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論語と算盤 / 算盤と権利・仁に当つては師に譲らず

而して余は、宗教として将た経文としては耶蘇の教がよいのであらうが、人間の守る道としては孔子の教がよいと思ふ、こは或は余が一家言たるの嫌があるかも知れぬが、殊に孔子に対して信頼の程度を高めさせる所は、奇蹟が一つもないといふ点である、基督にせよ、釈迦にせよ、奇蹟が沢山にある、耶蘇は磔せられた後三日にして蘇生したといふが如きは明かに奇蹟ではないか、尤も優れた人のことであるから、必ず左様いふことは無いと断言も出来ず、夫等は凡智の測り知らざる所であると謂はねばなるまいが、併し之を信ずれば迷信に陥りはすまいか、斯る事柄を一々事実と認めることになると、智は全く晦まされて、一点の水が薬品以上の効を奏し、焙烙の上からの灸が利目あるといふことも事実として認めなくては為らなくなるから、其の因つて来る所の弊は甚しいものである、日本も文明国だと謂はれて居ながら、未だ白衣の寒詣や、不動の豆撒が依然として消滅せぬのは、迷信の国だといふ譏を受けても仕方がない、然るに孔子に此の忌むべき一条の皆無なのは余の最も深く信ずる所以で、また是より真の信仰は生ずるであらうと思ふ。

新字:而して余は、宗教として将た経文としては耶蘇の教がよいのであらうが、人間の守る道としては孔子の教がよいと思ふ、こは或は余が一家言たるの嫌があるかも知れぬが、殊に孔子に対して信頼の程度を高めさせる所は、奇跡が一つもないといふ点である、基督にせよ、釈迦にせよ、奇跡が沢山にある、耶蘇は磔せられた後三日にして蘇生したといふが如きは明かに奇跡ではないか、尤も優れた人のことであるから、必ず左様いふことは無いと断言も出来ず、夫等は凡智の測り知らざる所であると謂はねばなるまいが、併し之を信ずれば迷信に陥りはすまいか、斯る事柄を一々事実と認めることになると、智は全く晦まされて、一点の水が薬品以上の効を奏し、焙烙の上からの灸が利目あるといふことも事実として認めなくては為らなくなるから、其の因つて来る所の弊は甚しいものである、日本も文明国だと謂はれて居ながら、未だ白衣の寒詣や、不動の豆撒が依然として消滅せぬのは、迷信の国だといふ譏を受けても仕方がない、然るに孔子に此の忌むべき一条の皆無なのは余の最も深く信ずる所以で、また是より真の信仰は生ずるであらうと思ふ。

書き下し

そして余は、宗教としてはたまた経文としては耶蘇の教えがよいのであろうが、人間の守る道としては孔子の教えがよいと思う。これはあるいは余が一家言たるの嫌いがあるかも知れぬが、ことに孔子に対して信頼の程度を高めさせる所は、奇蹟が一つもないという点である。基督にせよ、釈迦にせよ、奇蹟がたくさんにある。耶蘇は磔せられた後三日にして蘇生したというがごときは明らかに奇蹟ではないか。もっとも優れた人のことであるから、必ずそういうことは無いと断言も出来ず、それらは凡智の測り知らざる所であると言わねばなるまいが、しかしこれを信ずれば迷信に陥りはすまいか。かかる事柄を一々事実と認めることになると、智は全く晦まされて、一点の水が薬品以上の効を奏し、焙烙の上からの灸が効き目あるということも事実として認めなくてはならなくなるから、そのよって来る所の弊は甚だしいものである。日本も文明国だと言われていながら、いまだ白衣の寒詣や、不動の豆撒が依然として消滅せぬのは、迷信の国だという譏りを受けても仕方がない。しかるに孔子にこの忌むべき一条の皆無なのは余の最も深く信ずる所以で、またこれより真の信仰は生ずるであろうと思う。

現代語訳

そして私は、宗教として、あるいは経典としてはキリストの教えがよいのであろうが、人間の守る道としては孔子の教えがよいと思う。これは私の独りよがりの意見だという嫌いがあるかもしれないが、とくに孔子への信頼の度合いを高めさせるのは、奇跡が一つもないという点である。キリストにせよ、釈迦にせよ、奇跡がたくさんある。キリストが磔にされた後、三日目に蘇ったというのは、明らかに奇跡ではないか。もっとも、優れた人のことであるから、そういうことは決してないと断言もできず、それらは凡人の知恵では測り知れないところだと言わねばなるまいが、しかしこれを信じれば迷信に陥りはしないだろうか。こうした事柄を一つひとつ事実と認めることになると、知恵はまったく曇らされて、一滴の水が薬品以上の効き目を表すとか、焙烙(素焼きの平鍋)の上からすえる灸が効くとかいうことまで事実として認めなければならなくなるから、そこから生じる弊害ははなはだしいものである。日本も文明国だと言われていながら、いまだに白装束の寒参りや、不動尊の豆まきがなくならないのは、迷信の国だというそしりを受けても仕方がない。ところが孔子にはこの忌むべき一点がまったくない。これこそ私が最も深く孔子を信じる理由であり、また、ここから本当の信仰が生まれるのであろうと思う。

解説

渋沢が孔子を信じる理由を最もはっきり語った段である。論語述而篇に「子、怪力乱神を語らず」とあるように、孔子は奇跡や神秘を語らなかった。渋沢はそこに信頼の根拠を置く。奇跡を事実として受け入れれば、知恵は曇らされ、ただの水が薬より効くといった類の話まで信じざるをえなくなる、と言う。焙烙灸や寒詣、豆撒きを迷信の例に挙げるのは、合理を重んじた明治の実業家らしい見方であり、今日の目から見れば民間信仰への評価として一面的なところもある。それでも、宗教としてはキリスト教を認めつつ「人間の守る道」としては孔子を選ぶ、という区別は明快である。経営で言えば、説明のつかない成功談や根拠のない慣習に頼らず、誰でも確かめられる道理を拠りどころにせよ、ということになる。奇跡を要しない教えだからこそ、日々の実務で使える。

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