礼記 / 曽子問
孔子曰:「嫁女之家,三夜不息燭,思相離也。取婦之家,三日不舉樂,思嗣親也。三月而廟見,稱『來婦』也。擇日而祭於禰,成婦之義也。」 曾子問曰:「女未廟見而死,則如之何?」孔子曰:「不遷於祖,不祔於皇姑,壻不杖、不菲、不次,歸葬于女氏之黨,示未成婦也。」
新字:孔子曰:「嫁女之家,三夜不息燭,思相離也。取婦之家,三日不舉楽,思嗣親也。三月而廟見,称『来婦』也。択日而祭於祢,成婦之義也。」 曽子問曰:「女未廟見而死,則如之何?」孔子曰:「不遷於祖,不祔於皇姑,壻不杖、不菲、不次,帰葬于女氏之党,示未成婦也。」
書き下し
孔子曰く、「女を嫁がしむるの家は、三夜燭を息(や)めず、相離るるを思えばなり。婦を取るの家は、三日楽を挙げず、親を嗣ぐを思えばなり。三月にして廟見(びょうけん)し、『来婦』と称す。日を択びて禰に祭るは、婦を成すの義なり」と。 曾子問いて曰く、「女、未だ廟見せずして死すれば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「祖に遷さず、皇姑(こうこ)に祔(ふ)せず、壻は杖つかず、菲(ひ)せず、次(じ)せず、女氏の党に帰葬し、未だ婦と成らざるを示すなり」と。
現代語訳
孔子は言った。「娘を嫁がせた家では、三晩、灯火を消さない。娘と離れ離れになったことを思うからである。嫁を迎えた家では、三日間、音楽を奏でない。(息子が妻を迎えて)親の跡を継ぐ代になったことを思うからである。三か月たって廟に参拝し、『新しく来た嫁でございます』と祖先に告げる。日を選んで舅の廟に祭るのは、正式に嫁となったことを示す意味がある。」 曾子が尋ねた。「嫁がまだ廟に参拝しないうちに亡くなったら、どうすればよいのでしょうか。」孔子は答えた。「遺体を祖先の廟に移して別れを告げることをせず、夫の祖母の位牌に合わせて祀ることもせず、夫は喪の杖をつかず、粗末な草履を履かず、喪の仮小屋にもこもらない。遺体は女の実家の一族の墓に帰して葬る。まだ正式な嫁になっていなかったことを示すのである。」
解説
この章句が説くこと
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「相識(そうしき)、喪服有りて以て祭に与るべきか」と。孔子曰く、「緦(し)には祭らず、又何ぞ人を助けん」と。 曾子問いて曰く、「喪服を廃して、以て饋奠の事に与るべきか」と。孔子曰く、「衰を説(ぬ)ぎて奠に与るは、礼に非ざるなり。以て擯相(ひんしょう)するは可なり」と。 曾子問いて曰く、「昏礼既に納幣(のうへい)して、吉日有り、女の父母死すれば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「壻(むこ)は人をして弔わしむ。如し壻の父母死すれば、則ち女の家も亦た人をして弔わしむ。父の喪には父と称し、母の喪には母と称す。父母在らざれば、則ち伯父世母と称す。壻、已に葬れば、壻の伯父、命を女氏に致して曰く、『某の子、父母の喪有りて、嗣ぎて兄弟と為るを得ず、某をして命を致さしむ』と。女氏許諾して、敢えて嫁がざるは、礼なり。壻、喪を免(まぬか)るれば、女の父母人をして請わしむ。壻取らずして、而る后に之を嫁がしむるは、礼なり。女の父母死すれば、壻も亦た之の如くす」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「親迎(しんげい)して、女、塗(みち)に在りて、壻の父母死すれば、之を如何せん」と。孔子曰く、「女は服を改め、布の深衣、縞総(こうそう)して、以て喪に趨(おもむ)く。女、塗に在りて、女の父母死すれば、則ち女は反る」と。「如し壻親迎して、女未だ至らずして、斉衰・大功の喪有らば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「男は入らずして、服を外次に改め、女は入りて、服を内次に改め、然る後に位に即きて哭す」と。曾子問いて曰く、「喪を除けば則ち昏礼を復せざるか」と。孔子曰く、「祭は、時を過ぐれば祭らざる、礼なり。又何ぞ初めに反らん」と。
