論語と算盤 / 教育と情誼・現代教育の得失
然るに現代青年の師弟関係は、全く乱れて仕舞つて、美はしい師弟の情誼に乏しいのは寒心の至りである、今の青年は自分の師匠を尊敬して居らぬ、学校の生徒の如きは、其の教師を観ること、恰かも落語師か講談師かの如く、講義が下手だとか、解釈が拙劣であるとか、生徒として有るまじきことを口にして居る、これは一面より観れば、学科の制度が昔と異なり、多くの教師に接する為であらうが、総て今の師弟の関係は乱れて居る、同時に教師も亦その子弟を愛して居らぬといふ嫌ひもあるのである。要するに、青年は良師に接して自己の品性を陶冶しなければならない、昔の学問と今の学問とを比較して見ると、昔は心の学問を専一にしたが、現今は智識を得ることにのみ力を注いで居る、昔は読む書籍その者が悉く精神修養を説いてゐるから、自然と之を実践するやうになつたのである、修身斉家と言ひ、治国平天下と言ひ、人道の大義を教へたものである。
書き下し
しかるに現代青年の師弟関係は、全く乱れてしまって、美わしい師弟の情誼に乏しいのは寒心の至りである。今の青年は自分の師匠を尊敬しておらぬ。学校の生徒のごときは、その教師を観ること、あたかも落語師か講談師かのごとく、講義が下手だとか、解釈が拙劣であるとか、生徒としてあるまじきことを口にしている。これは一面より観れば、学科の制度が昔と異なり、多くの教師に接するためであろうが、すべて今の師弟の関係は乱れている。同時に教師もまたその子弟を愛しておらぬという嫌いもあるのである。要するに、青年は良師に接して自己の品性を陶冶しなければならない。昔の学問と今の学問とを比較して見ると、昔は心の学問を専一にしたが、現今は智識を得ることにのみ力を注いでいる。昔は読む書籍そのものがことごとく精神修養を説いているから、自然とこれを実践するようになったのである。修身斉家と言い、治国平天下と言い、人道の大義を教えたものである。
現代語訳
ところが現代の青年の師弟関係はすっかり乱れてしまい、美しい師弟の情愛に乏しいのは、寒々とした思いがする。今の青年は自分の師を尊敬していない。学校の生徒などは、教師を見ることまるで落語家か講談師のようで、講義が下手だとか、解釈がまずいとか、生徒としてあってはならないことを口にしている。これは一面から見れば、学科の制度が昔と違い、多くの教師に接するためであろうが、総じて今の師弟の関係は乱れている。同時に、教師のほうもまた生徒を愛していないというきらいもあるのである。要するに、青年は良い師に接して自分の品性を磨き上げなければならない。昔の学問と今の学問を比べてみると、昔は心の学問をもっぱらとしたが、今は知識を得ることにばかり力を注いでいる。昔は読む書物そのものがことごとく精神の修養を説いていたから、自然とそれを実践するようになったのである。身を修め家を斉えると言い、国を治め天下を平らかにすると言い、人の道の大義を教えたものである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失論語にも「その人となりや孝弟にして、上を犯すことを好む者は鮮し。上を犯すことを好まずして、乱をなすことを好む者は、いまだこれあらざるなり」と言い、「君に事えてよくその身を致す」と言いて、忠孝主義を述べ、かつ仁義礼智信の教訓を敷衍しては、また同情心、廉恥心を喚起させるようにし、また礼節を重んずるようにし、あるいは勤倹生活の貴ぶべきことを教えたものであるから、昔の青年は自然と身を修むるとともに、常に天下国家の事を憂い、朴実にして廉恥を重んじ、信義を貴ぶという気風が盛んであった。これに反して、現今の教育は智育を重んずるの結果、すでに小学校の時代から多くの学科を学び、さらに中学大学に進んでますます多くの智識を積むけれども、精神の修養を等閑に付して心の学問に力を尽くさないから、青年の品性は大いに憂うべきものがある。
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失一体現代の青年は学問を修める目的を誤っている。論語にも「古の学者は己のためにし、今の学者は人のためにす」と言って嘆じてあるが、移してもって今の時代に当てはめることが出来る。今の青年はただ学問のために学問をしているのである。初めより確然たる目的なく漠然と学問する結果、実際社会に出てから、我は何のために学びしやというがごとき疑惑に襲われる青年が往々にしてある。学問すれば誰でも皆偉い者になれる、という一種の迷信のために、自己の境遇生活状態をも顧みないで、分不相応の学問をする結果、後悔するがごときことがあるのである。
