礼記 / 冠義
成人之者,將責成人禮焉也。責成人禮焉者,將責為人子、為人弟、為人臣、為人少者之禮行焉。將責四者之行於人,其禮可不重與? 故孝弟忠順之行立,而後可以為人;可以為人,而後可以治人也。故聖王重禮。故曰:「冠者,禮之始也,嘉事之重者也。」是故,古者重冠;重冠,故行之於廟;行之於廟者,所以尊重事;尊重事,而不敢擅重事;不敢擅重事,所以自卑而尊先祖也。
新字:成人之者,将責成人礼焉也。責成人礼焉者,将責為人子、為人弟、為人臣、為人少者之礼行焉。将責四者之行於人,其礼可不重与? 故孝弟忠順之行立,而後可以為人;可以為人,而後可以治人也。故聖王重礼。故曰:「冠者,礼之始也,嘉事之重者也。」是故,古者重冠;重冠,故行之於廟;行之於廟者,所以尊重事;尊重事,而不敢擅重事;不敢擅重事,所以自卑而尊先祖也。
書き下し
之を成人とする者は、将に成人の礼を責めんとするなり。成人の礼を責むる者は、将に人の子たり、人の弟たり、人の臣たり、人の少者たるの礼行を責めんとするなり。将に四者の行いを人に責めんとす、其の礼重んぜざるべけんや。 故に孝弟忠順の行い立ちて、而る後に以て人たるべし。以て人たるべくして、而る後に以て人を治むべきなり。故に聖王は礼を重んず。故に曰く、「冠は、礼の始めなり、嘉事の重き者なり」と。是の故に、古者は冠を重んず。冠を重んず、故に之を廟に行う。之を廟に行うは、事を尊重する所以なり。事を尊重して、敢えて重事を擅(ほしいまま)にせず。敢えて重事を擅にせざるは、自ら卑くして先祖を尊ぶ所以なり。
現代語訳
ある人を成人とするのは、その人に成人としての礼を果たすよう求めるためである。成人としての礼を求めるのは、人の子として、人の弟として、人の臣として、人の年少者としての礼にかなった行いを求めるためである。この四つの行いを人に求めようとするのだから、その儀礼を重んじないでよいだろうか。 それゆえ、孝(親への孝行)・弟(兄や年長者への従順)・忠(君への誠実)・順(目上への従順)の行いが確立してはじめて、人として一人前となることができる。人として一人前となってはじめて、人を治めることができる。だから聖王は礼を重んじたのである。それゆえ「冠礼は礼の始まりであり、めでたい行事のなかで最も重いものである」というのである。こういうわけで、昔の人は冠礼を重んじた。冠礼を重んじたので、これを先祖の廟(びょう、みたまや)で行った。廟で行うのは、この行事を尊び重んじるためである。行事を尊び重んじて、重大な事を自分勝手には行わない。重大な事を自分勝手に行わないのは、自らをへりくだらせて先祖を尊ぶためである。
解説
この章句が説くこと
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