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礼記・曽子問孔子曰く、「宗子は七十と雖も、主婦無きこと無し。宗子に非ずんば、主婦無しと雖も可なり」と。 曾子問いて曰く、「将に子に冠せんとし、冠者至り、揖譲(ゆうじょう)して入る。斉衰(しさい)・大功の喪を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「内喪なれば則ち廃し、外喪なれば則ち冠して醴(れい)せず、饌(せん)を徹して埽(はら)い、位に即きて哭す。如し冠者未だ至らずんば、則ち廃す。如し将に子に冠せんとして未だ期日に及ばず、而して斉衰・大功・小功の喪有らば、則ち喪服に因りて冠す」と。「喪を除きて冠を改めざるか」と。孔子曰く、「天子、諸侯・大夫に冕弁(べんべん)の服を大廟に賜えば、帰りて奠を設け、賜服を服す。斯(ここ)に於いてか冠醮(かんしょう)有りて、冠醴無し。父没して冠すれば、則ち已に冠して地を埽いて禰に祭る。已に祭りて伯父叔父に見え、而る后に冠者を饗す」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「女を取るに吉日有りて女死すれば、之を如何せん」と。孔子曰く、「壻は斉衰して弔い、既に葬りて之を除く。夫死すれば亦た之の如くす」と。曾子問いて曰く、「喪に二孤有り、廟に二主有るは、礼か」と。孔子曰く、「天に二日無く、土に二王無し。嘗(しょう)・禘(てい)・郊・社は、尊に二上無し。未だ其の礼為るを知らざるなり。昔者、斉の桓公亟(しばしば)兵を挙げ、偽主(ぎしゅ)を作りて以て行く。反るに及びて、諸を祖廟に蔵す。廟に二主有るは、桓公より始まるなり。喪の二孤は、則ち昔者衛の霊公魯に適き、季桓子の喪に遭う。衛君弔わんことを請い、哀公辞すれども、命を得ず、公主と為り、客入りて弔う。康子は門の右に立ち、北面す。公は揖譲して東階より升り、西郷す。客は西階より升りて弔う。公拝し、興(た)ちて哭す。康子は位に拝して稽顙し、有司辯ぜざるなり。今の二孤は、季康子の過ちよりするなり」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「如(も)し已に葬りて世子生まるれば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「大宰・大宗は大祝に従いて禰(でい)に告ぐ。三月にして、乃ち禰に名づけ、名を以て徧く告げ、社稷・宗廟・山川に及ぶ」と。 孔子曰く、「諸侯天子に適(ゆ)くには、必ず祖に告げ、禰に奠す。冕して出でて朝を視(み)、祝・史に命じて社稷・宗廟・山川に告げしむ。乃ち国家の五官に命じて而る後に行き、道(どう)して出づ。告ぐる者は五日にして徧くす。是れを過ぐるは、礼に非ざるなり。凡そ告ぐるには牲・幣を用う。反るも亦た之の如くす。諸侯相見るには、必ず禰に告げ、朝服して出でて朝を視る。祝・史に命じて五廟・過ぐる所の山川に告げしむ。亦た国家の五官に命じ、道して出づ。反れば必ず親ら祖・禰に告ぐ。乃ち祝・史に命じて前に告ぐる所の者に至るを告げしめ、而る后に朝を聴きて入る」と。
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礼記・昏義昏礼(こんれい)は、将に二姓の好(よしみ)を合わせ、上は以て宗廟に事(つか)え、下は以て後世を継がんとするなり。故に君子これを重んず。是(ここ)を以て昏礼の納采(のうさい)・問名(もんめい)・納吉(のうきつ)・納徴(のうちょう)・請期(せいき)は、皆主人廟に筵几(えんき)して、門外に拝迎し、入りて、揖譲(ゆうじょう)して升(のぼ)り、命を廟に聴く。敬慎重正にして昏礼を正す所以(ゆえん)なり。
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