臨済録 / 上堂
府主王常侍與諸官請師升座,師上堂,云:
新字:府主王常侍与諸官請師升座,師上堂,云:
書き下し
府主王常侍、諸官と師に升座を請う。師、上堂して云く、
現代語訳
鎮州の府主である王常侍(おうじょうじ、臨済の庇護者となった地方長官)が、役人たちとともに、師に説法の座に上るよう願い出た。師は法堂に上って言った。
解説
『臨済録』の冒頭、上堂の段の書き出しである。上堂とは、住持が法堂の高座に上って修行僧や聴衆に向けて法を説くことをいう。臨済義玄は唐末の禅僧で臨済宗の祖とされ、河北の鎮州臨済院に住した。その活動を支えたのが府主の王常侍であり、語録はまず、俗世の権力者が役人を引き連れて禅僧に説法を請う場面から始まる。権力の側が教えを求め、禅僧がそれに応じるという構図は、中国禅が地方官の保護のもとで広がった事情を映している。組織でいえば、上に立つ者が自ら現場の知恵者に頭を下げて話を聞きに行く姿であり、学ぶ側の姿勢が場の質を決めることを示す一行である。
関連する章句
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『臨済録』上堂山僧今日、事已むを獲ずして、曲げて人情に順ひ方に此の座に登る。若し祖宗門下に約して大事を稱揚せば、直だ是れ口を開くを得ず、爾が足を措く處無からん。山僧此の日、常侍の堅く請ふを以て、那んぞ綱宗を隱さん。還た作家の戰將、直下に陣を展べ旗を開く者有りや。眾に對して證據し看よ」と。僧問ふ、「如何なるか是れ佛法の大意」と。師便ち喝す。僧禮拜す。師云く、「這箇の師僧、却つて論を持するに堪へたり」と。師に問ふ、「誰が家の曲をか唱ふる。宗風阿誰にか嗣ぐ」と。師云く、「我れ黃蘗の處に在りて、三度發問し、三度打たる」と。僧擬議す。師便ち喝し、隨後して打ちて云く、「虛空裏に向かって橛を釘つ可からざるなり」と。座主有りて問ふ、「三乘十二分教、豈に是れ佛性を明かすにあらずや」と。師云く、「荒草曾て鋤かず」と。主云く、「佛豈に人を賺かんや」と。師云く、「佛は什麼の處にか在る」と。主語無し。師云く、「常侍の前に對して老僧を瞞かんと擬す。速やかに退け、速やかに退け。他の別人の諸問を妨ぐ」と。復た云く、「此の日の法筵は一大事の為の故なり。更に問話する者有りや。速やかに問ひ來れ。爾纔かに口を開けば、早く交涉勿きなり。
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『臨済録』上堂上堂。僧有り出でて礼拝す。師便ち喝す。僧云く、「老和尚、探頭すること莫くんば好し。」師云く、「爾道え、什麼の処にか落在す。」僧便ち喝す。又た僧有り問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師便ち喝す。僧礼拝す。師云く、「爾道え、好喝なりや也た無や。」僧云く、「草賊大敗す。」師云く、「過、什麼の処にか在る。」僧云く、「再犯は容さず。」師便ち喝す。是の日、両堂の首座相見えて、同時に喝を下す。僧、師に問う、「還って賓主有りや也た無や。」師云く、「賓主歴然。」師云く、「大衆、臨済が賓主の句を会せんと要せば、堂中の二首座に問取せよ。」便ち座を下る。上堂。僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師、払子を竪起す。僧便ち喝す。師便ち打つ。又た僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師亦た払子を竪起す。僧便ち喝す。師も亦た喝す。僧擬議す。師便ち打つ。師乃ち云く、「大衆、夫れ法の為にする者は、喪身失命を避けず。我れ二十年、黄檗先師の処に在って、三度仏法的的の大意を問い、三度他の杖を賜うことを蒙る。蒿枝の払著するが如くに相似たり。如今更に一頓の棒を得て喫せんことを思う。誰人か我が為に行じ得ん。」時に僧有り衆を出でて云く、「某甲行じ得ん。」師、棒を拈じて他に与う。其の僧接せんと擬す。師便ち打つ。上堂。僧問う、「如何なるか是れ剣刃上の事。」師云く、「禍事、禍事。」僧擬議す。師便ち打つ。問う、「秖だ石室行者の、碓を踏んで脚を移すことを忘却するが如きは、什麼の処に向かってか去る。」師云く、「深泉に没溺す。」師乃ち云く、「但だ来たる者有らば伊を虧欠せず、総に伊が来処を識る。若し与麼に来たらば、恰も失却するに似たり。与麼に来たらざれば、縄無くして自ら縛す。一切時中、乱りに斟酌すること莫かれ。会と不会と、都来是れ錯。分明に与麼に道う、天下の人の貶剝するに一任す。久立珍重。」
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『臨済録』行録師、諱は義玄、曹州南華の人なり。俗姓は邢氏。幼にして穎異、長じて孝を以て聞こゆ。落髪受具するに及んで、講肆に居り、毘尼を精究し、経論を博賾(はくさく)す。俄にして歎じて曰く、「此れは済世の医方なり、教外別伝の旨に非ず。」即ち衣を更えて游方し、首めに黄檗に参じ、次に大愚に謁す。其の機縁の語句は行録に載す。既に黄檗の印可を受け、尋いで河北鎮州城の東南隅に抵(いた)り、滹沱河の側に臨む小院に住持す。其の臨済は地に因って名を得たり。時に普化先に彼に在り、佯狂して衆に混じ、聖凡測る莫し。師至るや即ち之を佐く。師正に化を旺んにするに、普化全身脱去す。乃ち仰山小釈迦の懸記に符するなり。適(たまた)ま兵革に丁(あた)り、師即ち棄て去る。太尉默君和、城中に於いて宅を捨して寺と為し、亦た臨済を以て額と為し師を迎えて居らしむ。後に払衣して南邁し河府に至る。府主王常侍、師礼を以て延く。住すること未だ幾ばくならずして、即ち大名府の興化寺に来たり、東堂に居す。師、疾無くして、忽ち一日、衣を摂めて拠坐し、三聖と問答し畢って、寂然として逝く。時に唐の咸通八年丁亥、孟陬月十日なり。門人、師の全身を以て塔を大名府の西北隅に建つ。勅して慧照禅師と諡し、塔を澄霊と号す。合掌稽首して、師の大略を記す。鎮州保寿の嗣法の小師延沼謹んで書す。
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『臨済録』示衆師、衆に示して云く、
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『臨済録』上堂上堂して云く、「一人は孤峯頂上に在りて、出身の路無し。一人は十字街頭に在りて、亦た向背無し。那箇か前に在り、那箇か後に在る。維摩詰と作さず、傅大士と作さず。珍重」と。
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『臨済録』示衆師、晩参に衆に示して云く、
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