論語と算盤 / 仁義と富貴・防貧の第一要義
此の報告会のとき、自分も集会した友人に対して意見を述べた、それは『人道よりするも経済的よりするも、弱者を救ふは必然のことであるが、更に政治上より論じても、其の保護を閑却することは出来ない筈である、但しそれも人に徒食悠遊させよと云ふのではない、成るべく直接保護を避けて、防貧の方法を講じたい、救済の方法としては、一般下級民に直接利害を及ぼす租税を軽減するが如きも、其の一法たるに相違ない、而して塩専売の解除の如きは、これが好箇の適例である』といふ意味であつた、此の集会は中央慈善協会に於て開催したのであつたが、会員諸君も余の所説を諒とされ、今日と雖も其の方法等に就て種々なる方面に向ひ、相共に調査を実行しつ〻ある次第である。
書き下し
この報告会のとき、自分も集会した友人に対して意見を述べた。それは「人道よりするも経済的よりするも、弱者を救うは必然のことであるが、さらに政治上より論じても、その保護を閑却することは出来ないはずである。ただしそれも人に徒食悠遊させよというのではない。なるべく直接保護を避けて、防貧の方法を講じたい。救済の方法としては、一般下級民に直接利害を及ぼす租税を軽減するがごときも、その一法たるに相違ない。そして塩専売の解除のごときは、これが好個の適例である」という意味であった。この集会は中央慈善協会において開催したのであったが、会員諸君も余の所説を諒とされ、今日といえどもその方法等について種々なる方面に向かい、相共に調査を実行しつつある次第である。
現代語訳
この報告会のとき、私も集まった友人たちに意見を述べた。それは「人道の面からしても経済の面からしても、弱者を救うのは当然のことだが、さらに政治の面から論じても、その保護をなおざりにすることはできないはずである。ただしそれも、人に働かずに遊び暮らさせよというのではない。なるべく直接の保護を避けて、貧困を防ぐ方法を講じたい。救済の方法としては、一般の下層の民に直接影響する租税を軽くすることなども、その一つの方法であるに違いない。そして塩の専売をやめることなどは、その格好の例である」という趣旨であった。この集会は中央慈善協会で開いたものだったが、会員の諸君も私の説に賛同され、今日でもその方法などについて、さまざまな方面に向けて、ともに調査を進めているところである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』仁義と富貴・防貧の第一要義いかに自ら苦心して築いた富にした所で、富はすなわち自己一人の専有だと思うのは大なる見当違いである。要するに、人はただ一人のみにては何事もなし得るものでない。国家社会の助けによって自らも利し、安全に生存するも出来るので、もし国家社会がなかったならば、何人たりとも満足にこの世に立つことは不可能であろう。これを思えば、富の度を増せば増すほど社会の助力を受けている訳だから、この恩恵に酬ゆるに救済事業をもってするがごときは、むしろ当然の義務で、出来る限り社会のために助力しなければならぬ筈と思う。「己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す」という言のごとく、自己を愛する観念が強ければ強いだけに、社会をもまた同一の度合をもって愛しなければならぬことである。世の富豪はまずかかる点に着眼しなくてはなるまい。
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『論語と算盤』仁義と富貴・防貧の第一要義余は従来救貧事業は人道上より、はたまた経済上よりこれを処理しなければならぬことと思っていたが、今日に至ってはまた政治上よりもこれを施行しなければならぬこととなったと思う。余の友人は先年欧州細民救助の方法を視察せんとして出発し、およそ一年半の日子を費やして帰朝したが、余もこの人の出発については多少助力した点から、帰朝後同趣味の人を集めて、その席上に報告演説を依嘱した。その人の語る所を聞いて見ると、英国のごときはこの事業完成のために、ほとんど三百年来苦心を継続して、今日わずかに整備するを得た。また「デンマルク」は英国以上に整頓しているが、仏、独、米なぞは、今や各自各様に細民問題に力を注いで、一寸の猶予もないとのことである。そして海外の事情を見れば見るほど、久しい以前より自分どもが力を注いでいた所に力を入れているように思われる。
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『論語と算盤』仁義と富貴・防貧の第一要義そういう慈善救済事業は得て誠実を欠くもので、その結果はかえって悪人を造るような事になりがちである。とにかく陛下の大御心の存し給う所を思い、この際富豪諸氏は社会に対する自己の義務を完うせられたい。これ実に畏き聖旨に副い奉るのみか、二つには社会の秩序、国家の安寧を保持する上において、いかばかりか貢献することが多かろう。
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『論語と算盤』仁義と富貴・防貧の第一要義この秋に当たって、畏くも陛下は大御心を悩まし給い、御先例になき貧窮者御救恤の御下賜金を仰せ出ださせられた。この洪大無辺の聖旨に対し奉りて、富豪者は申し合わせぬまでも、心中には何とかして聖恩の万分の一にだも酬い奉らなくてはならぬと苦慮するであろう。これこそ余が三十年来一日も忘るる能わざりし願意で、言わば願望が今日ようやく達せられたというもの。しかしながら誠に長く心掛けて来たことだけに、有難き聖旨を承くるにつけても、前途が非常に明るくなった感じがして、心中の愉快はほとんど譬えようがない。けれどもここに懸念すべきはその救済の方法いかんについてである。それが適度に行わるればよいが、乞食がにわかに大名になったというような方法では、慈善が慈善でなく、救恤が救恤でなくなる。それからもう一つ注意したいのは、陛下の御心に副い奉らんがため、富豪が資金を慈善事業に投ずるにしても、出来心の慈善、見栄から来た慈善は決して宜しくないということである。
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『論語と算盤』算盤と権利・唯王道あるのみその結果として貧富の懸隔を生ずるものとすれば、それは自然の成り行きであって、人間社会に免るべからざる約束と見て諦めるよりほか仕方がない。とは言え、常にその間の関係を円満ならしめ、両者の調和を図ることに意を用うることは、識者の一日も欠くべからざる覚悟である。これを自然の成り行き人間社会の約束だからと、その成るままに打ち棄て置くならば、ついに由々しき大事を惹起するに至るはまた自然の結果である。ゆえに禍を未萌に防ぐの手段に出で、よろしく王道の振興に意を致されんことを切望する次第である。
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『論語と算盤』仁義と富貴・富豪と徳義上の義務だから自分がかく分限者になれたのも、一つは社会の恩だということを自覚し、社会の救済だとか、公共事業だとかいうものに対し、常に卒先して尽すようにすれば、社会はますます健全になる。それと同時に自分の資産運用もますます堅実になるという訳であるが、もし富豪が社会を無視し、社会を離れて富を維持し得るごとく考え、公共事業社会事業のごときを捨てて顧みなかったならば、ここに富豪と社会民人との衝突が起こる。富豪怨嗟の声はやがて社会主義となり、ストライキとなり、結局大不利益を招くようにならぬとも限らぬ。だから富を造るという一面には、常に社会的恩誼あるを思い、徳義上の義務として社会に尽すことを忘れてはならぬ。
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