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論語と算盤 / 立志と学問・自ら箸を取れ

誰が仕事を与へるにしても、経験のない若い人に、初めから重い仕事を授けるものでは無い、藤吉郎の大人物を以てしても、初めて信長に仕へた時は、草履取といふ詰らぬ仕事をさせられた、乃公は高等の教育を受けたのに、小僧同様に算盤を弾かせたり、帳面をつけさせたりするのは馬鹿々々しい、先輩なんていふものは人物経済を知らぬものだ抔と、不平をいふ人もあるが、是は頗る尤ものやうだが而かも尤もでない、成程一廉の人物に詰らぬ仕事をさせるのは、人物経済上から見て頗る不利益の話だが、先輩が此の不利益を敢てする意思には、其所に大なる理由がある、決して馬鹿にした仕向けではない、その理由は暫らく先輩の意中に任せて、青年は唯その与へられた仕事を専念に行つて往かなければならぬ。

書き下し

誰が仕事を与えるにしても、経験のない若い人に、初めから重い仕事を授けるものではない。藤吉郎の大人物をもってしても、初めて信長に仕えた時は、草履取という詰らぬ仕事をさせられた。乃公は高等の教育を受けたのに、小僧同様に算盤を弾かせたり、帳面をつけさせたりするのは馬鹿馬鹿しい、先輩なんていうものは人物経済を知らぬものだなどと、不平をいう人もあるが、これはすこぶるもっとものようだがしかももっともでない。なるほどひとかどの人物に詰らぬ仕事をさせるのは、人物経済上から見てすこぶる不利益の話だが、先輩がこの不利益をあえてする意思には、そこに大なる理由がある。決して馬鹿にした仕向けではない。その理由はしばらく先輩の意中に任せて、青年はただその与えられた仕事を専念に行っていかなければならぬ。

現代語訳

誰が仕事を与えるにしても、経験のない若い人に、はじめから重い仕事を授けるものではない。藤吉郎ほどの大人物でさえ、初めて信長に仕えたときは、草履取りというつまらない仕事をさせられた。自分は高等教育を受けたのに、小僧と同じように算盤をはじかせたり帳面をつけさせたりするのはばかばかしい、先輩などというものは人材を使う経済というものを知らない、などと不平を言う人もいる。これはいかにももっともらしいが、実はもっともではない。なるほど、ひとかどの人物につまらない仕事をさせるのは、人材の経済という点から見ればずいぶん不利益な話である。しかし先輩があえてこの不利益を忍ぶ意図には、そこに大きな理由がある。決してばかにした仕打ちではない。その理由はしばらく先輩の胸の内に任せておき、青年はただ与えられた仕事にひたすら打ち込んでいかなければならない。

解説

高等教育を受けたのに帳面つけとは馬鹿らしい——明治末から大正にかけて、学校出が大勢会社へ入り始めた時代の不平である。渋沢はこれを「頗る尤ものやうだが而かも尤もでない」と受け止める。まず不平の側の理屈を認めているのが面白い。有能な人に雑用をさせるのは、人物経済、つまり人材の使い方として確かに損である。先輩もそれは分かっている。分かったうえで損を引き受けるのには理由がある、と。その理由を渋沢はここでは明かさず「暫らく先輩の意中に任せて」と言う。理由を説明されるまで動かない者には大事を任せにくい、という含みも読み取れる。理由は次の段で、小事の積み重ねとして語られる。下積みを不合理と切り捨てる前に、上の者が損を承知で課している意味を考えよ、という一段である。

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