論語と算盤 / 理想と迷信・斯の如き矛盾を根絶すべし
我々は飽くまでも己れの欲せざる所は人にも施さずして、東洋流の道徳を進め、弥増しに平和を継続して、各国の幸福を進めて行きたいと思ふ、少くとも他国に甚しく迷惑を与へない程度に於て、自国の隆興を計るといふ道がないものであるか、若し国民全体の希望に依つて、自我のみ主張する事を止め、単に国内の道徳のみならず、国際間において真の王道を行ふといふ事を思ふたならば、今日の惨害を免れしめることが出来やうと信ずる。
書き下し
我々はあくまでも己れの欲せざる所は人にも施さずして、東洋流の道徳を進め、いや増しに平和を継続して、各国の幸福を進めて行きたいと思う。少なくとも他国に甚だしく迷惑を与えない程度において、自国の隆興を計るという道がないものであるか。もし国民全体の希望によって、自我のみ主張する事を止め、単に国内の道徳のみならず、国際間において真の王道を行うという事を思うたならば、今日の惨害を免れしめることが出来ようと信ずる。
現代語訳
我々はあくまでも、自分が望まないことは人にも仕向けないという道を守り、東洋の道徳を進め、いっそう平和を続けて、各国の幸福を進めていきたいと思う。少なくとも、他国に甚だしい迷惑をかけない範囲で自国の興隆を図る、という道はないものだろうか。もし国民全体の望みによって、自分だけを主張することをやめ、国内の道徳にとどまらず、国と国との間においても真の王道を行おうと考えたなら、今日の惨害は免れさせることができると信じている。
解説
第一次大戦の惨状を前にして書かれた章である。渋沢はもともと、文明が進めば戦争は割に合わなくなり自然に減るという説に共感していた。ロシアのブロッホの『戦争と経済』や、モロッコ問題が金融家の忠告で収まったという話を挙げている。その予想が大戦で裏切られた。原因の診断は「道徳といふものが国際間に遍ねく通ずることが出来ない」からだ、というものだ。国内では通る道理が、国境を越えると通らない。そこに彼は「己の欲せざる所は人に施す勿れ」を国際関係にまで拡張しようとする。理想論に見えるが、少なくとも他国に甚だしい迷惑をかけない範囲で自国の興隆を図れ、という現実的な線も同時に引いている。
この章句が説くこと
己の欲せざる所は人に施す勿れ国際の道徳弱肉強食真の王道誠実共感
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『講孟余話』告子下 第二章此の章、徐行疾行を以て孝弟を論じ、言行衣服を以て堯桀を分つ。言浅近なりと云へども、其の然る所以の故を求めば、性の本然道の全体具に茲に存するは勿論なり。然れども心を舎てて言行を論ずるは至論に非ず。若し此の論のみを信ぜば、巧言令色、足恭色荘の者を以て孝弟とし、堯舜とするの誤りあらん。又或は義外の説に陥り、道を以て偽となすに近からん。是れ亦思はざるべからず。故に註に「詳らかにするに曹交の間、浅陋麤率、必ず其の進見の時、礼貌衣冠言動の間、多く礼に循はず、故に孟子之に告ぐること此の両節の如し」と云ふとあり。然れども曹交の浅陋麤率専ら言語上に於て求むべからず。唯言語外に於て其の精神を想像すべし。然らずんば十尺九尺の言浅陋の如しと云へども、上篇第七章足口耳目の喩の如きも亦相類すと云ふべし。故に其の浅陋の所は十尺九尺に非ず、其の言語動作の間少しも精神なきのみ。又梁襄王を以て曹交に比し、其の優劣を臆度せんに、襄王は小才ありて絶えて実心なし。曹交は遅鈍の極みと云へども、却つて少しの実心あり。故に襄王は必ず事を誤る人なり。曹交に至りては却つて大誤なかるべし。千古の人を懸空に論ずるは無益なれども、亦致格の一端ならんか。
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『格言聯璧』處事類・天下に化すべからざるの人無し眞實の肝膽を以て人を待てば、事未だ必ずしも功を成さずと雖も、日後人必ず我の肝膽を見ん。 詐偽の心腸を以て事に處すれば、人即ひ一時惑ひを受くるも、日後人必ず我の心腸を見ん。 天下に化すべからざるの人無し、但だ誠心の未だ至らざるを恐る。 天下に爲すべからざるの事無し、只だ立志の堅からざるを怕る。
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史記 扁鵲倉公列伝時に未だ往かざるに、会々慶の子男殷来りて馬を献ず。師光に因りて馬を王の所に奏す。意故を以て殷と善きを得たり。光又意を殷に属して曰く、『意は数を好む。公必ず謹みて之を遇せよ。其の人は聖儒なり』と。即ち書を為りて意を以て陽慶に属す。故を以て慶を知る。臣意慶に事ふること謹む。故を以て意を愛するなり」と。臣意に問ひて曰く、「吏民嘗て事として意の方を学び、及び畢く尽く意の方を得たるもの有りや不や。何れの県里の人ぞ」と。対へて曰く、「臨菑の人宋邑。邑学ぶ。臣意教ふるに五診を以てすること、歳余。済北王太医高期・王禹を遣はして学ばしむ。臣意教ふるに経脈の高下及び奇絡の結、当に俞の居る所を論ずべきこと、及び気の当に上下出入すべき邪正逆順、以て鑱石に宜しきこと、砭灸の処を定むることを以てすること、歳余。菑川王時に太倉の馬長馮信を遣はして方を正さしむ。臣意教ふるに案法逆順、薬法を論じ、五味及び和斉湯法を定むることを以てす。高永侯の家丞杜信、脈を喜み、来り学ぶ。臣意教ふるに上下経脈五診を以てすること、二歳余。臨菑の召里の唐安来り学ぶ。臣意教ふるに五診上下経脈、奇咳、四時陰陽に応ずるの重を以てす。未だ成らずして、除せられて斉王の侍医と為る」と。臣意に問ふ、「病を診し死生を決するに、能く全く失無きか」と。臣意対へて曰く、「意病人を治するに、必ず先づ其の脈を切して、乃ち之を治す。敗逆なる者は治すべからず。其の順なる者は乃ち之を治す。心脈に精しからず、期する所の死生、治すべきを視るに、時時之を失す。臣意全くする能はざるなり」と。太史公曰く、女は美悪と無く、宮に居れば妒まる。士は賢不肖と無く、朝に入れば疑はる。故に扁鵲は其の伎を以て殃せられ、倉公乃ち跡を匿して自ら隠れて刑に当たる。緹縈尺牘を通じ、父以て後に寧きを得たり。故に老子曰く、「美好なる者は不祥の器なり」と。豈に扁鵲等を謂ふか。倉公の若き者は、之に近しと謂ふべし。手の三陽の脈は、手より頭に至るまで長さ五尺、五六合して三丈。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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