論語と算盤 / 実業と士道・天然の抵抗を征服せよ
然るに爰に遺憾なりしは、米大陸が其の半腹に帯の如き一地峡の存するに由り、地勢は為に蜿蜒長蛇の如く南北に走りて、徒らに太西太平両海洋の聯絡を遮断することであつた、而して此の障壁を除却することに就ては、レセツプ氏以下何れも多大の辛酸を甞められたのであるけれども、不幸にして比々失敗し去つたのであつた、併し其儘に終ることはあるまいと思つて居ると、我が東隣友邦の雄大なる経営に依りて、遂に巴奈馬地峡開鑿の一大工事が竣成し、南北の水は乃ち相通じ、東西の半球は全く比隣と化し去らんとしつ〻ある、
書き下し
しかるにここに遺憾なりしは、米大陸がその半腹に帯のごとき一地峡の存するにより、地勢はために蜿蜒長蛇のごとく南北に走りて、いたずらに大西太平両海洋の聯絡を遮断することであった。そしてこの障壁を除却することについては、レセップス氏以下いずれも多大の辛酸を嘗められたのであるけれども、不幸にして比々失敗し去ったのであった。しかしそのままに終わることはあるまいと思っていると、我が東隣友邦の雄大なる経営によりて、ついにパナマ地峡開鑿の一大工事が竣成し、南北の水はすなわち相通じ、東西の半球は全く比隣と化し去らんとしつつある。
現代語訳
ところがここで残念だったのは、アメリカ大陸がその中ほどに帯のような一つの地峡を持っているために、地形が長い蛇のようにうねって南北に走り、むなしく大西洋と太平洋の連絡を遮っていたことであった。そしてこの障壁を取り除くことについては、レセップス氏をはじめ誰もが大変な苦労をなめたのだが、不幸にしてことごとく失敗に終わったのであった。しかしそのままで終わることはあるまいと思っていると、我が国の東隣の友邦(アメリカ)の雄大な事業によって、ついにパナマ地峡を開削する大工事が完成し、南北の水はつながり、東西の半球はまったく隣り合うものに変わろうとしつつある。
解説
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『論語と算盤』実業と士道・天然の抵抗を征服せよ東洋の諺に命長ければ恥多しと言うけれども、輓近五十年間における世界交通の発達と、海運の面積の減縮とはかくのごとく顕著なるものがあって、前後ほとんど別乾坤の観あるを思えば、身、昭代に生まれたる余慶として、長寿のむしろ幸福なりしを喜ぶのである。
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『論語と算盤』実業と士道・天然の抵抗を征服せよその後(千八百六十九年十一月)該運河が開通して、諸国の艦船が通航を許さるるや、欧亜の交通に一生面を開き、両者間の貿易に、航海に、軍事に、外交に一大変革を来したのである。これと同時に各国艦船は、爾来ますますその形態を大にしてその速力を加えたから、大西洋は言をまたず、太平洋の面積もまたようやく減縮せられた事さえあるに、さらに進んでシベリア横断鉄道が竣工したので、欧亜の交通、東西の聯絡上に一新紀元を開き、四海比隣の実がようやくにして挙がらんとしている。
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『論語と算盤』理想と迷信・発展の一大要素海外に向かって発展するには、いかなる方面を択ぶべきかと言えば、やはり一番利益のある所に赴くということは、自然の趨勢であると思う。気候もよし、地味も良くて、その土地がよく人を容れ、農業に商業に、すべての事のやりよい所を択ぶのが人情である。ここにおいて私共の切に憂うるのは、北米合衆国と我が邦との関係である。今日のように紛議を醸しているのは、お互い実に遺憾に堪えない。
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『論語と算盤』実業と士道・天然の抵抗を征服せよさてそのごとく世界は広大無辺のものなれば、とても我々の人智では容易にこれを究むることのできるもので無いとしていたのである。しかるに文明の進歩とともに交通機関が発達して来たために、地球の面積は漸次に減縮せられ、最近の半世紀間においては、ほとんど隔世の感がある。顧みれば千八百六十七年、ナポレオン第三世が在位の時に当たり、フランスのパリに世界大博覧会の開かるるに際し、我が徳川幕府よりは将軍の親弟徳川民部大輔を特命使節として差遣せられ、余は随行員の一人として渡欧したのであるが、当時一行の者は横浜よりフランス郵船に乗りインド洋および紅海を経てスエズの地峡に到りしに、フランス人レセップス氏の経営に係る同所開鑿の一大工事は、すでに着手せられていたけれども、いまだ成就しなかったがため、一行は船を棄てて地峡に上り、鉄道によりてエジプトを横断し、「カイロー」を経て「アレキサンドリヤ」に出で、再び乗船して地中海を航し、横浜出帆以来五十五日にして、初めてフランスの「マルセーユ」に到着したのであった。かくて翌年の冬期に帰朝する時にそこを過ぎたが、なお運河の工事は竣成の運びに至らなかった。
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『論語と算盤』実業と士道・天然の抵抗を征服せよ世界文明の進歩に伴い、人智をもって天然の抵抗を征服し、海にも陸にも種々交通の便利を加えて、その距離を短縮することは実に驚くばかりである。往昔支那においては天円地方と称して、我々の住むこの大地を方形のものと思惟せしのみならず、自国以外にはほとんど他国の存在を認めなかったのである。我が国とても当初はかかる偏狭なる見解によりて誘導啓発せられたのであるから、たまたま日本以外の国といえば、直ちに唐天竺を聯想するのみであって、さらに世界の何物たるを知らなかったのである。されば五大州の存在などいうことに至りては、夢想だも及ばなかったのである。現に余の幼時に聞ける童話中にも、その左右の翼を拡げるときは長さ三千里にも達するという大鵬でさえも、なおかつ世界の涯際を見ることができないのであると説いたほどであった。
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『論語と算盤』人格と修養・商業に国境なしまた一方には日本から米国に移住している人々については、欧米の習慣に慣れぬために公徳が修まらぬとか、あるいは風采が鄙劣だとか、あるいは同化しないとかいうような欠点があれば、その欠点は相ともに矯正して、努めて直させるようにして、米国人に嫌われぬ所の人間たらしむることを心掛けるのが肝要である。今日の場合、人種とか宗教とかの相違から、日本人を嫌うというようなことは、文明なる米国人としてよもあるまいと思う。もしこれありとすれば、それは米国人の誤謬である。
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