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論語と算盤 / 人格と修養・須らく其の原因を究むべし

私の観る所も略ぼ後者と同様なれども、乃木大将が末期に於ける教訓が尊いといふよりは、寧ろ生前の行為こそ真に崇敬すべきものありと思ふ、換言すれば、大正元年九月十三日までの乃木大将の行為が純潔で優秀であるから、其の一死が青天の霹靂の如く世間に厳しい感想を与へたのである、大将の殉死が如何なる動機から起つたに致せ、唯その一死だけが斯の如く世間に劇しい影響を与へたのでは無からう、故に私は前に述べた点に就て少しく意見を敷衍して見ようと思ふ、但し私は乃木大将とは親しみが厚くなかつたから、其の性行を審かに知らぬけれども、殉死後各方面の評論から観察すると、実に忠誠無二の人である、廉潔の人である、其の一心は唯奉公の念に満たされた人である、而して事に処して常に精神を是に集注して苟くもせぬ人であるといふことは、総ての行為に於て察知し得らる〻のである。

書き下し

私の観る所もほぼ後者と同様なれども、乃木大将が末期における教訓が尊いというよりは、むしろ生前の行為こそ真に崇敬すべきものありと思う。換言すれば、大正元年九月十三日までの乃木大将の行為が純潔で優秀であるから、その一死が青天の霹靂のごとく世間に厳しい感想を与えたのである。大将の殉死がいかなる動機から起こったにいたせ、ただその一死だけがかくのごとく世間に激しい影響を与えたのでは無かろう。ゆえに私は前に述べた点について少しく意見を敷衍して見ようと思う。ただし私は乃木大将とは親しみが厚くなかったから、その性行をつまびらかに知らぬけれども、殉死後各方面の評論から観察すると、実に忠誠無二の人である。廉潔の人である。その一心はただ奉公の念に満たされた人である。そして事に処して常に精神をこれに集注していやしくもせぬ人であるということは、すべての行為において察知し得らるるのである。

現代語訳

私の見るところもほぼ後者と同じであるが、乃木大将の最期の教訓が尊いというよりは、むしろ生前の行いこそ本当に崇敬すべきものがあると思う。言い換えれば、大正元年九月十三日までの乃木大将の行いが純潔で優れていたからこそ、その一死が青天の霹靂のように世間に強い感銘を与えたのである。大将の殉死がどのような動機から起こったにせよ、ただその一死だけで、これほど世間に激しい影響を与えたのではないだろう。そこで私は、先に述べた点について少し意見を押し広げてみようと思う。ただし私は乃木大将とはさほど親しくなかったから、その性質や行いを詳しくは知らないけれども、殉死のあと各方面の評論から観察すると、実に比べる者のない忠誠の人であり、清廉潔白の人であり、その心はただ公に尽くす思いに満たされた人である。そして事にあたっては、常に精神をそこに集中して、決しておろそかにしない人であったということが、すべての行いから察することができるのである。

解説

渋沢は崇敬論にほぼ同意しつつ、力点をずらす。尊いのは最期の教訓よりも生前の行為であり、九月十三日までの行いが純潔で優秀だったからこそ、その一死が青天の霹靂のように世を打った、と。動機が何であれ、一死だけでこれほどの影響は生まれない。ここに章の主題「原因を究めよ」が示される。注目したいのは、渋沢が乃木とは親しくなかったと断り、殉死後の各方面の評論から人物像を組み立てていると明かしている点である。知らないことを知っているように語らない慎重さは、この書の人物論に一貫している。そのうえで挙げる乃木像は、忠誠無二、廉潔、奉公の一念、そして事に臨んで常に精神を集中し苟もしない人、である。一つの劇的な行為の価値は、その人の日々の積み重ねから生まれる。結果の華やかさではなく、そこに至る平生に目を向けよという見方が、ここから具体的に展開されていく。

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