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論語と算盤 / 人格と修養・須らく其の原因を究むべし

『強いばかりが武夫か』といふことは物の本にもあり、彼の薩摩守忠度が、討死の際に和歌の詠艸を懐中せられたとか、或は八幡太郎義家が、勿来関の詠歌の如き一の美談としてある、昔時の武士が武勇と文雅とを兼ね備へたのは、実に奥床しい感がする、然るに乃木将軍は詩歌の道にも長けて、而かも高尚な意味を平易の言葉で述べることが誠に巧みであつた、彼の二百三高地に於ける絶句の如き、或は又故郷に帰つて故老に会ふのが心苦しいといふ詩の如き、又は辞世の歌の如き、孰れも真情流露、少しも巧みを弄せず極く滑かに詠まれて居る。

書き下し

『強いばかりが武夫か』ということは物の本にもあり、かの薩摩守忠度が、討死の際に和歌の詠草を懐中せられたとか、あるいは八幡太郎義家が、勿来関の詠歌のごとき一の美談としてある。昔時の武士が武勇と文雅とを兼ね備えたのは、実に奥ゆかしい感がする。しかるに乃木将軍は詩歌の道にも長けて、しかも高尚な意味を平易の言葉で述べることが誠に巧みであった。かの二百三高地における絶句のごとき、あるいはまた故郷に帰って故老に会うのが心苦しいという詩のごとき、または辞世の歌のごとき、いずれも真情流露、少しも巧みを弄せずごく滑らかに詠まれている。

現代語訳

「強いばかりが武士か」ということは書物にも書かれており、あの薩摩守平忠度が討ち死にの際に和歌の詠草を懐に入れておられたとか、あるいは八幡太郎源義家の勿来の関の歌などが、一つの美談として伝えられている。昔の武士が武勇と文雅とを兼ね備えていたのは、実に奥ゆかしい感じがする。そして乃木将軍は詩歌の道にも長け、しかも高尚な意味を平易な言葉で述べることがまことに巧みであった。あの二〇三高地での絶句や、あるいは故郷に帰って土地の古老に会うのが心苦しいという詩、また辞世の歌などは、どれも真情があふれ出ていて、少しも技巧をこらさず、ごく滑らかに詠まれている。

解説

武勇と文雅を兼ねた武士の例として、渋沢は二人を挙げる。平忠度は一ノ谷で討たれた平家の武将で、箙に「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」の歌を結びつけていたと『平家物語』に語られる。源義家には勿来の関で「吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」と詠んだ歌が伝わる。これを受けて乃木の詩歌を挙げる。二〇三高地の「爾霊山は険なれども豈攀じ難からんや」で始まる絶句、多くの兵を死なせて故郷の父老に会わせる顔がないと詠んだ凱旋の詩、そして「うつし世を神さりましし大君のみあと慕ひて我はゆくなり」の辞世である。渋沢が評価するのは、高尚な意味を平易な言葉で、巧みを弄さず述べた点だ。言葉の飾りではなく、真情の流露に人柄を見ている。強さに加えて、感じる心と表す言葉を持つことが、人を動かす力になると示す段である。

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