導師導古典を学びたいすべての人に

礼記 / 経解

天子者,與天地參,故德配天地,兼利萬物,與日月並明,明照四海而不遺微小。其在朝廷,則道仁聖禮義之序;燕處,則聽雅頌之音;行步,則有環佩之聲;升車,則有鸞和之音。居處有禮,進退有度;百官得其宜,萬事得其序。詩云:「淑人君子,其儀不忒。其儀不忒,正是四國。」此之謂也。發號出令而民說,謂之和;上下相親,謂之仁;民不求其所欲而得之,謂之信;除去天地之害,謂之義。義與信、和與仁,霸王之器也。有治民之意而無其器,則不成。

新字:天子者,与天地参,故徳配天地,兼利万物,与日月並明,明照四海而不遺微小。其在朝廷,則道仁聖礼義之序;燕処,則聴雅頌之音;行歩,則有環佩之声;升車,則有鸞和之音。居処有礼,進退有度;百官得其宜,万事得其序。詩云:「淑人君子,其儀不忒。其儀不忒,正是四国。」此之謂也。発号出令而民説,謂之和;上下相親,謂之仁;民不求其所欲而得之,謂之信;除去天地之害,謂之義。義与信、和与仁,覇王之器也。有治民之意而無其器,則不成。

書き下し

天子は、天地と参(さん)たり。故に徳は天地に配し、兼ねて万物を利し、日月と並び明らかに、四海を明照して微小を遺さず。その朝廷に在りては、則ち仁聖礼義の序を道(い)い、燕処(えんしょ)しては、則ち雅頌の音を聴き、行歩すれば、則ち環佩(かんぱい)の声有り、車に升れば、則ち鸞和(らんか)の音有り。居処に礼有り、進退に度有り、百官その宜しきを得、万事その序を得。詩に云う、「淑人君子、その儀忒(たが)わず。その儀忒わず、是の四国を正す」と。此れの謂いなり。号を発し令を出だして民説(よろこ)ぶ、これを和と謂う。上下相親しむ、これを仁と謂う。民その欲する所を求めずしてこれを得る、これを信と謂う。天地の害を除去する、これを義と謂う。義と信、和と仁は、覇王の器なり。民を治むるの意有りてその器無ければ、則ち成らず。

現代語訳

天子は天地と並んで三つのものとなる。だからその徳は天地に匹敵し、あまねく万物を利し、太陽や月と並んで明るく、四方の海の果てまで照らして、小さなものも取り残さない。朝廷にあっては仁・聖・礼・義の順序を語り、くつろいでいるときには雅と頌(宮廷と宗廟の詩歌)の音楽を聴き、歩けば腰に帯びた環や玉の触れ合う音がし、車に乗れば鸞と和(車につけた鈴)の音がする。日々の暮らしに礼があり、進むにも退くにも節度があり、百官はそれぞれふさわしい務めを得て、万事がその順序を得る。『詩』に「善き人である君子は、その威儀にたがうところがない。その威儀にたがうところがないから、四方の国々を正す」とあるのは、このことをいうのである。号令を発して民が喜ぶこと、これを和という。上と下とが互いに親しむこと、これを仁という。民が欲しいものを求めなくても手に入ること、これを信という。天地の害を取り除くこと、これを義という。義と信、和と仁は、覇者や王者となるための道具である。民を治めようという意志があっても、この道具がなければ事は成らない。

解説

天子のあるべき姿を描き、礼がその道具であることを説く段である。天子は天地と並ぶ「参」の位置にあり、万物を利して微小なものまで照らす。朝廷では仁聖礼義の序を語り、くつろぐときも雅頌を聴き、歩けば佩玉が鳴り、車に乗れば鸞和が鳴る。鄭玄は環佩を歩みの節をとるもの、鸞和を車の進みの節をとる鈴と注す。日常の一挙一動が音で律せられているという描写は、礼が身体の隅々にまで行き渡った姿である。引用の詩は曹風鳲鳩篇で、孔穎達は威儀にたがいがないから四方の国を正せると説く。後半は和・仁・信・義の四つを定義し、それを「覇王の器」と呼ぶ。鄭玄は、義・信・和・仁はいずれも礼の中にあると注す。治めようという意志があっても器がなければ成らない、という結びは、志だけでは組織は動かず、日々の振る舞いと仕組みという道具が要るという、今日の指導者にも通じる指摘である。

この章句が説くこと

礼記経解天子仁義威儀

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る