論語と算盤 / 常識と習慣・動機と結果
謂ゆる動機説で、其の例として、クロムウエルが英国の危機を救はんが為に、暗愚の君を弑し、自ら皇帝の位に上つたのは、倫理上悪でないと云つて居るが、今日最も真理として歓迎せらる〻パウルゼンの説では、動機と結果即ち志と所作の分量性質を仔細に較量して見なければならぬといふ、例へば、均しく国の為といふ戦の中にも、領土拡張の戦もあれば、国家存亡上止むを得ぬ戦もある、主権者としては均しく国家国民の為に計つたとは云へ、必ずしも領土拡張の必要もないのに、其の開戦の時機を誤つたとすれば、其の主権者の行為は悪である、けれども其の無謀の開戦も時宜に適して連戦連勝、大に国を富まし民を啓くの基をなしたといふ場合には、其の行為は善と言はねばならぬ、前例のクロムウエルの場合にも、幸に英国の危機を救ひ得たから善いが、若し志ばかり熱烈であつても、最後に国を危くするやうな結果を招いたとすれば、矢張り悪行為と判断されねばならぬ。
書き下し
いわゆる動機説で、その例として、クロムウェルが英国の危機を救わんがために、暗愚の君を弑し、自ら皇帝の位に上ったのは、倫理上悪でないと言っているが、今日最も真理として歓迎せらるるパウルゼンの説では、動機と結果すなわち志と所作の分量性質を仔細に較量して見なければならぬという。例えば、均しく国のためという戦の中にも、領土拡張の戦もあれば、国家存亡上やむを得ぬ戦もある。主権者としては均しく国家国民のために計ったとは言え、必ずしも領土拡張の必要もないのに、その開戦の時機を誤ったとすれば、その主権者の行為は悪である。けれどもその無謀の開戦も時宜に適して連戦連勝、大いに国を富まし民を啓くの基をなしたという場合には、その行為は善と言わねばならぬ。前例のクロムウェルの場合にも、幸いに英国の危機を救い得たから善いが、もし志ばかり熱烈であっても、最後に国を危うくするような結果を招いたとすれば、やはり悪行為と判断されねばならぬ。
現代語訳
いわゆる動機説であり、その例として、クロムウェルが英国の危機を救うために暗愚な君主を殺し、自ら皇帝の位に上ったのは、倫理上悪ではないと言っている。しかし今日最も真理として歓迎されているパウルゼンの説では、動機と結果、すなわち志と所作の量と質を細かく比べ量ってみなければならないという。たとえば、同じく国のためという戦争の中にも、領土拡張のための戦争もあれば、国家の存亡にかかわるやむを得ない戦争もある。主権者としては同じく国家国民のためを図ったとはいえ、領土拡張の必要もないのに開戦の時機を誤ったとすれば、その主権者の行為は悪である。けれども、その無謀な開戦も時宜にかなって連戦連勝し、大いに国を富ませ民を開く基礎となったという場合には、その行為は善と言わねばならない。先の例のクロムウェルの場合も、幸いに英国の危機を救うことができたから善いのであって、もし志ばかりが熱烈でも、最後に国を危うくするような結果を招いたとすれば、やはり悪い行為と判断されなければならないのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・動機と結果私はパウルゼンの説が果して真理かどうかは解らぬが、単に志が善ならばその所作も善だというミュアヘッドの説よりも、その志と所作とを較量した上に善悪を定めるという説の方が確かなように思われる。私が常に客を引見して質問に応えることを自分の義務としているだけ丁寧にするのと、また頼まれたからやむを得ぬと厭々ながらするのとでは、同一の事柄でもその志が非常に異なる。これと同時に同一の志でも、その時と所によって大いに事柄を異にする事もある。つまり土地に肥瘠あり時候に寒暖あるごとく、吾人の思想感情も異なっているから、同一の志をもって向かっても、相手によってその結果を異にするのである。だから人の行為の善悪を判断するには、よくその志と所作の分量性質を参酌して考えねばならぬのである。
