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論語と算盤 / 人格と修養・須らく其の原因を究むべし

殊に軍務的行動に就ては、何物をも犠牲にして君の為め国の為めに尽すといふ精神に富まれたことは、現に二人の令息が日露戦役にて前後討死された時にも、将軍は君国の為に堅忍其の情を撓めて、涙一滴も人に見せなかつた一事に徴しても明かである。全体将軍は青年の頃より、軍人としては事毎に長上の命令に服従して、水火の中をも辞せぬといふ堅実なる服従気性を持つて居られたと同時に、事の是非善悪に就ての議論には、些かも権勢に屈せぬといふ凜乎たる意考を持つて居られたやうに見受けられる、それかあらぬか、或る場合に先輩の意見に忤つて休職になつた抔といふことは、蓋し其の鞏固の意志に原因せしものと想像される、左らば至つて褊狭な過激な唯感情的の人かと思ふと、其間に靄然たる君子の風ありて、或は諧謔を以て、或は温乎たる言動を以て、人を懐けられ、自己が率ゐた兵隊抔に対しても其れこそ心から其人の痛苦を恕察し、又その戦死に就ては、故郷の父母妻子に対して深く哀情を添へて居られた、

書き下し

ことに軍務的行動については、何物をも犠牲にして君のため国のために尽くすという精神に富まれたことは、現に二人の令息が日露戦役にて前後討死された時にも、将軍は君国のために堅忍その情を撓めて、涙一滴も人に見せなかった一事に徴しても明らかである。全体将軍は青年の頃より、軍人としては事ごとに長上の命令に服従して、水火の中をも辞せぬという堅実なる服従気性を持っておられたと同時に、事の是非善悪についての議論には、いささかも権勢に屈せぬという凛乎たる意考を持っておられたように見受けられる。それかあらぬか、ある場合に先輩の意見に逆らって休職になったなどということは、けだしその強固の意志に原因せしものと想像される。さらば至って偏狭な過激なただ感情的の人かと思うと、その間に靄然たる君子の風ありて、あるいは諧謔をもって、あるいは温乎たる言動をもって、人をなつけられ、自己が率いた兵隊などに対してもそれこそ心からその人の痛苦を恕察し、またその戦死については、故郷の父母妻子に対して深く哀情を添えておられた。

現代語訳

とくに軍務における行動については、何ものをも犠牲にして君のため国のために尽くすという精神に富んでおられたことは、現に二人のご子息が日露戦争で相次いで戦死された時にも、将軍は君国のために堪え忍んでその情を抑え、涙一滴も人に見せなかったという一事に照らしても明らかである。そもそも将軍は青年の頃から、軍人としては事あるごとに上官の命令に服従し、水火の中へも飛び込むことを辞さないという堅実な服従の気性を持っておられたと同時に、物事の是非善悪についての議論では、少しも権勢に屈しないという凛とした考えを持っておられたように見受けられる。そのせいかどうか、ある時、先輩の意見に逆らって休職になったなどということは、思うにその強固な意志に原因があったのだと想像される。それならば、ひどく偏狭で過激な、ただ感情的な人かと思うと、そこに和やかな君子の風があって、あるいはおどけた冗談で、あるいは温かな言動で人をなつかせ、自分が率いた兵隊などに対しても、それこそ心からその人の苦しみを思いやり、またその戦死については、故郷の父母や妻子に対して深い哀しみの情を寄せておられた。

解説

渋沢は乃木の人物像を具体に下ろしていく。日露戦争で長男勝典を南山で、次男保典を二〇三高地で失っても、人前で涙を見せなかった。命令には水火も辞さず服従する一方、是非善悪の議論では権勢に屈せず、先輩の意見に逆らって休職になったこともある。乃木が明治期に幾度か休職や辞職を経験したことは知られている。ここで渋沢が描いているのは、服従と直言という一見矛盾する二つの気性が一人の中に共存している姿である。さらに、それなら偏狭で過激な人かと思えば、諧謔と温かさで人をなつかせ、兵の痛苦を心から思いやり、戦死者の遺族に深く心を寄せた、と続ける。命令に従う規律と、筋を曲げない直言と、人への温かさ。この三つが揃ってはじめて部下は命を預ける。組織で上にも下にも信頼される人の条件を、一人の軍人の姿で示した段と読める。

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