論語と算盤 / 立志と学問・自ら箸を取れ
其の与へられた仕事に不平を鳴らして、往つて了ふ人は勿論駄目だが、つまらぬ仕事だと軽蔑して、力を入れぬ人も亦駄目だ、凡そどんな些細な仕事でも、其れは大きな仕事の一小部分で、是が満足に出来なければ、遂に結末がつかぬ事になる、時計の小さい針や、小さい輪が怠けて働かなかつたら、大きな針が止まらなければ為らぬやうに、何百万円の銀行でも、厘銭の計算が違ふと、其日の帳尻がつかぬものだ、若い中には気が大きくて、小さい事を見ると、何のこれしきなと軽蔑する癖があるが、それが其時限りで済むものならまだしも、後日の大問題を惹起することが無いとも限られぬ、よし後日の大問題にならぬまでも、小事を粗末にするやうな粗大な人では、所詮大事を成功させることは出来ない、水戸の光圀公が壁書の中に『小なることは分別せよ、大なることは驚くべからず』と認めて置かれたが、独り商業といはず軍略といはず、何事にも此の考へでなくてはならぬ。
書き下し
その与えられた仕事に不平を鳴らして、いってしまう人はもちろん駄目だが、つまらぬ仕事だと軽蔑して、力を入れぬ人もまた駄目だ。およそどんな些細な仕事でも、それは大きな仕事の一小部分で、これが満足に出来なければ、ついに結末がつかぬ事になる。時計の小さい針や、小さい輪が怠けて働かなかったら、大きな針が止まらなければならぬように、何百万円の銀行でも、厘銭の計算が違うと、その日の帳尻がつかぬものだ。若いうちには気が大きくて、小さい事を見ると、何のこれしきなと軽蔑する癖があるが、それがその時限りで済むものならまだしも、後日の大問題を惹起することが無いとも限られぬ。よし後日の大問題にならぬまでも、小事を粗末にするような粗大な人では、所詮大事を成功させることは出来ない。水戸の光圀公が壁書の中に「小なることは分別せよ、大なることは驚くべからず」と認めておかれたが、ひとり商業といわず軍略といわず、何事にもこの考えでなくてはならぬ。
現代語訳
与えられた仕事に不平を鳴らして辞めていってしまう人はもちろん駄目だが、つまらない仕事だと軽蔑して力を入れない人もまた駄目だ。どんなささいな仕事でも、それは大きな仕事の一部分であって、これが満足にできなければ、結局は全体の締めくくりがつかないことになる。時計の小さな針や小さな歯車が怠けて働かなければ、大きな針も止まらざるを得ないように、何百万円の資本の銀行でも、一厘一銭の計算が違えば、その日の帳尻は合わないものだ。若いうちは気が大きくて、小さなことを見ると、何のこれしきと軽蔑する癖があるが、それがその場限りで済むならまだしも、後日の大問題を引き起こさないとも限らない。たとえ後日の大問題にならないまでも、小さなことを粗末にするような大ざっぱな人では、しょせん大事を成功させることはできない。水戸の徳川光圀公が壁書に「小さなことはよく分別せよ、大きなことには驚くな」と書いておかれたが、商業に限らず軍略に限らず、何事にもこの考えでなくてはならない。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代ただし箸の上げ下ろしにも心を労するほど小事に拘泥するは、限りある精神を徒労するというもので、何もそれほど心を用うる必要の無いこともある。また大事だからとて、さまで心配せずとも済まされることもある。ゆえに事の大小というたとて、表面から観察して直ちに決する訳にはゆかぬ。小事かえって大事となり、大事案外小事となる場合もあるから、大小に拘わらず、その性質をよく考慮して、しかる後に相当の処置に出るように心掛くるのがよいのである。
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『論語と算盤』立志と学問・自ら箸を取れ誰が仕事を与えるにしても、経験のない若い人に、初めから重い仕事を授けるものではない。藤吉郎の大人物をもってしても、初めて信長に仕えた時は、草履取という詰らぬ仕事をさせられた。乃公は高等の教育を受けたのに、小僧同様に算盤を弾かせたり、帳面をつけさせたりするのは馬鹿馬鹿しい、先輩なんていうものは人物経済を知らぬものだなどと、不平をいう人もあるが、これはすこぶるもっとものようだがしかももっともでない。なるほどひとかどの人物に詰らぬ仕事をさせるのは、人物経済上から見てすこぶる不利益の話だが、先輩がこの不利益をあえてする意思には、そこに大なる理由がある。決して馬鹿にした仕向けではない。その理由はしばらく先輩の意中に任せて、青年はただその与えられた仕事を専念に行っていかなければならぬ。
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代水戸黄門光圀公の壁書中に『小なる事は分別せよ、大なることに驚くべからず』とあるは、真に知言と言うべきである。
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代人の不親切とかわがままとかいうことも、小が積んで次第に大となるもので、積り積もれば政治家は政治界に悪影響を及ぼし、実業家は実業上に不成績を来し、教育家はその子弟を誤るようになる。されば小事必ずしも小でない。世の中に大事とか小事とかいうものはない道理、大事小事の別を立ててとやかくいうのは、畢竟君子の道であるまいと余は判断するのである。ゆえに大事たると小事たるとの別なく、およそ事に当たっては同一の態度、同一の思慮をもってこれを処理するようにしたいものである。これに添えて一言して置きたいことは、人の調子に乗るはよくないということである。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切そして得た所の教訓を約言すれば、大略次のごときものがある。すなわち一些事の微に至るまでもこれを閑却するはよろしくない。自己の意志に反することなら事の細大を問うまでもなく、断然これを跳ね付けてしまわねばいけない。最初は些細の事と侮ってやった事が、ついにはそれが原因となって総崩れとなるような結果を生み出すものであるから、何事に対してもよく考えてやらねばならぬ。
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『論語と算盤』立志と学問・自ら箸を取れ古語に「千里の道も跬歩よりす」と言ってある。たとい自分はもっと大きな事をする人間だと自信していても、その大きな事は片々たる小さな事の集積したものであるから、どんな場合をも軽蔑することなく、勤勉に忠実に誠意を籠めてその一事を完全に仕遂げようとしなければならぬ。秀吉が信長から重用された経験もまさにこれであった。草履取の仕事を大切に勤め、一部の兵を托された時は一部将の任を完全にしていたから、そこに信長が感心して、ついに破格の抜擢を受け、柴田や丹羽と肩を並べる身分になったのである。ゆえに受附なり帳附なり、与えられた仕事にその時の全生命をかけて真面目にやり得ぬ者は、いわゆる功名利達の運を開くことは出来ない。
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