗除の九々等を学んだに過ぎない。したがって高尚な漢学教育を受けた武士は、理想も高く見識もあったものであるが、百姓町人は通俗な手習いに過ぎなかったので、概して無学者が多かったのである。しかるに今は四民平等となり、貴賤貧富の差別なく、ことごとく教育を受くることとなり、すなわち岩崎三井の息子も九尺二間の長屋の息子も、皆同一の教育を受くるという有様であるから、その多数の青年中の品性の劣等な、学問のできない青年のあるのは、けだし止むを得ないことである。ゆえに今の一般の青年と昔の少数なる武士階級の青年とを比較してかれこれと非難するは、当を得ないことである。
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『論語と算盤』教育と情誼・理論より実際世間一体に、教育のやり方を見ると――私はことに今の中等教育なるものがその弊が甚だしいと思う――単に智識を授けるということにのみ重きを置き過ぎている。換言すれば、徳育の方面が欠けている、確かに欠乏している。また一方に学生の気風を見ると、昔の青年の気風と違って、今ひと呼吸という勇気と努力、それから自覚とが欠けている。かく言えばとて、自分のごとき昔者が決して自慢高慢をする訳ではないが、何しろ当時の教育は学課の科目が多い、あれもこれもという有様であるので、その多い科目の修得にのみ追われて、これ日も足らずという風であってみれば、従って他を顧みるいとまもない勘定で、人格、常識等の修養に心を注ぐことの出来ぬのも自然の数で、返す返すも遺憾千万な訳である。現に処世の人となってる人々はともかくとして、これから世間に出て大いに奮励努力、国家のために尽くそうと思われる方々は、この辺によくよく心を用いてもらいたい。
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『論語と算盤』教育と情誼・人物過剰の一大原因しかるに今日の学生の一般は、その少数しか必要とされない、人を使役する側の人物たらんと志している。つまり学問して高尚な理窟を知って来たから、馬鹿らしくて人の下などに使われることは出来ないようになってしまっている。同時に教育の方針もまた若干その意義を取り違え、無闇に詰込主義の智識教育で能事足れりとするから、同一類型の人物ばかり出来上がり、精神修養を閑却した悲しさには、人に屈するということを知らぬので、いたずらに気位ばかり高くなって行くのだ。
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失ゆえに一般の青年は、自己の資力に応じて小学校を卒業すると、それぞれの専門教育に投じて実際的技術を修むべきである。また高等の教育を受くる者も、なお中学時代において、将来はいかなる専門学科を修むべきかという、確然たる目的を定むることが必要である。浅薄なる虚栄心のために修学の法を誤らば、これ実に青年の一身を誤るのみならず、国家元気の衰退を招く基となるのである。
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