驢鞍橋 / 卷中
因に語て曰く、謠は能く作りしもの也。日本にて造りしものには恐らくは一番なるべし。先つ言はよふつゝけたり。同く節仕形いづれも好し。言葉も佛法げな事はどうも云はんずが、熊野松風抔の樣なるが、就中云はれましきと思ふ也。去りなから熊野の口に、是は平の宗盛也、ゆやと申す女に抔云ふたは、近比たはけた云ひ樣也。能に見て笑し。又斑女に扇を出して、一つ事を重らぬやうに長く云ふた抔は、さりとてはよい云ひ樣なり。扨て又仕形から造つた謠も有りと見えたり。是れは謠が面白くもなし。又謠から仕形を付けたも有りと見えたり。何としても是はしかた次也。
新字:因に語て曰く、謡は能く作りしもの也。日本にて造りしものには恐らくは一番なるべし。先つ言はよふつゝけたり。同く節仕形いづれも好し。言葉も仏法げな事はどうも云はんずが、熊野松風抔の様なるが、就中云はれましきと思ふ也。去りなから熊野の口に、是は平の宗盛也、ゆやと申す女に抔云ふたは、近比たはけた云ひ様也。能に見て笑し。又斑女に扇を出して、一つ事を重らぬやうに長く云ふた抔は、さりとてはよい云ひ様なり。扨て又仕形から造つた謡も有りと見えたり。是れは謡が面白くもなし。又謡から仕形を付けたも有りと見えたり。何としても是はしかた次也。
書き下し
因に語て曰く、謡は能く作りしもの也。日本にて造りしものには恐らくは一番なるべし。先つ言はよふつゝけたり。同く節仕形いづれも好し。言葉も仏法げな事はどうも云はんずが、熊野松風抔の様なるが、就中云はれましきと思ふ也。去りなから熊野の口に、是は平の宗盛也、ゆやと申す女に抔云ふたは、近比たはけた云ひ様也。能に見て笑し。又斑女に扇を出して、一つ事を重らぬやうに長く云ふた抔は、さりとてはよい云ひ様なり。扨て又仕形から造つた謡も有りと見えたり。是れは謡が面白くもなし。又謡から仕形を付けたも有りと見えたり。何としても是はしかた次也。
現代語訳
ついでに語って言われた。謡はよく作られたものである。日本で造られたものの中では、おそらく一番であろう。まず言葉がよく続いている。同じく節も所作もどれもよい。言葉の上で仏法めいたことはどうも言わないものだが、熊野や松風などのようなものは、とりわけそうしたことを言っていないと思う。とはいえ熊野の冒頭に「これは平宗盛なり、熊野という女に」などと言ったのは、まったくばかげた言い方だ。能で見ると笑ってしまう。また班女で扇を出して、同じことを重ねないように長く言い続けたのなどは、なんとも良い言い方である。さてまた、所作から造った謡もあると見える。これは謡が面白くない。また謡から所作をつけたものもあると見える。なんといっても、これは所作次第である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中山姥抔が謡から作つたと見えたり、仕形余り面白からず。しかれは山姥の後シテの出端に、あらものすごの深谷や深谷やと云つて出るは悪し。なに山うばの深谷のすでいと云ふ事あらんや。爰をは他にうたはせたし、其の出ろふな機をうたふ位也。寒林に骨を打つ霊鬼嘆々前生の業を恨む、林野に花を供する天人返す返す幾生の善を悦ぶと、爰までうたはせたし。是は善悪の二つを云ひ立たる処也。此の時、いや善悪不二、何をか恨み何をか悦はんと云つて出てよし。又ツレに恐しや月もこぶかき山かげより其さまけしたる顔ばせは、其の山姥にてまし本のまますかと云ふも、古本の如く、そも山うばにてかよそふな。黒雪なほすと云ふか其の山姥かとい、何とず我伯母かなんずの様な云ひ様也。又クセにあし引の山うばか山めぐりするぞ苦しきと云ふも悪し。山姥の山めぐり苦しかるへき道理なし、山廻りするそ妙なると云ひたし。
