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論語と算盤 / 人格と修養・人格の標準は如何

古来歴史中の人々、何者か能く人として価値ある生活をなしたであらう、往昔支那の周時代にあつては、文武両王並び起つて殷王の無道を誅し、天下を統一して専ら徳政を施かれた、而して後世文武両王を以て道徳高き聖主と称して居る、して見れば文武両王の如きは、功名も富貴も共に得られた人と謂ふべきである、然るに文王武王周公孔子と並び称せられて居る夫子は如何である、亦聖人として崇められ、孔夫子に対して四配と言へる顔囘、曾子、子思、孟子の如きも、聖人に亜ぐものとして推称せられて居るに関はらず、是等の人々は終生道の為に天下に遊説して、其の一生を捧げたものである、けれども戦国の際、一小国家すら自ら有することは出来なかつた、されど徳に於ては文武に譲らずして、其名も亦高いものであつたが、富貴といふ方面から之を物質的に評するならば、実に雲泥霄壌の差ありて比較にならないのである、故に若し富を標準として人の真価を論ずれば、孔子は確に下級生である、

新字:古来歴史中の人々、何者か能く人として価値ある生活をなしたであらう、往昔支那の周時代にあつては、文武両王並び起つて殷王の無道を誅し、天下を統一して専ら徳政を施かれた、而して後世文武両王を以て道徳高き聖主と称して居る、して見れば文武両王の如きは、功名も富貴も共に得られた人と謂ふべきである、然るに文王武王周公孔子と並び称せられて居る夫子は如何である、亦聖人として崇められ、孔夫子に対して四配と言へる顔囘、曽子、子思、孟子の如きも、聖人に亜ぐものとして推称せられて居るに関はらず、是等の人々は終生道の為に天下に遊説して、其の一生を捧げたものである、けれども戦国の際、一小国家すら自ら有することは出来なかつた、されど徳に於ては文武に譲らずして、其名も亦高いものであつたが、富貴といふ方面から之を物質的に評するならば、実に雲泥霄壌の差ありて比較にならないのである、故に若し富を標準として人の真価を論ずれば、孔子は確に下級生である、

書き下し

古来歴史中の人々、何者かよく人として価値ある生活をなしたであろう。往昔支那の周時代にあっては、文武両王並び起って殷王の無道を誅し、天下を統一して専ら徳政を施かれた。そして後世文武両王をもって道徳高き聖主と称している。して見れば文武両王のごときは、功名も富貴も共に得られた人と言うべきである。しかるに文王武王周公孔子と並び称せられている夫子はいかがである。また聖人として崇められ、孔夫子に対して四配と言える顔回、曾子、子思、孟子のごときも、聖人に亜ぐものとして推称せられているに関わらず、これらの人々は終生道のために天下に遊説して、その一生を捧げたものである。けれども戦国の際、一小国家すら自ら有することは出来なかった。されど徳においては文武に譲らずして、その名もまた高いものであったが、富貴という方面からこれを物質的に評するならば、実に雲泥霄壌の差ありて比較にならないのである。ゆえにもし富を標準として人の真価を論ずれば、孔子は確かに下級生である。

現代語訳

古来、歴史上の人々のうち、誰が人として価値ある生活を送ったであろうか。昔、中国の周の時代には、文王と武王の二人が相次いで立ち、殷の王の無道を討ち、天下を統一してもっぱら徳による政治を行った。そして後世、文王と武王は道徳の高い聖なる君主と称されている。してみれば、文王・武王のような人は、功名も富貴もともに得た人と言うべきである。ところが、文王・武王・周公・孔子と並び称されている孔夫子はどうか。孔子もまた聖人として崇められ、孔子に対して四配と呼ばれる顔回・曾子・子思・孟子のような人々も、聖人に次ぐ者として推し称えられているにもかかわらず、これらの人々は生涯、道のために天下を遊説して、その一生を捧げた人たちである。けれども戦国の乱世にあって、一つの小国さえ自分のものにすることはできなかった。しかし徳においては文王・武王に劣らず、その名もまた高かったのだが、富貴という面から物質的に評価するなら、まさに雲泥の差、天と地ほどの差があって比較にならない。だから、もし富を基準にして人の真価を論じるなら、孔子は確かに下級生である。

解説

ここから渋沢は、人の真価の基準を歴史上の人物に当てはめる。周の文王・武王は殷の紂王を討って天下を統一し、徳政を施して聖主と称えられた。功名も富貴も得た人である。一方、孔子と、四配と呼ばれる顔回・曾子・子思・孟子は、生涯を道のための遊説に捧げながら、一小国すら持てなかった。徳では劣らず名も高いが、富貴で比べれば雲泥霄壌の差がある。だから富を基準にすれば孔子は「下級生」になる、と渋沢はあえて極端な結論を置く。四配とは孔子廟で孔子に配祀される四人の賢者で、元代以降に定まった。孔子自身、論語で「疏食を飯い水を飲み、肱を曲げて之を枕とす、楽しみ亦其の中に在り」(述而篇)と語っている。富で人を測ることの不合理を、誰もが認める聖人を例にして際立たせる論法である。年収や企業規模で人を序列づける風潮への、痛烈な反証になっている。

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