立正安国論 / 『立正安国論』難行道と易行道の区別
曇鸞法師往生論注云謹案龍樹菩薩十住毘婆沙云菩薩求阿毘跋致有二種道一者難行道二者易行道此中難行道者即是聖道門也易行道者即是淨土門也淨土宗學者先須知此旨設雖先學聖道門人若於淨土門有其志者須弃聖道歸於淨土
新字:曇鸞法師往生論注云謹案竜樹菩薩十住毘婆沙云菩薩求阿毘跋致有二種道一者難行道二者易行道此中難行道者即是聖道門也易行道者即是浄土門也浄土宗学者先須知此旨設雖先学聖道門人若於浄土門有其志者須弃聖道帰於浄土
書き下し
曇鸞法師の往生論注に云わく、謹んで案ずるに、龍樹菩薩の十住毘婆沙に云わく、菩薩、阿毘跋致を求むるに二種の道有り。一には難行道、二には易行道なり。此の中、難行道とは即ち是れ聖道門なり。易行道とは即ち是れ浄土門なり。浄土宗の学者は、先ず須く此の旨を知るべし。設い先に聖道門を学ぶ人なりと雖も、若し浄土門に於て其の志有らば、須く聖道を棄てて浄土に帰すべし。
現代語訳
曇鸞法師の『往生論注』にはこうあります。つつしんで考えるに、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』に、菩薩が不退転の位を求めるのに二種類の道がある、とある。一つは難行道、二つは易行道である。このうち難行道とは、つまり聖道門のことである。易行道とは、つまり浄土門のことである。浄土宗を学ぶ者は、まずこの趣旨を知らなければならない。たとえ先に聖道門を学んだ人であっても、もし浄土門に志があるならば、聖道を棄てて浄土に帰しなさい。
解説
前の項に続き、主人が『選択集』の引く文をそのまま並べていく箇所です。曇鸞の『往生論注』が龍樹の説を引いて、難行道と易行道を分け、前者を聖道門、後者を浄土門にあてています。日蓮はこうした文を、他の教えを捨てさせる論拠として問題視しました。ここでも、批判する前に相手の依拠した文献を、言葉を加えずに示している点に注目できます。論争は、解釈を語る前に原文を提示することで、聞く側が自分で確かめられる形になります。仕事の場でも、誰かの方針を批判するなら、まず当人が根拠にした資料を共有するのが筋です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
難行道易行道曇鸞竜樹十住毘婆沙浄土門
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