論語と算盤 / 処世と信条・蟹穴主義が肝要
箸の上げ下しの注意が出来れば、次に心掛くべきは自分を知るといふことである、世の中には随分自分の力を過信して非望を起す人もあるが、余り進むことばかり知つて、分を守ることを知らぬと、飛んだ間違を惹き起すことがある、
書き下し
箸の上げ下ろしの注意が出来れば、次に心掛くべきは自分を知るということである。世の中には随分自分の力を過信して非望を起こす人もあるが、あまり進むことばかり知って、分を守ることを知らぬと、飛んだ間違いを惹き起こすことがある。
現代語訳
箸の上げ下ろしの注意ができるようになれば、次に心がけるべきは自分を知るということである。世の中には、ずいぶん自分の力を過信して分不相応な望みを起こす人もいるが、あまりに進むことばかり知って分を守ることを知らないと、とんでもない間違いを引き起こすことがある。
解説
日常の所作の次に心がけるべきこととして、渋沢は自分を知ることを挙げる。自分の力を過信して非望、つまり身の程を超えた望みを起こし、進むことばかり知って分を守ることを知らなければ、とんでもない間違いを引き起こす。章題の「蟹穴主義」は、蟹は甲羅に似せて穴を掘るという諺から来ている。渋沢は、大蔵大臣や日本銀行総裁への就任を打診されながら、実業界という自分の穴から出なかった。ただしこれは縮こまれという教えではない。同じ章で渋沢は、分に安んずるからといって進取の気象を忘れてはならないと念を押している。自分の力量を正しく測ることは、挑戦をやめることではなく、挑戦の的を外さないための条件である。事業の拡大や多角化を考えるとき、自分たちの強みの輪郭を知っているかどうかで成否が分かれる。
関連する章句
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『論語と算盤』処世と信条・蟹穴主義が肝要私は蟹は甲羅に似せて穴を掘るという主義で、渋沢の分を守るということを心掛けている。これでも今から十年ばかり前に、ぜひ大蔵大臣になってくれだの、また日本銀行の総裁になってくれだのという交渉を受けたこともあるが、自分は明治六年に感ずる所があって実業界に穴を掘って這入ったのであるから、今更その穴を這い出すことも出来ないと思って固く辞してしまった。孔子は「もって進むべくんば進み、もって止まるべくんば止まり、もって退くべくんば退く」と言っておられるが、実際人はその出処進退が大切である。しかしながら分に安んずるからと言って、進取の気象を忘れてしまっては何にもならぬ。業もし成らずんば死すとも還らずとか、大功は細瑾を顧みずとか、男子ひとたび意を決す、すべからく乾坤一擲の快挙を試むべしなどと言うが、その間にも必ず己が分を忘れてはならぬ。孔子は「心の欲する所に従って矩を踰えず」と言われたが、つまり分に安んじて進むのがよかろうと思う。
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『論語と算盤』処世と信条・蟹穴主義が肝要私の処世の方針としては、今日まで忠恕一貫の思想でやり通した。古来宗教家道徳家というような人に碩学鴻儒がたくさん輩出して、道を教え法を立てたけれども、畢竟それは修身――すなわち身を修めるという一事に尽きているだろうと思う。その修身も回りくどく言えばむずかしいが、分かり易く言えば、箸の上げ下ろしの間の注意にも、十分その意義が含まれているだろうと思われる。私はその意味において、家族に対しても、客に対しても、その他手紙を見るにも何を見るにも誠意をもってしている。孔子はこの意味を『入公門、鞠躬如也、如不容、立不中門、行不履閾、過位、色勃如也、足躩如也、其言似不足者、摂斉升堂、鞠躬如也、屛気、似不息者、出降一等、逞顔色、怡々如也、没階趨進、翼如也、復其位、踧踖如也』の中に遺憾なく説いておられる。また、享礼、聘招、衣服、起臥についても諄々と説かれ、食物の段に至って、『食不厭精、膾不厭細、食饐而餲、魚餒而肉敗不食、色悪不食、臭悪不食、失飪不食、不時不食、割不正不食、不得其醤不食』云々と言っておられる。これらはごく卑近な例だが、道徳や倫理はこれら卑近のうちに籠っているのであろうと思う。
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