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『論語と算盤』常識と習慣・動機と結果私は志の曲がった軽薄才子は嫌いである。いかに所作が巧みでも、誠意のない人はともに伍するを懌ばないが、しかし神ならぬ身には人の志まで見抜くということは容易でないから、自然志の良否はともかく、所作の巧みな人間に利用されぬとも限らぬのである。かの陽明説のごときは、知行合一とか良知良能とか言って、志に思うことがそれ自身行為に現れるのであるから、志が善ならば行為も善、行為が悪ならば志も悪でなければならぬが、私ども素人考えでは、志が善でも所作が悪になることもあり、また所作が善でも志が悪なることもあるように思われる。私は西洋の倫理学や哲学というようなことは少しも知らぬ。ただ四書や宋儒の学説によって、多少性論や処世の道を研究しただけであるが、私の如上の意見に対して、期せずしてパウルゼンの倫理説と合一するというものがある。その人の言うには、英国のミュアヘッドという倫理学者は、動機さえ善ならば、結果は悪でもよいという。
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『論語と算盤』実業と士道・功利学の弊を芟除すべし往時の下級生産者より出でて、あっぱれ身を立て家を興し、一躍具瞻の地位に進みたる人ももとより尠くないが、これらの人々ははたして道徳仁義に終始し、正路に歩し、公道を進み、俯仰天地に怍ずるなきの心事をもって、よく今日に至った者であろうか。関係の会社銀行等の事業を盛大ならしむべく、昼夜不断の努力を尽くすは、実業家としてまことに立派のことである。その株主に忠なる者と称するも不可なしであるけれども、もし会社銀行のために尽くす精神が、よってもって自ら利せんとするいわゆる利己の一念にとどまりて、株主の配当を多くするは、自家の金庫を重からしむるためなりとせば、もし会社銀行を破産せしめ、株主に欠損を与うるをもって自己の利益が多いという場合に際会したならば、あるいはこれを忍ぶやも測られない。孟子のいわゆる「奪わずんば饜かず」とはすなわちこれである。
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『論語と算盤』常識と習慣・親切らしき不親切世間には冷酷無情にしていささかも誠意なく、その行動の常に奇矯不真面目なものがかえって社会の信用を受け、成功の栄冠を戴きいるに、これに反して至極真面目にして誠意篤く、いわゆる忠恕の道に契ったものがかえって世に疎ぜられ落伍者となる場合がいくらもある。天道は果たして是か非か、この矛盾を研究するのは誠に興味ある問題である。思うに人の行為の善悪は、その志と所作と相まって較量せねばなるまい。志がいかに真面目で忠恕の道に契っていても、その所作が遅鈍であるとか、放僻邪肆では何にもならぬ。志においてはあくまで人のためになれかしと思っていても、その所作が人の害となるようでは善行と言われぬ。昔の小学読本に、「親切のかえって不親切になりし話」と題して、雛が孵化せんとして卵の殻から離れずに困っているのを見て、親切な子供が殻を剝いてやった所が、かえって死んでしまったという話があるが、孟子にもこれと同じような例がたくさんあったように記憶する。
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代かく事に対して是非得失、道理不道理を考査探究して、しかる後に手を下すのが事を処理するにおいて宜しきを得た方法であろうと思う。しかし考えるという点から見れば、いずれにしても精細に思慮しなくてはならぬ。一見してこれは道理に契うから従うがよいとか、これは公益に悖るから棄てるがよいとかいうがごとき早呑み込みはいけない。道理に合いそうに見えることでも、非道理の点はなかろうかと右からも左からも考えるがよい。また公益に反するように見えても、後々にはやはり世のためになるものではなかろうかと、穿ち入って考えなくてはならぬ。一言にして是非曲直、道理非道理と速断しても、適切でなければせっかくの苦心も何にもならぬ結果となる。
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『論語と算盤』常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道およそ事物に対し「かくせよ」「かくするな」というがごとき正邪曲直の明瞭なる者は、直ちに常識的判断を下し得るが、場合によってはそれも出来かねることがある。
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