楽訓 / 巻之上・総論
一武士は、勇を專らにすべし。勇を外にあらはさずして、内にふくむべし。つねの時は和樂にして、人に對するに溫厚なるべし。勇天下におほへども、これを守るに怯を以てすと、家語にいへる如くなるべし。怯とはおくびやうの事なり。又大勇は怯きが如しといへり。是外に勇をあらはさゞるなり。和順にして禮あれば、人あなどらず。人にあなどられまじきとて、言語氣象をあらゝかにすべからず。是和樂を失へるなり。眞の勇者は、かほかたちあらゝかならず、かへつて柔和なり。張良は、其形婦人の如くにして、其氣象從容とおもむろなりしは、眞の大勇なり。欲をよくこらへ、義を見て必行ひ、節義をかたく守る、是眞の勇なり。眞の勇者は、つねには和樂也。
新字:一武士は、勇を専らにすべし。勇を外にあらはさずして、内にふくむべし。つねの時は和楽にして、人に対するに温厚なるべし。勇天下におほへども、これを守るに怯を以てすと、家語にいへる如くなるべし。怯とはおくびやうの事なり。又大勇は怯きが如しといへり。是外に勇をあらはさゞるなり。和順にして礼あれば、人あなどらず。人にあなどられまじきとて、言語気象をあらゝかにすべからず。是和楽を失へるなり。真の勇者は、かほかたちあらゝかならず、かへつて柔和なり。張良は、其形婦人の如くにして、其気象従容とおもむろなりしは、真の大勇なり。欲をよくこらへ、義を見て必行ひ、節義をかたく守る、是真の勇なり。真の勇者は、つねには和楽也。
書き下し
一武士は、勇を専らにすべし。勇を外にあらはさずして、内にふくむべし。つねの時は和楽にして、人に対するに温厚なるべし。勇天下におほへども、これを守るに怯を以てすと、家語にいへる如くなるべし。怯とはおくびやうの事なり。又大勇は怯きが如しといへり。是外に勇をあらはさざるなり。和順にして礼あれば、人あなどらず。人にあなどられまじきとて、言語気象をあららかにすべからず。是和楽を失へるなり。真の勇者は、かほかたちあららかならず、かへつて柔和なり。張良は、其形婦人の如くにして、其気象従容とおもむろなりしは、真の大勇なり。欲をよくこらへ、義を見て必行ひ、節義をかたく守る、是真の勇なり。真の勇者は、つねには和楽也。
現代語訳
武士は勇を専らにすべきです。勇を外にあらわさずに、内に含むべきです。ふだんは和やかに楽しんで、人に接するには温厚であるべきです。「勇が天下を覆うほどであっても、これを守るに臆病をもってする」と孔子家語に言うようにすべきです。怯とは臆病のことです。また「大勇は臆病なようだ」とも言います。これは勇を外にあらわさないことです。和やかで素直で礼があれば、人は侮りません。人に侮られまいとして、言葉や態度を荒々しくしてはなりません。それは和やかな楽しみを失うことです。真の勇者は顔かたちが荒々しくなく、かえって柔和です。張良はその姿が婦人のようで、その気質がゆったりと落ち着いていたのは、真の大勇です。欲をよくこらえ、義を見て必ず行い、節義を固く守る、これが真の勇です。真の勇者は、ふだんは和やかに楽しんでいるのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『文武訓』武訓上一張南軒曰く、君子は難を避けず。亦難に預からず。此意は、不慮にのがれがたき難に臨みて、其場をはづして身をのがるるは怯し、義にあらず。是難を去らざるなり。難にあふとも、難を避けて身をのがるべからず。又、我が身にあづからざる事にわざと出合ひて、難にあづかるは愚なり。此二は共に理にあたらず、勇にあらず。されば身を捨つることはやすけれど、捨ててかひありて理にあたることはかたし。道理にそむきて、死ぬまじき時に死し、あたら命をすつるは愚なりといふべし。死ぬべき時に死なざるは、不義といふ故に、死ぬべからざる時に死して身を失ひ、死ぬべき時に死なずして義を失ふも、共に勇にあらず、理にそむけり。
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論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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『文武訓』武訓上一生れつきに勇怯あり。勇に血気の勇あり、義理の勇あり。血気の勇は、つよきをやぶりかたきをくだく事すぐれたり。されど気つよきのみにて義なければ、節を守らずたのもしげなし。義理の勇は、節義を守りて、大節にのぞみて義を変ぜず、たのもし。たとへば、犬にも勇犬あり義犬あり。勇犬はむかふ所はたらきつよし。されどもあら野猪出でいかれば、身を引きてのがる。義犬は、つねの時は悪性ならず、盗みせず、人をおそる。けものにむかひてはたらき勇大に及ばざれど、たけくいかれる猪にあひても逃げず。人の主君のために、節を守るが如し。
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論語・陽貨篇子曰く、唯だ上知と下愚とは移らざるなり。
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『慎思録』巻之五中華の俗、振古君を諫めて命を致す者、相踵ぎて絶えず。刀鋸前に在り、鼎鑊後に在りと雖も、敢へて其の死を畏れざる者は、何ぞや。其の俗義を尚び、且つ文学有りて、諫諍の方を知ればなり。本邦の俗、古来戦死を軽んずる者多し。鋒鏑羅列し、元を喪ふこと須臾に在りと雖も、敢へて其の身を惜しまざる者は、何ぞや。其の俗勇を好みて、名節を尚べばなり。倭漢気概を尚びて、其の死を惜しまざることは同じくして、死する所の地の異なる者は、他無し。俗尚の義を好みて学有ると、勇を好みて気を尚ぶとの同じからざるに因るなり。
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