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『論語と算盤』教育と情誼・其罪果して孰れに在りやしかるに今の師弟の間は、ほとんど寄席を聴きに行った有様をなしているということは、私は満足の風習でないと恐れている。畢竟これは師匠たる人が悪いと言わなければならぬ。徳望、才能、学問、人格がもう一層進まなければ、その子弟をして敬虔の念を起こさしむることは出来ぬ。そこには師たる人に欠点があると言わねばならぬ。
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『論語と算盤』教育と情誼・其罪果して孰れに在りやしかし弟子の心得方も甚だ悪いと思う。一般の風習が、その師に対して敬うという念が少ない。他の国々の有様はよく分かりませぬが、かのイギリスなどはどうも私は子弟の間の関係が、日本の今日のようではないと思う。ただし日本でも優れた教育に従事した人が、なお今私が述べた有様とは言わぬ。ある方面には中江藤樹も、木下順庵もあろうけれども、甚だ少ない。過渡時代のため、不幸にしてにわか出来の先生がたくさんあるから、おのずからかかる弊害を惹起したのだと弁解すれば、弁疏の言葉があるけれども、いやしくも人に教授する以上は、その人自身が自ら省みてよほど注意してもらいたいものであると同時に、また一方よりこれを十分敬うという心をもって、師弟の間に情愛をもってしたいと思う。もし諸君の従事なさる学校の教員諸氏にも、生徒をして常にこれに接触せしむるに、かく心掛けられたら、その風儀を良くするということが、ことごとくは届かないまでも、悪いのを防ぐというだけくらいのことは、必ず為し得られるものであろうと、こう思うのである。
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『論語と算盤』教育と情誼・其罪果して孰れに在りや師弟間の関係をして、情誼を厚くし、相親しむの念慮を強くあらせたいと思う。地方の学校においてはどうか知らぬが、私が聞き及ぶ東京の中辺の学校においては、すこぶるこの師弟の関係が薄い。ほとんど師と弟子とが、悪い例を言おうならば、寄席に出る落語を聴きに行った多数の聴衆のごとく見受けられる。あの人の講義は面白くないとか、あの人は時間が長いとか、甚だしきは悪い癖を見付けて、これを批評すると聞き及ぶ。もっとも昔とても師弟の間の情愛がすべて密だとは言えぬけれども、試みに孔子は三千の弟子があった。これらが皆よく顔を知り、皆よく談話した人ではあるまい。しかしその中で六芸に通ずるものが七十二人あった。これらの人々は常に孔子と談話しておったように見える。七十三人は全く孔子の人格に感化されたように見える。かくのごとき師弟を例として論ずるもあまり過当であろうが、また今日の支那を見ると、さまで模範ともされない。しかし今日の支那が悪いからとて、孔子の徳が変遷する訳はない。
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『論語と算盤』教育と情誼・現代教育の得失現今でも高等教育を受けた青年の中には、昔の青年に比較して毫も遜色のない者がいくらもある。昔は少数でもよいから、偉い者を出すという天才教育であったが、今は多数の者を平均して啓発するという常識的教育となっているのである。昔の青年は良師を撰ぶということに非常に苦心したもので、有名な熊沢蕃山のごときは中江藤樹のもとへ行ってその門人たらんことを請い願ったが許されず、三日間その軒端を去らなかったので、藤樹もその熱誠に感じて、ついに門人にしたというほどである。その他新井白石の木下順庵における、林道春の藤原惺窩におけるがごときは、皆その良師を択んで学を修め、徳を磨いたのである。
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