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『驢鞍橋』卷中又卒都婆小町のワキのサシに、抑も是は高野より出てたる僧と云ふ時は、先づ弘法よ、しかるに我か為めに心も留むる子もなしと云ふは不出来也。なに出家のまた子を持つと云ふことあらんや。又哀やげにと云ふ処にて、右のかげの女とて若きを連れ出したし。又花さきし木はかくれなしと云ふても卒都婆のしるしに成り難し。又逆縁なりと浮ふへしと云ふもよわい言ひ様也。又我は其の時力を得と云ふも悟道の人に似合はぬ云ひ様なり。又歌もでき口にて、意に当らず。
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『驢鞍橋』卷中又のふ物たべのふと狂ひ出るも大なる錯也。なに悟道人の気の違ふと云ふことあらんや。爰を古の狂気の有様学はんて御見せ候へと云つて、さらいゑぼしをめせと仕によせ、アヒの男を出し、さて其の後出てまねに狂ふにしたし。又キリに花を仏に手向つゝ悟の道に入らうよと云ふも、相違した云ひやう也。又凡夫に仕成したり、でかい錯ではをりないか故に我造り直しけるを松平和泉守殿見て、観世左近太夫にみせ、御前能の時分させんと云つて取り給ふ也
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『驢鞍橋』卷中一日、観世某来て法要を問ふ師彼に謂て曰く、謡を歌ふへし。彼の人行規にかゝり少しの間歌ふ。師曰く機をきつとして胴より声をつき出して歌ふ時、一諸念有りや。彼曰く、諸念なし。師曰く是れ則ち坐禅の機也。別に用心なし。常住此の機を用ゆへし若し熟せは、無相無念の心と成るへし無相の時物に応して形を現はす、神男女鬼の舞、其の儘用ひ得て、しかたも歌ひも弥々名人となり、仏法世法共に成就すへし。只謡を以て坐禅を仕習ひめされよと也。
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『十善法語』巻第五・不綺語戒詩賦文章ノ類。我邦ノ敷島ノ道。ミナ精神ヲ模シ出シ。風化ヲ助ケ。道理ヲ寓スル器シヤ。歌学者カ一草一木一瓦一石マテ。言ヲ発シテ歌ヨメト云ヌハカリノ姿シヤト云。詩人カ人事万般四時ノ風景コトコトク佳句ノアル処ト云。男女ノ情ニ寄テ君臣ノ義ヲノヘ。杯酒ニヨセテ慷慨ノ気象ヲ顕ハスト云。並ニ其楽其人ニ在ベキコトシヤ。詩経三百篇ヲ審ニスレハ。国風人情ノ中ニ世ヲ救ヒ民ニ長タル趣有テ存スル。文選ニ至リ唐詩ニ至ルマテ。時ノ治乱。民ノ苦楽。事ノ成敗。情ノ虚実。条然トワカレテ面白キコト多イト云コトシヤ。降テハ宋詩ノ理ニ過ルモ。明詩ノ模様ニワタルモ。其楽其人ニ在ベシ。我邦ノ和歌。万葉已来。ソノ風采。千歳ノ後モ感ニ入ルコトシヤ。玄賓僧都ノ山田モルノ詠。蟬丸カ此ヤコノノ歌。喜撰カ宇治山ノ歌ノ類。ソノ逸趣。天竺ノ偈頌ノ文ニモ比スヘキト云。又桜カサシテ今日モ暮シツト云。紅葉ノ錦神ノマニマニト云。我身ヒトツハ旧ノ身ニシテト云類。三百篇ニモ比スヘキト云シヤ。
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『驢鞍橋』卷下一日、去る在家にて人の戯れ歌を歌ふを聞て曰く、歌ふも舞ふも法の声と云ふこと、誠に法の声也。女人より男の念の少きは、何としてもまぎるゝことの多き故に、罪浅しと也。
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