立正安国論 / 『立正安国論』最後の結句と聖道門を閣く
又云念佛行者必可具足三心之文觀無量壽經云同經疏云問云若有解行不同邪雜人等防外邪異見之難或行一分二分群賊等喚廻者卽喩別解別行惡見人等私云又此中言一切別解別行異學異見等者是指聖道門已又最後結句文云夫速欲離生死二種勝法中且閣聖道門選入淨土門欲入淨土門正雜二行中且抛諸雜行選應歸正行已
新字:又云念仏行者必可具足三心之文観無量寿経云同経疏云問云若有解行不同邪雑人等防外邪異見之難或行一分二分群賊等喚廻者即喩別解別行悪見人等私云又此中言一切別解別行異学異見等者是指聖道門已又最後結句文云夫速欲離生死二種勝法中且閣聖道門選入浄土門欲入浄土門正雑二行中且抛諸雑行選応帰正行已
書き下し
又云わく、念仏の行者必ず三心を具足すべきの文。観無量寿経に云わく、同経の疏に云わく、問うて云わく、若し解行不同の邪雑の人等、外の邪異見の難を防ぐ。或いは行くこと一分二分にして、群賊等喚び廻すとは、即ち別解別行・悪見の人等に喩う。私に云わく、又此の中に一切の別解別行・異学異見等と言うは、是れ聖道門を指す已。又最後の結句の文に云わく、夫れ速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に、且く聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中に、且く諸の雑行を抛ちて、選んで正行に帰すべし、已上。
現代語訳
また『選択集』にはこうあります。念仏を行う者は必ず三つの心を備えなければならないという文。『観無量寿経』にこうある。同経の注釈にこうある。問う。もし理解も修行も異なる邪雑の人たちがいて、外からの異なる見方による非難を防ごうとして、あるいは少しばかり修行を進めたところで、群れなす賊が呼び戻すというのは、すなわち別の理解・別の修行をする悪見の人たちを例えたものである。私(法然)が言う。またここで、一切の別解別行、異学異見などと言っているのは、聖道門を指すのである。さらに最後の結びの文にはこうある。そもそも速やかに生死の迷いを離れようと思うなら、二種のすぐれた方法の中で、しばらく聖道門をさしおいて、選んで浄土門に入りなさい。浄土門に入ろうと思うなら、正行と雑行の二つの行の中で、しばらく諸々の雑行を投げ捨てて、選んで正行に帰依しなさい、以上。
解説

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