練兵説略抄録 / 跋・跋 実行できる論こそ時務を論ずる道
古之善論時務者必先察時勢、揆人情、而審先後緩急之所當然、剴摯切實、不敢爲高異可喜之論、是以其言行於當時、而後世亦奉以爲圭臬矣、輓近榮士、務爲高異之論、其言雖或可喜、而傳會穿鑿、不顧其可行與否、是皆不過發吾胸中之所蘊、而取快於文章言語之間耳。獨我素水山鹿先生、世以韜略敎人、其議論平易、通時勢、而適人情、先後緩急、皆得其宜、與世之策士大不同矣。嘗著海備練兵數書、今又著練兵說略、其說皆親切著明、人之欲言而所未能言、比之古之善論時務者、不多讓焉、昔者范文正謂、石徂徠、剛正天下所聞、然亦好異、使爲諫官、必以難行之事、責人君以必行、方今主上無失德、朝廷政事亦自修擧、安用此諫官、嗚呼、世之榮士、顧其可行與否而論之耳、亦何求高異之爲哉、嘉永辛亥十一月長門 吉田矩方謹撰
新字:古之善論時務者必先察時勢、揆人情、而審先後緩急之所当然、剴摯切実、不敢為高異可喜之論、是以其言行於当時、而後世亦奉以為圭臬矣、輓近栄士、務為高異之論、其言雖或可喜、而伝会穿鑿、不顧其可行与否、是皆不過発吾胸中之所蘊、而取快於文章言語之間耳。独我素水山鹿先生、世以韜略教人、其議論平易、通時勢、而適人情、先後緩急、皆得其宜、与世之策士大不同矣。嘗著海備練兵数書、今又著練兵説略、其説皆親切著明、人之欲言而所未能言、比之古之善論時務者、不多譲焉、昔者范文正謂、石徂徠、剛正天下所聞、然亦好異、使為諫官、必以難行之事、責人君以必行、方今主上無失徳、朝廷政事亦自修挙、安用此諫官、嗚呼、世之栄士、顧其可行与否而論之耳、亦何求高異之為哉、嘉永辛亥十一月長門 吉田矩方謹撰
書き下し
古の善く時務を論ずる者は、必ず先づ時勢を察し、人情を揆り、而して先後緩急の当然とする所を審らかにし、剴摯切実にして、敢へて高異可喜の論を為さず、是を以て其の言当時に行はれ、後世も亦奉じて以て圭臬と為す。輓近の栄士は、務めて高異の論を為し、其の言或いは喜ぶべしと雖も、而れども傳会穿鑿し、其の行ふべきと否とを顧みず、是れ皆吾が胸中の蘊する所を発して、快を文章言語の間に取るに過ぎざるのみ。独り我が素水山鹿先生は、世に韜略を以て人に教へ、其の議論平易にして、時勢に通じ、人情に適ひ、先後緩急、皆其の宜しきを得、世の策士と大いに同じからず。嘗て海備・練兵の数書を著し、今又練兵説略を著す。其の説皆親切著明にして、人の言はんと欲して未だ言ふ能はざる所なり。古の善く時務を論ずる者に比するも、多く譲らず。昔者范文正謂へらく、石徂徠は、剛正なること天下の聞く所なり、然れども亦異を好む、諫官たらしめば、必ず行ひ難きの事を以て、人君に責むるに必ず行ふを以てせん、方今主上徳を失ふ無く、朝廷の政事も亦自ら修挙す、安んぞ此の諫官を用ひんや、と。嗚呼、世の栄士は、其の行ふべきと否とを顧みて之を論ずるのみ、亦何ぞ高異の為を求めんや。嘉永辛亥十一月、長門、吉田矩方謹んで撰す。
現代語訳
昔、時務(その時々の急務)をよく論じた者は、必ずまず時勢を察し、人情を推し量り、先後・緩急の当然のところを明らかにし、的確で切実であり、あえて高尚で珍しい喜ばれる論をなしませんでした。そのためその言葉は当時に行われ、後世にもまた奉じて基準としました。近ごろの栄士(名ある士人)は、努めて高尚で珍しい論をなし、その言葉は喜ばしいこともありますが、こじつけや穿鑿に走り、実行できるかどうかを顧みず、これらはみな自分の胸中に蓄えたものを発して、文章や言葉の上で快を得るにすぎません。ひとり我が素水山鹿先生だけは、世に兵法で人に教え、その議論は平易で、時勢に通じ、人情に適い、先後・緩急がみなその宜しきを得ており、世の策士とは大いに異なります。かつて『海備』『練兵』などの数書を著し、今また『練兵説略』を著しました。その説はみな親切で明らかであり、人が言いたくてまだ言えずにいることです。昔の時務をよく論じた者に比べても、あまり劣りません。昔、范文正が言うことには、石徂徠は剛直で正しいことは天下に聞こえている、しかし異を好む、諫官にすれば、必ず行い難いことを、君主に必ず行うよう責めるだろう、今、主上は徳を失わず、朝廷の政事も自ずと整っている、どうしてこのような諫官を用いようか、と。ああ、世の栄士は、実行できるかどうかを顧みて論ずるだけです、どうして高尚で珍しいことを求めるでしょうか。嘉永辛亥(1851)十一月、長門の吉田矩方が謹んで撰しました。
