論語と算盤 / 教育と情誼・現代教育の得失
一体現代の青年は学問を修める目的を誤つて居る、論語にも『古之学者為己、今之学者為人』と云つて嘆じてあるが、移して以て今の時代に当て箝めることが出来る、今の青年は唯学問の為に学問をして居るのである、初より確然たる目的なく漠然と学問する結果、実際社会に出てから、我は何の為に学びしやといふが如き疑惑に襲はれる青年が往々にしてある、学問すれば誰でも皆偉い者になれる、といふ一種の迷信の為に、自己の境遇生活状態をも顧みないで、分不相応の学問をする結果、後悔するが如きことがあるのである
書き下し
一体現代の青年は学問を修める目的を誤っている。論語にも「古の学者は己のためにし、今の学者は人のためにす」と言って嘆じてあるが、移してもって今の時代に当てはめることが出来る。今の青年はただ学問のために学問をしているのである。初めより確然たる目的なく漠然と学問する結果、実際社会に出てから、我は何のために学びしやというがごとき疑惑に襲われる青年が往々にしてある。学問すれば誰でも皆偉い者になれる、という一種の迷信のために、自己の境遇生活状態をも顧みないで、分不相応の学問をする結果、後悔するがごときことがあるのである。
現代語訳
そもそも今の青年は、学問を修める目的を取り違えている。論語にも「昔の学者は自分のために学び、今の学者は人のために学ぶ」と嘆いた言葉があるが、これはそのまま今の時代に当てはめられる。今の青年はただ学問のために学問をしている。初めからはっきりした目的がなく漠然と学ぶ結果、実際に社会へ出てから、自分は何のために学んだのかという疑いに襲われる青年がしばしばある。学問さえすれば誰でも偉くなれるという一種の迷信のために、自分の境遇や暮らしを顧みずに分不相応の学問をして、後悔することもあるのである。
解説
昔の青年は偉かったという嘆きに、渋沢は待ったをかける。昔の少数の武士階級と今の一般青年を比べるのは公平でない、昔は天才教育、今は多数を平均して啓発する常識的教育なのだ、と。そのうえで現代教育の損失を二つ挙げる。一つは師弟関係の崩れ。生徒が教師を落語家か講談師のように評し、教師の側も生徒を愛していない、と。もう一つがこの一段で、学ぶ目的の欠落である。「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」——人に見せるための学問になっている、と。処方は具体的だ。中学の段階で、将来どの専門に進むかの目的を定めよ。虚栄心で進路を選ぶな、と。
この章句が説くこと
古の学者は己の為にす学問の目的師弟の情誼常識的教育
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