臨済録 / 上堂
上堂,云:「一人在孤峯頂上,無出身之路;一人在十字街頭,亦無向背。那箇在前?那箇在後?不作維摩詰、不作傅大士。珍重。」
書き下し
上堂して云く、「一人は孤峯頂上に在りて、出身の路無し。一人は十字街頭に在りて、亦た向背無し。那箇か前に在り、那箇か後に在る。維摩詰と作さず、傅大士と作さず。珍重」と。
現代語訳
上堂して言った。「一人は孤高の峰の頂にいて、そこから出る道がない。一人は十字路のただ中にいて、そこにも前も後ろもない。どちらが前で、どちらが後か。維摩詰とも見なさぬ、傅大士とも見なさぬ。それでは」。
解説
二人の人物が置かれる。一人は誰も来ない峰の頂にいる。世を離れて澄んだ境地だが、そこから出る道がない。もう一人は十字路のただ中にいる。人ごみの真ん中で、しかも「向背無し」——向きも背もない。ふつうなら、山にこもるのと街に出るのとを較べて、どちらが上かという話になる。臨済はその較べ方を封じる。「那箇か前に在り、那箇か後に在る」と問うたまま答えない。しかも念を押す。「維摩詰と作さず、傅大士と作さず」。維摩は在家のまま悟った居士、傅大士も在家の聖者で、どちらも「街にいながら悟った人」の代名詞である。つまり、街のほうが上だという答えも封じた。両方の模範解答を先回りで消してから、「珍重」——ではまた、と降りてしまう。答えを持ち帰らせない上堂である。
この章句が説くこと
孤峰頂上十字街頭維摩詰傅大士較べ方を封じる
関連する章句
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『臨済録』上堂上堂して云く、「有る一人は劫を論じて途中に在るも家舍を離れず、有る一人は家舍を離るるも途中に在らず。那箇か合に人天の供養を受くべき」と。便ち座を下る。
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『臨済録』上堂上堂。僧有り出でて礼拝す。師便ち喝す。僧云く、「老和尚、探頭すること莫くんば好し。」師云く、「爾道え、什麼の処にか落在す。」僧便ち喝す。又た僧有り問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師便ち喝す。僧礼拝す。師云く、「爾道え、好喝なりや也た無や。」僧云く、「草賊大敗す。」師云く、「過、什麼の処にか在る。」僧云く、「再犯は容さず。」師便ち喝す。是の日、両堂の首座相見えて、同時に喝を下す。僧、師に問う、「還って賓主有りや也た無や。」師云く、「賓主歴然。」師云く、「大衆、臨済が賓主の句を会せんと要せば、堂中の二首座に問取せよ。」便ち座を下る。上堂。僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師、払子を竪起す。僧便ち喝す。師便ち打つ。又た僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師亦た払子を竪起す。僧便ち喝す。師も亦た喝す。僧擬議す。師便ち打つ。師乃ち云く、「大衆、夫れ法の為にする者は、喪身失命を避けず。我れ二十年、黄檗先師の処に在って、三度仏法的的の大意を問い、三度他の杖を賜うことを蒙る。蒿枝の払著するが如くに相似たり。如今更に一頓の棒を得て喫せんことを思う。誰人か我が為に行じ得ん。」時に僧有り衆を出でて云く、「某甲行じ得ん。」師、棒を拈じて他に与う。其の僧接せんと擬す。師便ち打つ。上堂。僧問う、「如何なるか是れ剣刃上の事。」師云く、「禍事、禍事。」僧擬議す。師便ち打つ。問う、「秖だ石室行者の、碓を踏んで脚を移すことを忘却するが如きは、什麼の処に向かってか去る。」師云く、「深泉に没溺す。」師乃ち云く、「但だ来たる者有らば伊を虧欠せず、総に伊が来処を識る。若し与麼に来たらば、恰も失却するに似たり。与麼に来たらざれば、縄無くして自ら縛す。一切時中、乱りに斟酌すること莫かれ。会と不会と、都来是れ錯。分明に与麼に道う、天下の人の貶剝するに一任す。久立珍重。」
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『臨済録』行録師乃ち頌有り、「大道は同を絶し、西東に向かうに任す。石火も及ぶこと莫く、電光も通ずること罔し。」潙山、仰山に問う、「石火も及ぶこと莫く、電光も通ずること罔し、従上の諸聖、什麼を将ってか人の為にする。」仰山云く、「和尚の意作麼生。」潙山云く、「但だ言説有るのみにして、都て寔義無し。」仰山云く、「然らず。」潙山云く、「子又た作麼生。」仰山云く、「官には針をも容れず、私には車馬を通ず。」金牛に到る。牛、師の来たるを見て、拄杖を横按して門に当たって踞坐す。師、手を以て拄杖を敲くこと三下して、却って堂中の第一位に帰って坐す。牛下り来たって見て、乃ち問う、「夫れ賓主相見するには各おの威儀を具う。上座何れよりして来たる、太だ無礼生。」師云く、「老和尚、什麼をか道う。」牛口を開かんと擬す。師便ち打つ。牛倒るる勢を作す。師又た打つ。牛云く、「今日便を著けず。」潙山、仰山に問う、「此の二尊宿、還って勝負有りや。」仰山云く、「勝つときは即ち総に勝ち、負くるときは即ち総に負く。」
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『臨済録』上堂上堂して云く、「赤肉團上に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ證據せざる者は看よ看よ」と。時に僧有り出でて問ふ、「如何なるか是れ無位の真人」と。師禪床を下りて把住して云く、「道へ、道へ」と。其の僧擬議す。師托開して云く、「無位の真人、是れ什麼の乾屎橛ぞ」と。便ち方丈に歸る。
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