解説

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『練兵説略抄録』・練兵大意・流儀にも流行にも偏らず実質を問う或は固陋にして、流法に自縛せられ、時勢に應ぜざる古格を甘んずる者あり。或は西洋の戰風を慕ひ、異樣を用て、人目を眩惑し、我長を捨て、兵機を鈍するを知らざる者あり。各其實意に違ふ。是予が歎息する所以也。」夫操練は富國强兵の基源にして、和漢の明君賢將此事を重ず。上代專ら勅して兵を練しめられ、源右府大業の後大狩し、神事に流鏑馬、競馬、遊興に笠懸、犬追物等をなす、皆是兵を練の一端となしたる也。今列國往々神事に兵を練の意を存するものあり。唯恨らくは、其形のみを存し、其實を失へることを。夫戰國に操練なく、治世に必ず操練を要す。戰國に操練なきは、士卒常に水火の中に入、白刃を蹈、矢玉を冒し、萬死に入て、一生を得れば、將の指揮に從ふと、左右の手の如くなれば、實地に練熟すれば也。然ども稀には操練なすもあれど、書に記し、敎を殘すに及ず。蒲生氏鄕奧州大崎にて合戰の時、佐久間備前と云者先陣して下知しけるが、氏鄕の心に應せず、重ての先陣は神田修理、外池信濃、岡野左內、蒲生源左衞門たるべし、佐久間は見物せよと命ず。
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『練兵説略抄録』・練兵大意・教えと闘いを分け、真意に徹する操練方今操練の要とするは、時勢の相當、人情の自然を以て、規律を正し、節制を嚴にし、金皷旌旗の合圖約束を堅くし、將の采幣に從ふと手足の如く、一言を發する者なく、肅然として運轉離合、進退屈伸、糸を付て引廻すが如く、緩急の拍子を脫さず、勝負の圖を失はざる如くなすにあり。能如此ならば、敵に向ひ、變に應じて、奇正を轉變し、勝を制せんと、掌を指が如くなるべし。是他なし。能敎鬪の別を明にし、實意に徹すれば也。變は敵によつて生ずれば、敵なき操練に、求て變化をなさんとするも、悉く切組にして、實の變化に非ず。强て實戰の容を求んとするの謬は、必ず敵を設て勝負の形勢をなす。其敵とするも實の敵ならざれば、空砲と雖間近くなりては發すべからず。且互に優劣を爭ふより、人心穩かならず、規律節制を失ひ、兒戲に類するに至る。故に能操練するの實意を會得し、衆卒金皷の合圖、將頭奉行の采幣に從ひ、手足の如くなすを要とすべし。必ず求て變化實戰の容をなし、又一定の法格に泥むべからず。」今此書を撰む、一備の節制より、一隊の要領、金皷、旌旗、弓砲、槍馬の概略を述べ、同志操練の一助となす。看者能敎鬪の別を味ひ、其實理に徹し、國家治に亂を忘れざるの政を裨益し、古聖の戒に戾るとなからんとを要すべき也。
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『練兵説略抄録』・練兵大意・机上の理論と現場の失敗から学ぶ然と雖弱冠より發憤する所有て、操練の事に心思を盡し、家傳を祖述し、諸家を參考し、假に規律を設け、書を述るの後、普く天下を廻歷し、度々實際に試るに、席上に講說するが如くなることあたはず、喧嘩亂雜、如何とも詮方なく、手を拱して茫然たると多し。是より又朝思暮練すること數年、聊か自得する所有て、小備指掌三十二卷を著し、敎戰練兵の大要少く具る。其後心思を勞し、時勢相當の活用を述べ、練兵實備三卷を著作して、同志に示す。」然るに近年操練盛に行れ、列國急務として專ら敎閱あり。竊に喜ぶ、野人の微意も達するの時あつて、太平を贊し、士氣を興起するの小補となるを。然りと雖世人其實意に達せず、或は切組に泥み、或は空理を喜び、許多の謬を生ずるは、實に歎息に堪ざる所也。今操練をなす者、敎戰鬪戰の差別を知らず、實戰奇變の運用と號し、規律節制を嚴正ならしめざれば、迷亂して士卒其なす所を知らず、喧嘩して事調のはざる者あり。或は規律法格に縛せられ、一大活物を强て死物となし、切組の帳面通りを墨守し、緩急を辨ぜず、拍子調子を知らず、大に膠柱調瑟の誤りをなす者あり。或は人の切組たる業合の趣意を知らず、臆度を以て是を增減し、神事戲場の如く、傍觀の耳目を驚し、形粧の美を飾り、兵意は勿論、規格節制の定理を知らずして、種々の作意を加る者あり。
