論語と算盤 / 算盤と権利・仁に当つては師に譲らず
論語にも明かに権利思想の含まれて居ることは、孔子が『仁に当つては師に譲らず』といつた一句、これを証して余りあること〻思ふ、道理正しき所に向うては飽くまでも自己の主張を通してよい、師は尊敬すべき人であるが、仁に対しては其の師にすら譲らなくもよいとの一語中には、権利観念が躍如として居るではないか
書き下し
論語にも明らかに権利思想の含まれていることは、孔子が「仁に当たっては師に譲らず」と言った一句、これを証して余りあることと思う。道理正しき所に向かってはあくまでも自己の主張を通してよい、師は尊敬すべき人であるが、仁に対してはその師にすら譲らなくてもよいとの一語中には、権利観念が躍如としているではないか。
現代語訳
論語にも明らかに権利の思想が含まれていることは、孔子が「仁に当たっては師にも譲らない」と言った一句が、十分に証明していると思う。道理の正しいところに向かっては、あくまでも自分の主張を通してよい。師は尊敬すべき人だが、仁に関してはその師にさえ譲らなくてよい——この一語のなかに、権利の観念が生き生きと現れているではないか。
解説
論語には権利思想が欠けている、という批判に渋沢が反論した章である。彼はまず前提を疑う。孔子は宗教家として立った人ではなく経世家であり、義務を先に置く時代の空気のなかで育った。それを二千年後のキリスト教と比べるのは、比較できないものを比べているだけだ、と。そのうえで、論語の中から権利観念の証拠を一句引く。「仁に当つては師に譲らず」——道理の正しいところでは、師にすら譲らなくてよい。上下の秩序を説く書と見られがちな論語に、上位者に対して譲らない権利がはっきり書かれている、という読み方である。序列に従うことと、道理に従うことは違う。
この章句が説くこと
仁に当たっては師に譲らず権利思想論語主義道理正しき所