夜船閑話 / 本文
少焉、幽眼を開いて熟々視て、徐々として告げて曰く、我は是山中半死の陳人、櫨栗を拾ひ食ひ、麋鹿に伴つて睡る。此外更に何をか知らんや。自ら愧づ、遠く上人の來望を勞することを、予卽ち轉々咨叩して休まず。
新字:少焉、幽眼を開いて熟々視て、徐々として告げて曰く、我は是山中半死の陳人、櫨栗を拾ひ食ひ、麋鹿に伴つて睡る。此外更に何をか知らんや。自ら愧づ、遠く上人の来望を労することを、予即ち転々咨叩して休まず。
書き下し
少焉、幽眼を開いて熟々視て、徐々として告げて曰く、我は是山中半死の陳人、櫨栗を拾ひ食ひ、麋鹿に伴つて睡る。此外更に何をか知らんや。自ら愧づ、遠く上人の来望を労することを、予即ち転々咨叩して休まず。
現代語訳
しばらくして、白幽は目を開いてじっとわたしを見つめ、ゆっくりと告げて言った。わたしは山中の半ば死にかけた古びた人間で、とちの実や栗を拾って食べ、鹿とともに眠っている。このほかに何を知っていようか。遠くからお坊さんにわざわざ訪ねてこさせたことを、恥ずかしく思う、と。わたしはますます熱心に教えを請うてやまなかった。
解説
白幽は、自分には教えるものなど何もないと謙遜して、いったん白隠を退ける。本物の師ほど簡単には教えない、というのは禅の物語によくある型だ。一度断られても引き下がらず、さらに熱心に請い続けた白隠の姿勢こそが、教えを引き出す鍵になる。すぐに答えを与えられるより、何度も求めた末に得たもののほうが深く身につく。学ぶ側の本気度が試される場面として読むことができる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
謙遜熱意求道師弟白幽問い
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