論語と算盤 / 人格と修養・人格の標準は如何
蓋し人を評して優劣を論ずることは、世間の人の好む所であるが、能く其の真相を穿つの困難は是を以て知らる〻のであるから、人の真価といふものは容易に判定さるべきものでは無い、真に人を評論せんとならば、其の富貴功名に属する謂ゆる成敗を第二に置き、能く其人の世に尽したる精神と効果とに由つてすべきものである。
書き下し
けだし人を評して優劣を論ずることは、世間の人の好む所であるが、よくその真相を穿つの困難はこれをもって知らるるのであるから、人の真価というものは容易に判定さるべきものではない。真に人を評論せんとならば、その富貴功名に属するいわゆる成敗を第二に置き、よくその人の世に尽したる精神と効果とによってすべきものである。
現代語訳
人を評して優劣を論じるのは世間の人の好むところだが、その真相を突き止めることがどれほど難しいかは、これで分かるだろう。人の真価はそう簡単に判定できるものではない。本当に人を評価しようとするなら、富や地位や名声といったいわゆる成功・失敗は二の次に置き、その人が世に尽くした精神と、その効果によって測るべきものである。
解説
人の値打ちを何で測るか、という章である。渋沢は富を物差しにする見方を、具体で崩していく。周の文王・武王は徳も富貴も得た。だが孔子は生涯、遊説に費やして一小国すら持たなかった。富で測れば孔子は下級生になる。それは適当な評価か、と問う。日本の例も並ぶ。藤原時平と菅原道真、足利尊氏と楠木正成——時平も尊氏も富においては成功者だったが、いま時平の名は道真の誠忠を際立たせる対象としてしか語られない。だから成敗は第二に置き、世に尽くした精神とその効果で測れ、と結ぶ。人物評は棺を蓋うて後に定まる、という前提が章の全体を貫いている。
この章句が説くこと
人格の標準人の真価成敗を第二に置く棺を蓋うて論定まる