論語と算盤 / 立志と学問・君子の争ひたれ
併しその出納局長なる男は、毫も私の言に耳を仮さぬのみか、二言三言言ひ争つた末、満面は恰かも朱を注げる如く紅くなつて、直ちに拳固を揮上げ、私を目蒐けて打つて掛つて来たのである。
書き下し
しかしその出納局長なる男は、ごうも私の言に耳を貸さぬのみか、二言三言言い争った末、満面はあたかも朱を注げるごとく紅くなって、直ちに拳固を振り上げ、私を目がけて打ってかかって来たのである。
現代語訳
しかしその出納局長という男は、少しも私の言葉に耳を貸さないばかりか、二言三言言い争ったあげく、顔じゅうがまるで朱を注いだように真っ赤になって、いきなり拳を振り上げ、私をめがけて殴りかかってきたのである。
解説
議論が尽きたところで、相手は腕力に訴えた。顔が朱を注いだように赤くなり、拳固を振り上げる。短い一段だが、描写は生々しい。渋沢が前段で丁寧に説いたことは、相手には届かなかった。理を尽くしても通じない相手がいる、という現実を、渋沢は隠さずに書いている。君子の争いは、相手も理で応じるなら議論で決着がつく。しかし相手が理の外に出たとき、こちらはどうするか。それがこの章の本当の問いである。ここで拳に拳で応じれば、正しかったはずの改革も、役所内の喧嘩として片づけられてしまう。逃げれば、改革そのものが暴力に屈したことになる。応じても退いても負けという局面で、渋沢がどう振る舞ったかが次の段で語られる。対立が感情の爆発に変わった瞬間こそ、人の器が試されるのである。
関連する章句
-
『論語と算盤』立志と学問・君子の争ひたれその男は小背の私に比べれば、身長の高い方であったが、怒気心頭に発し、足がふらついていた上にあまり強そうにも見えず、私はとにかく、青年時代において相当に武芸も仕込まれ身を鍛えていたことでもあるから、あながち膂力が無いという訳でもなかった。かりそめにも暴行に訴えて無礼をしたら、一ひねりにひねってやるのは何でもないことだとは思ったが、その男が椅子から立ち上がって、拳を握り腕をあげ、阿修羅のごとくになって猛り狂い私に詰めかけて来るのを見るや、私もすぐ椅子を離れてヒラリ身をかわし、全く神色自若として二三歩ばかり椅子を前に控えて後部に退き、その男が拳の持って行き所に困り、マゴマゴして隙を生じたのを見て取るや、すかさず泰然たる態度で、「ここはお役所でござるぞ、なんと心得召さる、車夫馬丁の真似をすることは許しませんぞ、お慎みなさい」と一喝したものだから、その出納局長もハッと悪いことをした、田夫野人の真似をしたということに気がついたものか、せっかく握り挙げた拳を引っ込めて、そのままスゴスゴと私のいた総務局長室を出て行ってしまったのである。
-
『論語と算盤』立志と学問・君子の争ひたれ私が絶対にいわゆる円満な人間でない、相応に角もあり、円満ならざる甚だ不円満な所もある人物たることを証明するに足る……証明という語を用いるも少し異様だが……実際をちょっと談して見ようかと思う。私はもちろん、少壮の頃より腕力に訴えて他人と争うごときことをした覚えはない。しかし若い時分には今日と違って、容貌などにもよほど強情らしい所もあったもので、したがって他人の眼からは今日よりも容易に争いをしそうに見えたものかも知れぬ。もっとも私の争いは、若い時分から、すべて議論の上、権利の上での争いで腕力に流れた経験はいまだかつて一度もない。
-
『論語と算盤』立志と学問・君子の争ひたれいやしくも正しい道をあくまで進んで行こうとすれば、絶対に争いを避けることは出来ぬものである。絶対に争いを避けて世の中を渡ろうとすれば、善が悪に勝たれるようなことになり、正義が行われぬようになってしまう。私は不肖ながら、正しい道に立ってなお悪と争わず、これに道を譲るほどに、いわゆる円満な腑甲斐のない人間でないつもりである。人間にはいかに円くとも、どこかに角が無ければならぬもので、古歌にもあるごとく、あまり円いとかえって転びやすいことになる。
-
『論語と算盤』立志と学問・君子の争ひたれその後その男の進退に関し種々と申し出る者もあり、また官庁内で上官に対し暴力を振るわんとしたはけしからんなどと騒ぎ立てる者もあったが、私は当人さえ非を悟り悔悟したなら、依然在職させておくつもりの所が、当の私より省中の者が憤慨して、右の事情を詳細太政官に内申に及んだので、太政官でも打ち放っておく訳に行かず、その男を免職せらるるに至ったのは、私が今なお甚だ気の毒に思うのである。
-
『論語と算盤』立志と学問・君子の争ひたれ私も絶対に争いをせぬ人間であるかのように解せらるる人も、世間に少なからぬように見受けるが、私はもちろん、好んで他人と争うことこそせざれ、全く争いをせぬというではない。
-
『論語と算盤』立志と学問・君子の争ひたれその出納局長が怒気を含んだ権幕で私に詰め寄るのを見て、私は静かにその男の言わんとする所を聴きとるつもりでいると、その男は伝票制度の実施に当たって手違いをしたことなどについては、一言の謝罪もせず、しきりに私が改正法を布いて欧州式の簿記法を採用したことについてのみ、かれこれと不平を並べるのであった。いったい貴公がアメリカに心酔して、一から十まであの国の真似ばかりしたがり、改正法なんかというものを発案して簿記法によって出納を行わせようとするから、こんな過失が出来るのである。責任は過失をした当事者よりも、改正法を発案した貴公の方にある。簿記法などを採用してくれさえせねば、我らもこんな過失をして、貴公などに責め付けられずに済んだのである、などと言語道断の暴言をほしいままにし、いささかたりとも自分等の非を省みる様な模様がないので、私もその非理屈にはやや驚いたがなお憤らず、出納の正確を期せんとするには、ぜひとも欧州式簿記法により、伝票を使用する必要あることを諄々と説いて聞かせたのである。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る