礼記 / 祭統
夫祭之道,孫為王父尸。所使為尸者,於祭者子行也。父北面而事之,所以明子事父之道也。此父子之倫也。 尸飲五,君洗玉爵獻卿;尸飲七,以瑤爵獻大夫;尸飲九,以散爵獻士及群有司。皆以齒,明尊卑之等也。
新字:夫祭之道,孫為王父尸。所使為尸者,於祭者子行也。父北面而事之,所以明子事父之道也。此父子之倫也。 尸飲五,君洗玉爵献卿;尸飲七,以瑤爵献大夫;尸飲九,以散爵献士及群有司。皆以歯,明尊卑之等也。
書き下し
夫れ祭の道は、孫、王父(おうふ)の尸と為る。尸と為らしむる所の者は、祭る者に於いて子の行(こう)なり。父、北面してこれに事う。子の父に事うるの道を明らかにする所以なり。此れ父子の倫なり。 尸、五を飲めば、君、玉爵を洗いて卿に献ず。尸、七を飲めば、瑤爵(ようしゃく)を以て大夫に献ず。尸、九を飲めば、散爵を以て士及び群有司に献ず。皆歯を以てす。尊卑の等を明らかにするなり。
現代語訳
そもそも祭りの道では、孫が祖父の尸となる。尸となる者は、祭る者から見れば子の世代に当たる。その父である祭主が北に向いて尸に仕える。これは子が父に仕える道を明らかにするためである。これが父子の倫である。 尸が五度飲むと、君主は玉の爵(さかずき)を洗って卿に献じる。尸が七度飲むと、瑤(美しい玉)の爵で大夫に献じる。尸が九度飲むと、散爵(飾りのない爵)で士と諸々の役人に献じる。いずれも年齢の順に行う。これは尊卑の等級を明らかにするためである。
解説
十倫の第三「父子の倫」と第四「貴賤の等」を示す段である。祖父を祭るとき、その尸には孫が立つ。孫は祭主から見れば子の列に当たるから、祭主である父が北面して自分の子の世代の者に仕えることになる。鄭玄は、祖を祭るには孫の列から、同姓の嫡孫を取ると注す。父がわが子の列の者にへりくだって仕える姿を見せることで、子が父に仕える道がかえって明らかになるという、逆説的な仕組みである。後半は献酒の順序で、尸が杯を重ねる段階に応じて、卿には玉爵、大夫には瑤爵、士や有司には散爵と、器の格を変えて献じる。身分によって器を変えつつ、同じ身分の中では年齢の順に従うところに、尊卑と長幼の二つの秩序が同時に表れている。家の行事でも、世代を越えて役割を交代してみることで、親子それぞれが相手の立場を知るという効用を考えさせる段である。
この章句が説くこと
礼記祭統父子尸尊卑
関連する章句
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礼記・祭統夫れ祭に十倫有り。鬼神に事うるの道を見(しめ)し、君臣の義を見し、父子の倫を見し、貴賤の等を見し、親疏の殺(さい)を見し、爵賞の施しを見し、夫婦の別を見し、政事の均しきを見し、長幼の序を見し、上下の際(まじわ)りを見す。此れをこれ十倫と謂う。
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