論語と算盤 / 仁義と富貴・金力悪用の実例
以前私は斯様な不正な贈賄をなす実業家は、海外には有りもしやうが、我が日本にはあるまいと思つて居たが、苟くも海外のそれに紛らはしい者が我が実業家中にもあると云ふのでは、甚だ以て遺憾に堪へない、それかあらぬか遂に三井会社の人までも、其の嫌疑の下に検挙されたのは、甚だ以て痛心の至りである、
書き下し
以前私はかような不正な贈賄をなす実業家は、海外にはありもしようが、我が日本にはあるまいと思っていたが、いやしくも海外のそれに紛らわしい者が我が実業家中にもあるというのでは、甚だもって遺憾に堪えない。それかあらぬかついに三井会社の人までも、その嫌疑の下に検挙されたのは、甚だもって痛心の至りである。
現代語訳
以前の私は、こうした不正な贈賄をする実業家は海外にはいるかもしれないが、我が日本にはいまいと思っていた。ところが、海外のそれとまぎらわしい者が我が国の実業家の中にもいるというのでは、まことに遺憾にたえない。そのせいかどうか、ついに三井会社(三井物産)の人までもがその嫌疑で検挙されたのは、まことに心の痛む限りである。
解説
渋沢の落胆がそのまま出た一段である。不正な贈賄をする実業家は外国にはいても日本にはいまい、という信頼が裏切られた。事件では、英国ヴィッカース社への巡洋戦艦「金剛」の発注をめぐって三井物産の幹部も検挙された。三井は渋沢が若いころから深く関わってきた財閥であり、日本の実業界を代表する看板である。そこから逮捕者が出たことを「痛心の至り」と書くのは、身内の不始末に対する恥の感覚に近い。渋沢は明治六年に官を辞して民間に下り、商人の地位を武士に負けないものにしようと半生をかけてきた。その実業界の中核で不正が起きたことは、彼の事業そのものへの打撃でもあった。「日本人はそんなことはしない」という思い込みは、自分たちへの点検を甘くする。不祥事を他社や他国の話として眺めているうちに、足元で同じことが起きる、というのがこの段の含みである。
関連する章句
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例あるいは取り扱い上の面倒があるので、正当なる売買の以外に、ごく軽微な何らかのことはあるかも知れないけれども、さきに発現した海軍収賄事件のような大仕掛けの罪悪は、いやしくも双方悪い考えが一致しなければ出来ぬ筈である。よし一方から賄賂を贈って来ても、一方がこれを受けぬと言えば仕方がない。また役人に不心得な者があって、婉曲にあるいは露骨に贈賄を促したとて、御用商人たる実業家が、自己の良心に省みて面目信用を大切に思う者ならば、必ずそんな要請には応じない筈である。やむを得ずばその取引を断っても、そんな罪悪は成立せぬようにすることが出来る筈である。私どもはしかあるべきものと固く信じている。
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例畢竟かような事件の発生するのも、仁義道徳と生産殖利を別々に考えて取り扱うからであろうと思われる。いやしくも生産殖利は正しき道によって経営すべきものであるとの観念が、我々お互い実業者間の信条となっているならば、外国の人はともかく、日本の実業家中にそのような不正を働く者のないことを誇り得るでもあろう。たとい相手方の人が貪慾心に駆られ、内々これこれのことをした、我輩の労に酬いろというような顔色を示したり、甚だしきは露骨に口に出してそのような申出でをなすような場合にも、それは正義に背く行為であるから、私には出来ぬと言って、きっぱり断るくらいの覚悟をもって商売をしたならば、必ずそのような誘導の起こるものではない。ここにおいて私はますます実業家の人格を高めることの必要を痛切に感ずるのである。実業界に不正の行為が跡を絶たぬようでは、国家の安全を期することが出来ないと言うまでに、深く私は憂えている。
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例しかるに海軍収賄事件の事実に徴するに、軍艦であるとか、軍需品であるとか、その納入について贈賄が行われたというのである。またひとり「シーメンス」会社にのみそのような事があったというのではない。およそ主なる物品の買い上げには、ほとんど贈賄行為が伴うているということである。海軍のみならず、陸軍にもまたその事が多く行われているということである。甚だしきはその買い上げられた品物が、表面の価格よりは実質がすこぶる劣って、どこかに完備を欠いている所の脆弱のものである、というような疑惑を蒙るは何事であるか。実に嘆かわしい次第ではないか。大学に「一人貪戻なれば、一国乱をなす」という語がある。これは何も貪欲とか収賄とかいうことを意味しているのではないが、収賄貪欲という底の人の些細な私曲から、ひいては天下を聳動するような大事に立ち至るということは、実に恐ろしい事と言わねばならぬ。
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例概して御用商人といえば、とかく世間では何か罪悪を含みいるもののごとく、悪感情をもって迎え、あれは御用商人であるという、その語には嫌な響きを持っている。私どもも御用商人と指し呼ばれたらば、甚だ心持ちが善くない。すなわち御用商人といえば、金の力をもって権勢に媚びる者、そして廉潔実直の事のみをしておられぬ性質の業体の者だというように一般の人に見なされているのは甚だ心外なことである。しかしながら海外のその道の者でも、また内地のその道の者でも、私どもの見る所では皆相当の資力ある人であって、よく道理をわきまえている。面目を重んじ信用を大切にする。かように自ら省みる底の人であれば、必ず是非善悪の判断に迷わぬ訳であるから、少々官府の人からいかがわしい申出でがあったからとて、おいそれとすぐに応諾はなさないかと思われる。
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以かくしてますます富を殖す方にのみ相挙って進む。そこで富む人はいよいよ富む。貧しい者も富を狙おうとする。仁義道徳は旧世紀の遺物として顧みない。むしろほとんどその何物たるかを知らぬ。ただ智識だけをもって自家の富を増すに汲々乎たる有様である。腐敗に傾き、溷濁に陥り、堕落混乱を来す。もとより怪しむに足らない。勢い廓清を叫ばなければならぬ事にもなるのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・これは果して絶望か自分の説に対して平和協会のボール氏とか、井上博士、塩沢博士、中島力造博士、菊池大麓男などは、全然帰一とまでは行かないにしても、必ずある程度までは帰一し得らるべきものである。世の中の物事が、時としては横道に外れるようなこともあるが、それはその事物が悪いので、そのために真理は少しもくらまされるものではない。昔はこうであったとか、こういう理論もあるとか言われて、仁義道徳と生産殖利とは必ず一致すべきもの、また一致せなければ真正の富を造り成し、これを永久に捕捉することの出来ないものであるということは、たいていの議論が帰着しようと思うと言っておられる。もし果たしてこういう論旨が十分に徹底して、世の中に鼓吹せられ、生産殖利は必ず仁義道徳によらねばならぬ、という観念が打成されたならば、仁義道徳に欠ける行為はおのずから止むに至るであろう。例えば、御用物品の買い上げに従う職司の人も、賄賂は仁義道徳に背くと心付けば、とても賄賂を収め得るものでない。御用商人の側から言うても、仁義道徳に背戻すると思えば、賄賂を行うことは出来まい。
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