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『練兵説略抄録』・練兵大意・太平の世にこそ乱を忘れない備え治に亂を忘れざるは、古聖の敎戒、人君最も心を可盡の要たり。承平既に久しく、干戈府庫に納り、將士目に旌旗を見ず、耳に金皷を聞ず、暖衣飽食、般樂怠傲し、遂に武備解弛、士氣衰弱するは、自然の勢ひ也。一旦是を英武剛强の士氣に挽回するは、和漢古今其難を患とする所也。本朝英武萬國に勝れ、戎具の堅剛、刀槍の銳利、宇內能企て及ぶものなし。今や承平二百有餘年、甲兵の堅銳は聊か古と異なるなしと雖、士氣の英武如何ぞ同日にして語ることを得ん乎。若不虞のことあらんに、勝を制し、敵を破んと如何あらん。人君活眼を開き、士氣振興するを急務とし、武備を盛にし、武技を精練せしめ、操練を專らとし、坐作進退、聚散離合、將の指揮に應ずる、手足の如くならしめんには、萬一蠻夷の來寇あるも、何ぞ懼るに足ん。「一戰賊を摧して、日本刀の銳利を示さんは、豈不愉快哉。」余不肖生を兵家に禀、家傳を講究する數十年、旣に知命に至と雖、短材愚昧、更に得所なく、固陋偏狹にして、徒らに父書を讀のみ。
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『柳子新論抄録』・跋・跋に記した松宮俊仍の読後評野人の朝政を議するは、僭踰の罪有りと爲す。故に君子は愼む。官吏の治道に晦きは、戶位の謗りを免れず。故に哲人は愧づ。是を以て學者の世を憂ふる者、政事を論ずること有れば、則ち或いは言を異人に託し、或いは諸を古塚石棺中に得たりと爲す。蓋し之を神にして以て信を人に取り、之を奇にして以て價を加ふるを求むる者なり。讀む者は、自ら其の非を曉るの益有り、讀みて非其の任の憂に罪を被る無し。一は以て空しく特智の天眷を錫はるにあらず、一は以て君子の身を守るの慮を失ふ無し。一擧兩得と謂ふべき者なり。適たま斯の書を讀む。深謀遠圖殆ど似たり。但だ惜しむらくは兩都向背の論に至りては、大いに然らざる者有り。蓋し未だ聖賢の肺腑に投著せず、俗風有り時勢有りて、一定の權衡を懸けて以て萬方に推すべからざるを察せず。漢學儒風の偏見の崇を爲す者のみ。恭しく惟んみるに、方今天朝の尊きや、九重雲上に高坐し、人臣官階の權を掌りて、租稅財貨の利を管せず。世々聖主有りて賢臣を獲るの德あり、而して逆賊梟帥、神器に朶頤し、大寶を舐糠するの念を斷つ。寶祚の愈いよ益ます天壤と窮まり無きこと、猶ほ泰山の安きがごとし。天下有道の士、但だ誠に歡び誠に喜ばん。誰か頌賀を爲さざらんや。乃ち其の論ずる所に於いて自ら揣らず、粗ぼ愚評を其の上に加へ、之を篋底に秘し、以て識者の斷定を俟つと云ふ。寶曆十三、下毛野、松宮主鈴菅原俊仍識す。
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『武教講録』・言語應對・一言一語の応対を三つに分けて磨く此篇誠に切實なり、熟讀して心に藏し、一言、一語、一應、一對、暫らくも是を忘るゝとなくんば志士と云べし、大要三件なり、吉凶軍賓等の禮に通じ各々其詞の品則を考る事第一件なり、常に語るべきの事第二件なり、斷て語るまじきの事第三件なり、首に言語不正と云ひ、柔弱と云、鄙劣と云をも皆此三件へ係けて見るべし、第一件の事は全書中に在て、軍禮斥侯侍用武功等に載する所の軍詞をも考ふべし、又本藩の事は、布施氏の訓子帖の如き、淺近と云ども初學の觀に簡便なり、此外類を推して禮法古實等をも究むべし、畢竟多聞多識に若くはなし、然ども、是皆大關係あるとに非ず、若し乃ち他邦の使者に應對し、又は他邦に使し、或は海外夷狄に使する如きは、亦所謂賓客中の一事にして是獨り甚重の事なり、何となれば、一言の下に國の榮辱輕重に關り、或は兩國の和乖好戎をも起す者なれば、深く思慮せざるべからず、余曾て漢士の事蹟を撫して奉使抄を作る、亦是應對の一益に備へんと欲するなり、此類固より臨機應變あるとにて、膠柱刻舟の及ぶ所に非ずと云ども、余頗る論述する所あらんと欲す、今玆に贅せず、又第三件の事は斷て語るまじき事なれば論ずるに及ばず、第二件の事は書を讀み武義を論ずる內の事なり、其事件千百限なし、今漫りに一二事を引て是を云はんに、義不義之論は、上世至治の時は天下皆王命を奉じて王事を行ふとなれば、義不義の論迄もなきと也、其中にも守屋の拂法を排し、鎌足の入鹿を誅、清麻呂の神託を承る如きの類、義名の赫々たるは皆一時の變なり、而是等の事至治の世には多くあるとなし、只後鳥羽、