説苑 / 建本
成人有德,小子有造,大學之教也;時禁於其未發之曰預,因其可之曰時,相觀於善之曰磨,學不陵節而施之曰馴。發然後禁,則扞格而不勝;時過然後學,則勤苦而難成;雜施而不遜,則壞亂而不治;獨學而無友,則孤陋而寡聞。故曰有昭辟雍,有賢泮宮,田里周行,濟濟鏘鏘,而相從執質,有族以文。
新字:成人有徳,小子有造,大学之教也;時禁於其未発之曰預,因其可之曰時,相観於善之曰磨,学不陵節而施之曰馴。発然後禁,則扞格而不勝;時過然後学,則勤苦而難成;雑施而不遜,則壊乱而不治;独学而無友,則孤陋而寡聞。故曰有昭辟雍,有賢泮宮,田里周行,済済鏘鏘,而相従執質,有族以文。
書き下し
成人に徳有り、小子に造有るは、大学の教えなり。其の未だ発せざるに禁ずるを預と曰い、其の可なるに因るを時と曰い、相い善に観るを磨と曰い、学びて節を陵えずして之を施すを馴と曰う。発して然る後禁ずれば、則ち扞格して勝えず。時過ぎて然る後学べば、則ち勤苦して成り難し。雑施して遜ならざれば、則ち壊乱して治まらず。独り学びて友無ければ、則ち孤陋にして寡聞なり。故に曰わく、昭き辟雍有り、賢き泮宮有り、田里周く行われ、済済鏘鏘として相い従いて質を執り、族有りて以て文すと。
現代語訳
大人には徳があり、若者には育成の道があるというのが、大学における教育の要点である。事が起こる前に禁じることを「預」といい、機が熟した時に導くことを「時」といい、互いに善行を観察し合うことを「磨」といい、学びを段階に逆らわず順序立てて施すことを「馴」という。事が起こってから禁じようとしても抵抗して効果はない。時期を逃してから学ぼうとしても苦労するばかりで成就しにくい。順序を無視して雑然と教え込めば、かえって乱れて治まらない。一人だけで学び友がいなければ、見識が狭く聞くところも少なくなる。だから、明るい学び舎があり、賢い学校があり、村々に教えが行き渡り、多くの人々が礼儀正しく連なり従い、それぞれの家柄なりに文化を築くというのである。
解説

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礼記・学記大学の法は、未だ発せざるに禁ずる、之を豫(よ)と謂う。其の可なるに当たる、之を時と謂う。節を陵(こ)えずして施す、之を孫(そん)と謂う。相観て善くする、之を摩と謂う。此の四者は、教えの由りて興る所なり。 発して然る後に禁ずれば、則ち扞格(かんかく)して勝(た)えず。時過ぎて然る後に学べば、則ち勤苦して成り難し。雑施して孫ならざれば、則ち壊乱して修まらず。独学にして友無ければ、則ち孤陋にして寡聞なり。燕朋(えんぽう)は其の師に逆らい、燕辟(えんぴ)は其の学を廃す。此の六者は、教えの由りて廃るる所なり。
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礼記・学記大学の始めて教うるや、皮弁(ひべん)して菜を祭るは、道を敬するを示すなり。宵雅(しょうが)を肄(なら)うこと三なるは、其の始めを官にするなり。学に入りて篋(きょう)を鼓するは、其の業を孫(したが)わしむるなり。夏(か)・楚(そ)の二物は、其の威を収むるなり。未だ禘(てい)を卜せざれば学を視ざるは、其の志を游ばしむるなり。時に観て語らざるは、其の心を存せしむるなり。幼き者は聴きて問わざるは、学(おしえ)は等を躐(こ)えざればなり。此の七者は、教えの大倫なり。記に曰く、「凡そ学は、官は事を先にし、士は志を先にす」と。其れ此れの謂いか。
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礼記・学記大学の教うるや時あり。教うるには必ず正業有り、退き息(いこ)うには必ず居有り。学は、操縵(そうまん)を学ばざれば、弦を安んずること能わず。博依(はくい)を学ばざれば、詩を安んずること能わず。雑服を学ばざれば、礼を安んずること能わず。其の芸を興(よろこ)ばざれば、学を楽しむこと能わず。故に君子の学に於けるや、蔵(ぞう)し、修め、息い、游ぶ。夫れ然り、故に其の学に安んじて其の師に親しみ、其の友を楽しみて其の道を信ず。是を以て師輔を離ると雖も反(そむ)かざるなり。兌命に曰く、「敬孫して務めて時に敏なれば、厥(そ)の修乃ち来たる」と。其れ此れの謂いか。
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礼記・学記古の教うる者は、家に塾有り、党に庠(しょう)有り、術(すい)に序有り、国に学有り。比年(ひねん)に学に入り、中年に考校す。一年にして経を離(はな)ち志を弁ずるを視、三年にして業を敬し群を楽しむを視、五年にして博く習い師に親しむを視、七年にして学を論じ友を取るを視る、之を小成と謂う。九年にして類を知り通達し、強立して反(そむ)かず、之を大成と謂う。夫れ然る後に以て民を化し俗を易(か)うるに足り、近き者は説(よろこ)び服して、遠き者は之に懐(なつ)く。此れ大学の道なり。記に曰く、「蛾子(ぎし)時に之を術(まな)ぶ」と。其れ此れの謂いか。
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大学大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親(あら)たにするに在り、至善に止まるに在り。止まるを知りて而后(のち)定まる有り、定まりて而后能く静かなり、静かにして而后能く安し、安くして而后能く慮(おもんぱか)る、慮りて而后能く得。物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば、則ち道に近し。